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空間のデザインによって都市のクリエイティビティを変えることは可能か? [ミラツクフォーラム2017夏]

フォーラム

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NPO法人ミラツクでは、完全招待制で行う「ミラツクフォーラム」を定期的に開催しています。毎回、ひとつのテーマについて異なるフィールドで活躍する方々をゲストに迎え、ディスカッション。対話を重ねながら新たな知見を生みだしています。

2017年7月1日の「ミラツクフォーラム 京都夏の回」では2つのセッションを開催。後半は「空間のデザインと都市のクリエイティビティ」をテーマに、ワークプレイス(オフィス環境)、パブリックスペース(都市空間)、公共空間という異なる空間に向き合う3名のゲストを迎え、パネルディスカッションが行われました。

(photo by 望月小夜加

登壇者プロフィール
阿部大輔さん 龍谷大学政策学部 准教授
1975年、米国ハワイ州ホノルル生まれ。早稲田大学理工学部土木工学科卒業、東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻修士課程・博士課程修了。博士(工学)。専攻は都市計画・都市デザイン。政策研究大学院大学、東京大学大学院建築学専攻特任助教を経て、2011年から現職。著書に『バルセロナ旧市街の再生戦略』(学芸出版社、2009年)、共編著に『地域空間の包容力と社会的持続性』(日本経済評論社、2013年)、『持続可能な都市再生のかたち』(日本評論社、2014年)、共著に『都市経営時代のアーバンデザイン』(学芸出版社、2017年)など。
仲隆介さん 京都工芸繊維大学 デザイン建築学系 教授
1957年大分県生まれ。1983年、東京理科大学大学院修士課程修了。1983年、PALインターナショナル一級建築士事務所。1984年、東京理科大学工学部助手。1994年、マサチューセッツ工科大学建築学部客員研究員。1997年、宮城大学事業構想学部デザイン情報学科専任講師。1998年、同大学助教授。2002年、京都工芸繊維大学デザイン経営工学科助教授。2007年、京都工芸繊維大学大学院工芸科学研究科デザイン経営部門教授。新世代オフィス研究センター長、公共建築協会次世代建築研究会新ワークスタイル部会長、国土交通省知的生産性研究委員会建築空間部会委員、日経ニューオフィス賞審査委員など、様々な機関で研究、啓蒙活動を展開するとともに、様々な企業においてワークプレイスデザインを実践している。
福岡壯治さん 神戸電子専門学校長 / 078 実行副委員長
神戸生まれ神戸育ち。コナミ社でのゲームソフト開発、トライシス・インターナショナル社(現サイバード社)他の起業を経て現職。文部科学省委託事業「オープンソースソフトウェア分野の人材育成を目的とした4年制学科における産学連携教育プログラム」実施委員長、同「専門知識習得を目的とした知識獲得力の体系化と強化プログラムの開発・実証」実施委員長、同「被災地復興に貢献するソーシャルアプリ開発エンジニア育成」事業推進協議会委員長等を歴任。 Master Beat Kobe 名義にてクラブDJプレイを重ね、米ネバダ州で開催されるBurning Man へも出演を果たす。地元神戸では、デザイン都市神戸創造会議委員、音楽のまち神戸を創る会代表世話人、神戸ホワイトディナー実行委員長等を歴任。

ワークプレイスデザインで日本を元気にするには?

西村それでは、まず仲先生から順番に自己紹介をお願いします。

僕のプロフェッショナルは建築で始まりました。1985年、建築の世界で若い人が最初にとる「SD Review(作品名:権守塔)」に入選。建築家としてなかなか良いスタートを切りました。当時は世の中にまだないもの、世間とは違うものをつくることだけに価値を感じていて。珍しくかっこいいものをつくることにエネルギーを注いでいたのですが、だんだん「この建築は本当に役に立っているんだろうか」ということに興味を抱くようになりました。

オフィス研究を始めたのは、たまたま僕のボスがオフィスの研究者だったから。すでに35年ぐらいオフィスを研究していますが、だんだん世の中からの注目度が上がってきて驚いています。最初の20数年は単純にオフィスの設計資料をつくっていましたが、10〜15年前からはより良いオフィスづくりを考えていく、実践的な仕事がすごく増えています。

近年は、オフィスだけでなく、自宅や電車内、リゾートなども含めた、仕事をする場所全体を”ワークプレイス”と呼び、その設計をしています。僕には、「ワークプレイスデザインで日本を元気にしたい」という思いがあります。なにしろ、日本を元気にするには、みんながやりがいを感じながら知恵を絞れるしくみが必要ですし、そのためにもオフィスはすごく大事なんです。しかし残念ながら、世の中では「オフィス環境がどうであっても、人間さえしっかりしていればいい」「オフィスは社員の不満が出ない程度に低コストでつくるもの」というのが常識です。こうした考え方に、僕は大きな声で「違う!」と言い続けていますが、なかなか通じません。

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オフィスは空間だけでなく、そこで使われる家具や道具、働き方も含めて一緒にデザインしていく必要があります。ただ、オフィスという“箱”だけをつくって、「きれいになって良かったね」というのは、自分のやりたいことではないなと思っていて。社員の働き方が変わり、生産性が上がって会社が大きくなることに役立つオフィスをつくりたいと思うんですね。すると、働き方のルールを一緒に考えたり、意識改革のお手伝いをさせていただくことが最近増えてきました。

僕は、環境が人間をクリエイティブにすると信じています。ときどき、原稿がうまく書けないときに、建仁寺に行くことがあります。方丈で庭を前にして30分ほどパソコンを開いていると、すごくクリエイティブに仕事できる気がするんですね。世の中のワークプレイスも、クリエイティブな気分になれて、いろんなアイデアが浮かんでくるんじゃないかと感じられる場所にしたい。この思いが原点です。

ひとつ、最近の事例をご紹介します。愛媛県の西予市役所の一部についてオフィス改革をお手伝いしました。人口減とそれに伴う税収減が予想される西予市では、現状のサービスを維持しながら新たなアイデアを生み出して、人が帰ってくる魅力あるまちづくりをしなければいけないという状況にあります。総務省の若いキャリアの方が大改革を進めていて、僕も一緒に働き方・オフィス改革をすることになりました。

まずは1年ぐらいかけて「西予市の魅力、理想、課題はなんだろうか?」と市役所職員のみなさんとじっくり議論をして、課題を解決し理想を実現していくには「今の働き方でいいのだろうか?」と考えていただきました。さらに、新しい働き方のためにどんな環境がよいかを考え、空間デザインも一緒にやっていただきました。このプロセスを経て生まれたのが「Changeせいよ!~挑む・つながる・楽しむ~」というコンセプトです。

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業務のクオリティと効率アップも目指しました。生々しい話ですが、10人でやっている仕事を6人でやらなければいけない時代が予想されており、効率化によって市の魅力を考える余裕をつくるためです。西予市庁舎は、2011年に東畑建築事務所が設計したもので、2012年に第25回日経ニューオフィス賞四国ニューオフィス推進賞(四国経済産業局長賞)などの賞をとっています。今回の改修では、株式会社Open Aの馬場正尊さんとコラボレーションして4階の空間をデザインしなおしました。これまでは、執務スペース、ミーティングスペース、ファイル収納庫という3種類のスペースしかなかったのですが、「ウェルカム」「チーム」「集中」「コラボ」「プレイ」の5つのモードに分けて多様な空間を用意しました。働きやすい場所、コミュニケーションのしやすさや集中しやすさも人それぞれだから、その都度チョイスして仕事できるようしました。

改築後は、部署ごとに「どんなスペースで働いているのか」を観察調査しました。改修にあまり前向きではなかった総務課の方たちは、実際にあまりいろんな空間を利用していませんでした。一方で、財務課のみなさんは空間を多様に使いこなして仕事の効率が上がっています。大きなところで言うと、集中とリフレッシュがしやすくなり、コミュニケーションが活性化し、打ち合わせや会議の効率が上がったという結果がでています。

また、会議室の予約が取れないという状況は、「4回に1回」から「18回に1回」まで減少し、会議のための移動時間も月に10時間減に成功しました。デュアルディスプレイによる作業効率は33%アップ、ペーパーレスも20%アップ、コミュニケーション量は2.2倍に増加。この改修には1200万円の予算が投入されましたが、1949万円分の効果が出たことになります。

オフィスが自分にどんな影響を与えているのか、どういう効果があるのかはなかなか実感できないのですが、こうして数値化すると見えてくることがありますし、市民にも説明できるようになるというわけなのです。

都市に創造性と多様性を生み出すデザインは可能だろうか?

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阿部私は龍谷大学政策学部で、都市計画、都市デザインを研究しています。テーマは、都市機能の再編成。都市を元気づけていくときに、土地の利用計画をどう考えるのか、地域の価値をどのように見出して新たな価値を付与し、再編させていくのかというようなお話ですね。フィールドにしているのはバルセロナです。最初にリサーチを始めた対象地区は、バルセロナの旧市街のスラム(不良住宅地域)でした。ヨーロッパのスラムは、移民、治安や社会的不平等などの問題集積地として存在しています。

バルセロナに留学していた2003〜2006年まで3年半で、唯一正面切って写真を撮れなかった、非常に荒れた広場が、旧市街のラバル地区にありました。どういった整備を行っても、すぐにバンダリズムで荒れ果ててしまう場所だったんです。ところが、近年、山手から州立の映画館を広場に面するように移転させてきて、広場そのものもちょっとした段差をなくしたり、ブロック塀を除去したりしたりと、細部に工夫を施すことによって、かなり雰囲気が良くなりました。少なくともちょっと腰掛けるくらいはできるような場所になっていったんですね。

今日、お話したいのは「Place Making(場づくり)」について。「場(Place)」は「空間(Space)」とは異なります。「場違い」「場にそぐわない」とは言いますが、「空間違い」とは言わないですよね。「場とは何か」を考えることは、近年の都市計画においてひとつの大きな論点にもなっています。

都市計画研究では、「はたして、都市をデザインすることはどのように可能か?」という問いがあります。70年代にニューヨークの都市計画局長をされていたジョナサン・バーネット氏は、「建築をデザインすることなく都市をデザインする」と言いました。要するに、建築単体で良いデザインを積み重ねても、良いまちができるとは限らない、ということですね。言い換えれば、部分最適解の積み重ねが全体を良くするとは限らないということで、他の分野でもおそらく当てはまると思います。

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日本のまちにおいても、建築のレベル、細部のディテールのクオリティの高さが、全体の都市空間の面白さにつながっていかないのはなぜだろう、ということが私の元々の問題意識でもあります。都市計画、都市デザインというのは、まちの変化を利用して良い方向に持って行くためのしくみをつくる技術、形態を通じてまちらしさというものを創出するというような社会技術であろうと考えています。

たとえば今、人口減少とともに「void(空き地、空き家など)」空間が現れてきます。そこに仕掛けをしておくことで、地域の資源の種になりうる可能性があります。今、国土交通省は立地適正化都市政策(コンパクトシティ化)を進めています。中心部に機能を集めなおし、郊外に広がる住宅市街地をなるべく畳んでいくという考え方なのですが、都合良く郊外から空き家や空き地ができるわけではないのでムラができちゃうわけですね。空いた空間に、暫定的でもいいので、どんな価値を埋め込んでいくのかを考えていく必要があります。

都市には計画しなければ解けない問題がある一方で、計画しても解けない問題もあります。都市計画というのは、このふたつのせめぎ合いだと思うんですね。今日のテーマに即して言うと、都市には創造性と多様性があることが大切ですし、このふたつがあるまちは楽しいと思います。なのに、都市の楽しさや快適さをつくる技術である都市計画では、どうも創造性や多様性を創り出せない。果たして創造性と多様性というのは偶発的なのものなのか、あるいは少人数、中人数くらいの規模で出てくるものなのか、「見えないデザイン」としての都市計画によってうまく補完できるものなのか。これもまた私の問いです。

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都市が都市であるのは、それを支える産業があり、その産業が雇用を生み出しているからなのですが、製造業が斜陽傾向にある今、次にどういう産業を構想するのかについては、都市政策ではほとんど考えられていません。良いモデルが見えないなか、急激に伸びているのが観光業です。京都でも様々な問題が顕在化しつつあります。そもそも観光は非常に脆弱な産業で、テロや天災があると観光客は激減しますので、依存しすぎないように慎重に考える必要があります。

一方で、まちづくりのミッションは「賑わい」を生み出すことだけでないと思いますし、もっと多様であってもいいのではないかという気がしています。私自身はここ数年、社会的排除、貧困の問題に対して、都市計画にできることをずっと考えています。社会的に排除された人たちが多く住む地域を再開発すると、徐々に人が戻ってきてそれなりに賑やかなエリアになります。しかし、豊かな人たちに注目されたために家賃や地価が上がり、元々住んでいた人たちが立ち退きにあって、まちを構成していた人間関係や生業の有り様などが不可逆な形で大きく変容してしまう現象を「ジェントリフィケーション(Gentrification)」と言います。

日本の場合は、居住者層が大きく変わるということはあまり一般的ではありませんが、古くからの店舗が全国チェーン店に追い出されていくというケースはそれなりに目に付きます。京都の五条周辺では、街角のタバコ屋が消えてレンタル着物屋になるという現象が顕著ですが、そうならないために何ができるのか? ここも、都市計画がカバーしないとどうしようもないだろうというところです。

最後に、ニューヨークの「Project for public space」というNPO組織が提唱する「The Power of 10+」という大変シンプルな「Place Making」の原則、考え方をご紹介します。10以上の行き先があり、それぞれの行き先に10以上の面白い場所があり、それぞれの場所には10以上の活動が生まれている。こういう場所があるまちは力強いのです。

まちの空間を“あたりまえのように”自分たちで使うには?

福岡神戸電子専門学校という、日本で最も長い歴史のある情報系の専修学校を校長として運営しています。今日呼んでいただいたのは、よい意味で市民がまちを所有する感覚を持ちたいと思いながらやっている活動が、西村さんの目に留まったからだと思います。なぜ、それができるようになったかというと、学校の式典にお呼びした議員さんとのお付き合いから始まった行政とのコネクションを、周囲の仲間でもって最大化していったことも理由のひとつです。

アーバンピクニック」「神戸ホワイトディナー」等の活動をはじめました。年に1度の開催だし最もチャラチャラしてると思われているのが、私が担当しているホワイトディナーです(笑)

ホワイトディナーは、パリで行われている「ディネ・アン・ブロン(Diner en Blanc)」を、神戸オリジナルのルールで行っているものです。参加者のドレスコードは、白。なおかつ、机・椅子、食べ物、飲み物を全部参加者自身で用意しなければいけません。市民から「セレブのお祭りじゃないか」と揶揄されたのですが、自分で汗をかいて参加したひとはのめり込んでくださって輪が広がりました。この企画をやってみて、クリエイティブとは何のことかをみんなで体得してきた感じがあります。

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こういうイベントは、往々にして世代の断絶が起きますよね。でも、YouTubeで見たパリとニューヨークの「ディネ・アン・ブラン」は世代を突き抜けていたんですよ。ぜひ、ホワイトディナーでもこれをなしたいと思っていたら、最初から達成することができました。60代の人たちが手間ひまかけてテーブルをつくる姿を見て、20代が「大人に負けていられない」と次にまたがんばって。だんだん、クリエイティブ甲子園のようになっていったんですね。

この延長線上で、まちの空間をあたりまえのように自分たちで使う、よい意味での所有感を持つということが増殖しはじめています。「078(ゼロ・ナナ・ハチ)」というイベントは、神戸市長を名誉実行委員長に掲げ、地元の実行委員20名を組織して立ち上げました。東遊園地、デザインクリエイティブセンターKIITO、その隣にある防災公園の3カ所を結んで行われたクロスメディアイベントです。

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神戸を面白くして生き残っていくためには特徴化が重要だと思うので、その特徴をつくりたいという思いでやっています。米・テキサス州のオースティンでは、毎年3月に映画、音楽、インタラクティブフェスティバルを組み合わせた「South by Southwest(SXSW)」という大規模なイベントが開かれています。「078」を「SXSW日本版」という人もいますが、私は全然違うと思っていて。都市生活を面白く、心地よくすることを希求する、市民とクリエイター、エンジニアの集約点を創りたいと企画しました。

また、神戸市は「神戸2020ビジョン」で、「若者に選ばれるまち+誰もが活躍するまち」をテーマに設定しました。私たちは、このテーマを市民として受け入れて、市民発でより良く育てていきたいという観点で「078」を用意しました。「若者に選ばれる」というのは、若い人たちに迎合するということではなく、若い人たちが背伸びしてついてきて、やがて追い抜かして行くような場をつくることだと思っているんです。

私は、情報系の専修学校の校長をしていますが「これから社会はこうなる」なんて言えないです。一緒にこれからの変化を見ていって、そこに自分をプロットしていくようなデザインをしていこうぜというメッセージを発して、それに反応した若い人たちが出て来てくれたことは、とてもよかったと思っています。

最後に、こうしたクリエイティブとひとが集まる場として最も意識しているのは、米・ネバダ州リノにあるブラックロック砂漠で、約1週間に渡って開催される「バーニング・マン(Burning Man)」です。私は2011年から3回通っています。「バーニング・マン」のキーワードは「NO SPECTATOR(傍観者であるな)」ということ。チケットは3万円、何もない砂漠に7万人が集まるのですが、オーガナイザーが準備するのはトイレだけ。5000人規模のダンスフロアやステージも全部参加者が作るんですよ。もう、LOVEがあふれています。

ただ、思ったんですね。高価な航空券代を出して隣人愛を得に行く前に、向こう三軒両隣と仲良くやれ、と。自分の住むまちで、周りの人たちをハッピーにして、それを砂漠に返しに行けるようになりたいなと思って生きています。

都市や空間において、クリエイティビティを解き放つには?

西村ありがとうございました。ここからディスカッションに入りたいと思います。ひとのクリエイティビティは、解き放つこともできれば、押し込めて制限してしまうこともできます。都市や空間において、人のクリエイティビティを解き放つとはどういうことなのでしょうか。

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福岡都市社会学の研究者であるリチャード・フロリダは、著書「クリエイティブ資本論」で「経済成長の3つのT」として「Technology(技術)」「Talent(才能)」「「Tolerance(寛容性)」を条件として挙げています。「バーニング・マン」は、ヒッピーの成れの果ての吹きだまりのようなイメージがありますが、実はGoogleやFacebook、Amazon、Airbnbなど、世界を席巻するサービスをつくっている人たちにとっても、心のよりどころになっているんですよ。この事実を日本人はほとんど知りませんよね。

僕は、日本のITにはhackmindが足りていないと思います。ハッカーは「俺の書いたソースコードのほうがきれいだぞ」「早いぞ、どうだ!」と出し抜こうとする。GoogleもAmazonも、根底ではこうしたhackmindに突き動かされていると思うんですよ。カリフォルニアのIT の人たちは「俺たちが社会を変えてやるぜ」なんて言いません。「ITをやっているなら、社会を変えるのは当たり前だろ?」という根底にある意識もまたhackmindだと思うんです。そして、みんなが彼らのいたずらっ気を寛容して、カッコいいと思っているから成り立っているわけです。

西村「バーニング・マンが心のよりどころになっている」というのはどういう感覚なんですか? 単に楽しいだけではなく、そこに行かないとできないこと、得られないものがあるということですか?

福岡一番は、究極の隣人愛ですね。何もない砂漠なので、準備せずに行ったら命が危険にさらされます。みんなで環境を守らないと生きていけないので、隣人愛にあふれるということです。

「バーニング・マン」では、人型の像を中心に円形の市街地を形成します。最後に人型の像を燃やして“バーニング・マン”になります。本当に何もない砂漠に1週間だけまちが出来るんですよ。真ん中にアートスペースがあり、でっかい作品が多数つくられます。砂漠ですので電気はないはずなのですが、みんなが発電機を持ってくるので夜も明るいんです。「俺が残りの69,999人を楽しませてやる!」という人ばかり集まってくるので、誰も受け身じゃないです。

西村つまり、ここを誰かが用意したわけじゃなくて、勝手に誰かが持ってきたり、勝手に誰かが作り始めたということですね。アート展示会のようにも見えますが、そうではなくて生きていく術も全部その場で作っていかないといけないわけですよね。

アートとして何かを表現せずとも、クリエイターとして何かを提供することが出来れば積極的に楽しめる場ということでしょうか。料理を作ってもいいし、自転車を配りはじめてもいいし、思いついたことをやってみて、それで何かをもらえるのならそれでもいいしという、そういう感覚の中で作品を作る人もいるし、それに参加する人もいて、ご飯作る人もいる。何かを生み出すことが出来ればクリエイターということだと認識しているのですが?

福岡そうですね。肩もみだけの人もいればフリーハグを一生懸命やっている人もいますし、いろんな人がいますよ。

都市のなかに“寛容性”を高めるには?

西村何か素敵なものを真ん中に置いて傍観者をつくるのは簡単ですが、どうすれば参加を増やせるのかがひとつ鍵だなと思います。いかに年代も職業も多様な人が参加してくれるのか。そういったことが、このセッションで見えてきたらいいなと思います。

西村阿部さんに聞いてみたいのですが、都市の中で寛容性を高めようとするには、どんなことが出来るのだろうって。

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阿部今の話を聞いて改めて思ったのは、「そもそも創造性を計画して作れるのか」ということです。たとえば、アーティストも含めてクリエイティブな活動をしはじめる人が、都市のどこを発見するかというと「周縁(フリンジ、fringe)」なんですよね。都市のフリンジは、必ずしも地理的な周縁だけではなくて、家賃が安くて、都心から遠すぎないエリアが“フリンジ性”を持っている場合もあります。計画された町なかや完全な郊外よりも自由度が高い場所を、うまく見つけていくことが創造都市につながる初期の話だと思うんですね。

ニューヨークのソーホー地区では、アーティストたちが倉庫などの工場建築をアトリエとして発見しました。建築で、建物の用途を転換して再利用することをコンバージョンと言いますが、空間の持つ規範性に自らをはめていくなかに妙なクリエイティビティというか、意外な組み合わせが生まれることはけっこうあると思うんですね。たとえば、京都芸術センターは元・明倫小学校でした。小学校建築だからこそ生きるアート作品の展示を見て、我々は「こういうマッチングもあるんだ」と、面白さを感じることもあるわけです。

あと、ひとつ思うのは、創造性って衝突や摩擦があってはじめて成り立つ気がするんです。たとえば、ヨーロッパではオープンカフェの席は必ず外から埋まっていくんですね。外が気もちいいというのがありますが、あれは「見る/見られる」の関係をちゃんと演じているからなんです。「振る舞う」という意識を発揮できるかどうかは、パブリックスペースのクオリティを判断するひとつの基準だと思います。そこが今、日本の空間の使い方は真逆に向かっていて、摩擦や衝突がない“やさしい空間”が増えていますよね。それは、本当は違うのではないかと思っています。

西村「見られる」こともけっこう大事なんですね。

阿部ある程度の緊張感があることも大事だと思います。よい議論のためには、対立構造がありようやく何かが相対化されるという話と一緒で。空間の使い方を通して、衝突や摩擦をどう埋め込んでいくのかということも、たぶん都市の価値になると思います。さきほど、福岡さんが「世代の断絶のない空間」とおっしゃっていましたが、そういう空間はあまり日本にないですよね。我々は仲間内でいる方が居心地いいはずなのに、あえて衝突や摩擦を埋め込むという、その矛盾した状況をどうマッチングしていくのかはひとつの課題だと思います。

環境のポテンシャルを読み取る能力とは?

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おふたりのお話を聞きながらいろいろ考えていたのですが、「ここではこういう行為をしなければいけない」という空間では自由に行動できないけれど、砂漠みたいなところでは何をやってもいいわけですよね。むしろ、自分で考えなければいけない。場と自分、場と仲間の関係が多様なほど、もしくは自分でデザインできる状況であるほどに、クリエイティブになっていく気がするんです。たとえば、さきほどの神戸の例では、本来の場の使い方を解き放したわけですよね。「ここで、こんなことをしていいんだ」ということをやると、新しい経験ができるし楽しい。人間と人間の関係を場が刺激してくれる。既存のルールが解き放たれることによる面白さがある気がしています。

クリエイティビティを刺激する、育てる、いたずら心が生まれるような場所がいいですね。誰がどう見ても「こう使う場所だね」としか思えない場所はつまらないわけです。そうではなく、人間側が環境にいたずらしてみたくなるというんですかね。そんな感情を起こしてくれるような場は、きっといろんな可能性を生むんじゃないかなと思います。

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西村砂漠は大きいし、水もなく生き延びるので精一杯だと思っていたのに、何かが始まったのを見た瞬間に「できるんだ!」「ここでやっていいんだ!」と思うわけですよね。そういう感覚ってどうやったらつくれるのかなと思っていて。

環境のポテンシャルを読み取る能力ってすごく必要だと思います。たとえば、ホワイトディナーを始めた方は、東遊園地のポテンシャルを見出したわけですよね。そこに来た人たちがさらに、自らのクリエイティビティを発揮しはじめるわけじゃないですか。最初に空間のポテンシャルを読み取って、場をつくった人はすごいなと思います。まちに、そういう仕掛けを起こせる人がいるかどうかはけっこう大切で。そういう人たちが「なぜ、そこでやろうと思ったか」というところにヒントがある気がします。

西村昨年12月にここ(ワコールスタディホール京都)でシンポジウムを開いたとき、大階段を見て「ステージにしか見えない」とおっしゃった先生がいて。階段上でプレゼンテーションやワークショップをしたんですね。それ以来、僕も階段がステージにしか見えないんです。言われたら納得するけれど、最初に階段をステージに見立てるクリエイティビティはすごかったなと思っていて。そこまでクリエイティブじゃなくても、ちょっと何かがあるだけで「こういう使い方もできるだろうか」と思いやすくなる、みたいな。参加感がちょっと沸き立つようなデザインの工夫はできると思いますか?

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福岡空間や環境より以前に、土地の気質みたいなものもあるのかなと思います。さきほども話したように、カルフォルニアにはhackmindを確かに感じるんです。ポートランドは、低刺激が充満しているような状態を、みんなで大事にしていこうという合意があると思うんですよね。テキサスのオースティンにはインディーズマインドがあって、市の職員が「Keep Austin Weird(ヘンなやつでいようぜ)」と書かれたサイケデリックカラーのTシャツを出して「これがオースティンの理念です」と言うわけです。

ところが、神戸には「進取の気風がある」と言いますが、それは居留地時代(幕末〜明治)の外国人の話で、僕たちはその残り香で食っているようなものです。今、新たな特徴として「進取の気風とは何か」を議論しているんですけど、僕自身は「実験都市」ということを背骨にしようと問いかけています。実験を楽しむ気風が、が自分たちのまちにあってほしいと思うんです。

余白を設計する/計画をつくり、そこからズラしていく

気質や土地の文化が、環境のポテンシャルに大きく影響するのはその通りだと思いますね。また、デザインする側からいうと、無駄に長く大きな階段、無駄に広いだけの空間など、ある種の余裕、無駄があると何かに気づきやすくなるのかなと思います。

阿部最近、建築の分野では「余白を設計する」という言い方があるのですが、私はそれ自体が計画行為だと思うんです。あと、矛盾を含んだ表現ですが、きちんとした計画があったからこそ使う際に少しズラして考えられる、そしてそのズラしが結果的に面白い空間性を生む、ということもけっこうあると思います。校舎でも、思いもよらないところで学生が話し込んでいたりするじゃないですか。結果的に、そうなることも見越して、計画の本筋を作り込むのもありだと思います。

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工場をアトリエにというのも、ひとつの機能からズラして見るからできるわけですよね。ただ、そこにはお金の問題もあると思います。立派なアトリエを借りるお金がないアーティストだからこそ、工場や倉庫をアトリエに見立てられるのではないでしょうか。そして、今までにないクリエイティブな空間が生まれて、フォロワーが出てくるというプロセスが「今、まちが面白く変化している」と我々が感じるときだと思います。

西村わかりかけてきたことを、うまく表現できないもどかしさがあるのですが。たとえば、この階段でコンサートをする人がいたら、「なんでここでやるのですか?」とちょっとその人の話を聴いてみたい感じが出てきます。もし、同じクオリティの演奏を普通のコンサートホールで聞いても面白味は感じないし、少なくとも「なぜここで?」と聞きたくはならないと思うんですね。ホワイトディナーも「なんで、突然白い服で集まっているんですか?」と聞きたくなりますよね。そこに、そんなに意味がないことに、すごく意味があるなと思うんです。

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アンマッチ、ミスマッチなところに、人は創造性を刺激されるのかなと思っていて。でも、阿部先生がおっしゃる通り、「じゃあ、それはデザインできるんだろうか?」という問いがもう一度戻ってくるんですよね。「デザインされた余白に、人はかっこよさや面白味を感じられるのだろうか?」と。発見する、自分で見つけて「なるほど」と思う感覚がすごく大事なんじゃないだろうかと。

ぐるぐる循環する矛盾のなかにハマってしまっているんですけども、空間や都市に何かのしかけを入れて、「なるほど面白い!」みたいなことが起きやすくできないだろうか、と。

阿部やり方としてもうひとつあるのは、似たようなことがいくつか連鎖的に起きる余地を、都市レベルで確保しておくことだと思います。たとえば、都市のなかにできた空き地を使いたい人は意外に多かったりします。バルセロナの空き地活用プログラムでは、長らく放置された空き地の使い方について企画書を集めて、コンペで勝った団体がNPOとして3〜5年使用することができます。もちろん、この事例は「制度化されているのでクリエイティビティがない」という見方もできますが、一方で誰かが空き地を使うことで動き出す何かもあると思うんですね。

キーワードは「暫定利用」だと僕は思います。暫定であること、可変であることが大切です。特に、都市の施設の場合は永続性が大前提になっていますから、なくなるなんて誰も思っていないわけですよね。永続性がベースになっているところを可変的に扱う、状態としての都市施設として扱っていくことで動いていくものがあると思います。ゼロか100かではなく、空き家であれば特定空き家化する前に使ってもらって家賃収入がある、ある種のシェアのかたちです。

時間を区切ることも大事だと思います。持ってしまうと手放しづらくなりますので「一瞬だけ貸して」というやりとりがあるのも面白いんじゃないかな。シェア自体は、今の時代を反映する取り組みだと思いますし、そこにちょっと時間軸を入れてみることにヒントがあるかなと思います。

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さきほど「無駄」という言葉を使いましたが、言い方を変えるとある種の「クセ」かなという気がしますね。クセのある場所は、いろいろ刺激をくれて「ここをこう使ってやろう」という気にさせてくれる。たとえば、リノベーション物件も、クセがあるからお宝発見みたいな気持ちになるんですよね。路地みたいな空間も何かしてみたくなります。何の変哲もない普通の空間だと、何かしてみようとは思わないですから。

西村また、ちょっとわかってきた気がします。僕は、この空間よりも下着が展示されている空間のほうが、明らかに他にないワコールらしい空間だと思うんです。階段も同じで「ここにしかない」という感覚がすごくあって、やる気が出るというか。「そう来たか」みたいな感じもあって「じゃあ、こういうことができる」という発想も出てきます。

そこを、暫定利用という考え方で「3ヶ月間のうち週一回ずつこういう使い方をしてみよう」という考え方はけっこう面白い。そうなると、ルールの話にもちょっと関わってきますね。はめ込むためのルールではなく、変えるためのルールをつくっておくことで、福岡さんみたいにちょっと面白い人が現れたときに何かが生まれるかもしれない。ちょっと会場から質問をいただいてみましょうか。

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兼松勇哉くんが空間の仕掛けにこだわっている理由を知りたくて。僕はアクティビティが最初だと思っていて、やりたいことがある人がそれをできる場所を見つけるんじゃないかな、と。面白い人がいて、その人たちの挑戦が増えてやっと場に意味が出てくるんじゃないかと思うんです。

西村僕たちの場合は、出かけていって何かをやることがほとんどで。そのときに「あ、ここでやりたい」という空間と、「ここは絶対いやだ」という空間に分かれるんです。たとえば、繰り返し合宿をしていた清里の清泉寮は、僕にとっては「ここは絶対に面白い」と思える遊園地みたいな場所なんです。その差を知りたいというのが一番大きくて。

つまんない空間が多すぎてイヤなんです。大学の机と椅子が固定されている大教室なんかは、正直言ってドライバーを持ってきて全員で壊したい。そうしたら、絶対クリエイティブになれるから。壊すだけでクリエイティブになれるということは、ものすごく疎外されているわけで。そんな空間で学生たちは4年間も閉じ込められて育つわけですね。どちらかというと虐待だな、と思うわけです。

そうしたときに、イヤだとは言えるけれど、何がイヤなのか、何がいいのかはなかなか言えない。建物のなかなのか、都市の話なのか、人が混ざり合うことについてなのか、わからないから聞いてみようという感じでした。

僕の問題意識としては、クリエイティビティを阻害しないためにはどうしたらいいのかということなんですね。最後に、ゲストのみなさんに、それぞれの観点から「クリエイティビティを阻害せず、いい社会をつくるには?」ということに関してコメントをいただいてクローズしたいと思います。

阿部多様性を支える側に立つには、いろんな「型」を知ることも大事だと思うんです。大学で言えば、知識や思考の型を持たずして現場に入ることは、批判精神なく見たこと聞いたことを鵜呑みにしてしまい、定番からのズレの部分が見えなくなってしまうんですね。定番の大切さを知ることで、クリエイティビティも発生するのではないかと思います。

人間って、環境に行動を制御されてしまうんですけれども、環境の影響を感じないようにできているらしいです。西村さんのように、環境からのコントロールを意識しながら生きている人はレアケースなんですね。だから、環境がクリエイティビティを疎外しているということは表立って問題になっていませんし、教室の環境もずっと続いてきてしまっているんだと思います。どうしたらいいのかわからないですけど、学術的に伝え続けること、なるべくよい建物を増やしてよい経験をしてもらい、そうではない場所で「ん?」と気づいてもらえば、どんどん変わっていくのかなと思います。

福岡もう、教師が学生に「社会はこうだ」と言えない時代ですし、我々自身が細かな実験をしながら確かめていかないといけない時代がもう来ています。変化は終らないし、ずっと変化が続くということは、実験もまた終らないわけですよね。だとするならば、日々面白いことを実験しつづけているほうが、人生は楽しいだろうと思います。僕はもう53歳ですが、これからも自分がブーストされたいし、まちがみんなが自分に合ったブースターを見つけて集まるような場であればいいと思います。

西村今日はありがとうございました。ここでおしまいにしたいと思います。

杉本恭子 ライター
京都在住のフリーライター。大阪出身。東京でさまざまなオンラインメディアの編集者を経験したのち、学生時代を過ごした京都でフリーに。現在は、人の言葉をありのままに聴くインタビューに取り組んでいます。Webマガジン「greenz.jp」シニアライター、「雛形」では徳島県・神山の女性たちにフォーカスした「かみやまの娘たち」を連載中。仏教が好き、お坊さんに詳しい。
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