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未来をよりよくしていくために。社会の盲点とどう関係性を築き直すか?【ミラツク年次フォーラム2019】

フォーラム

毎年12月23日に開催している「ミラツク年次フォーラム」。一般公開はせず、1年間ミラツクとご縁のあった方々に、感謝を込めてお集まりいただく招待制のフォーラムです。

基調セッションでは、「大阪大学大学院」教授の稲場圭信さん、「東京女子医科大学」教授の杉下智彦さん、海洋研究家の内野加奈子さん、「経済産業研究所」の佐分利応貴さんの4名に登壇いただき、「私たちはどこから来てどこへ向かうのか」というテーマでお話いただきました。

抽象的なテーマと個性あふれる顔ぶれに、どんな話になるのか想像もつかないまま始まった本セッション。人類の原点でもあるアフリカから、人類が世界中に拡散していった最終章とも言われるハワイの話、そして宗教がもたらす影響やこれからの社会と盲点との関係性まで、話はこれまでにない、まったく新しい視点をミラツク年次フォーラムに提供してくれました。

現在の社会に対する違和感や盲点から、未来をどんな視点で見つめ行動していくか。そんな数多くの発見と示唆に富んだセッションをお届けします。モデレーターはミラツク代表の西村です。

(フォーラム撮影:廣川慶明)

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって運営されています。http://room.emerging-future.org/

登壇者プロフィール
稲場圭信さん
大阪大学大学院人間科学研究科 教授/社会ソリューションイニシアティブ(SSI)基幹プロジェクト「地域資源とITによる減災・見守りシステムの構築」代表
学校、公民館、寺、神社、自治会などの地域資源と科学技術のコラボレーションによる新たな減災・見守りシステムの構築に取り組む「知と人のキュレーター」。東京大学文学部宗教学宗教史学専修課卒、ロンドン大学大学院博士課程修了。2000年に博士号を取得後、ロンドン大学、フランス社会科学高等研究院(EHESS)日本研究所、國學院大學日本文化研究所を経て、2003年4月に神戸大学助教授。2010年4月に大阪大学准教授となり、2016年4月より現職。専門は宗教的利他主義、宗教の社会貢献の研究。「宗教者災害救援ネットワーク」「宗教者災害救援マップ」の発起人・共同運営者、「宗教者災害支援連絡会」世話人、「未来共生災害救援マップ」運営者、無料オンラインジャーナル『宗教と社会貢献』編集委員長など、宗教と災害救援、社会貢献にまつわるさまざまなプロジェクトを立ち上げ、精力的に活動している。
杉下智彦さん
東京女子医科大学医学部 国際環境・熱帯医学講座 教授・講座主任
1990年、東北大学医学部を卒業。聖路加国際病院にて外科レジデント、チーフレジデントを経て、東北大学心臓外科医局にて心臓移植を研究。1995年から約3年間、青年海外協力隊に参加し「マラウイ共和国」の国立ゾンバ病院の外科医長として活動。2001年より「タンザニア共和国モロゴロ州保健行政強化プロジェクト」のチーフ・アドバイザーとして約4年間活動。2006年にはJICA人間開発部課題アドバイザーとして保健システム案件の立案や技術支援を行う。2009年、「ケニア国ニャンザ州保健マネージメント強化プロジェクト」のチーフ・アドバイザーに就任。2011年からはケニア国公衆衛生省アドバイザーを兼任。2013年に帰国。JICA国際協力専門員としてSDGs策定などの国際委員を務める。2016年10月より東京女子医科大学の国際環境・熱帯医学講座教授・講座主任に就任。第44回医療功労賞受賞。専門はグローバルヘルス学、地域保健学、医療人類学(伝統医療、妖術など)など。
内野加奈子さん
海洋研究家
東京都生まれ。慶応義塾大学総合政策学部卒業後、ハワイ大学大学院にて海洋学を学び、ハワイ州立海洋研究所でサンゴ礁研究に携わる。伝統航海術師マウ・ピアイルグ氏、ナイノア・トンプソン氏に師事し、海図やコンパスを使わない伝統航海カヌー「ホクレア」の日本人初のクルーとなる。北西ハワイ諸島航海など数多くの航海を経て、2007年にハワイから日本への航海に参加。帰国後、海や自然について学ぶ場づくりに取り組む。「海の学校」主宰。「特定非営利活動法人土佐山アカデミー」理事。著書に、高校教科書に採録された『ホクレア 星が教えてくれる道』(小学館)、海の絵本シリーズ『星と海と旅するカヌー』、『サンゴの海のひみつ』、紙芝居『雨つぶくんの大冒険』(いずれも、きみどり工房)など。
佐分利応貴さん
独立行政法人経済産業研究所 国際・広報ディレクター/研究コーディネーター(政策史担当)
1991年、京都大学経済学部を卒業後、通商産業省(現経済産業省)に入省。在エジプト日本国大使館一等書記官、東北大学公共政策大学院准教授、経済産業省通商政策局企画調査室長、農林水産省生産局花き産業振興室長、京都大学経済研究所准教授、総務省行政評価局評価監視官、笹川平和財団安全保障事業グループ長などを経て、2019年より現職。著書に『通商白書2009 ~ピンチをチャンスに変えるグローバル経済戦略~』〔編著〕、『ハイテク産業を創る地域エコシステム』〔共著〕、『加害者家族支援の理論と実践』〔共著〕などがある。

ちょっと変わった専門をもつ4人の登壇者

西村まずは、みなさんに自己紹介をしていただきたいと思います。

稲場さん大阪大学の稲場と申します。大阪大学では、2018年に「社会ソリューションイニシアティブ(SSI)」というシンクタンクをつくりました。私はそこで「地域資源とITによる減災・見守りシステムの構築」という基幹プロジェクトの代表をしています。西村さんには、SSIの特任准教授を務めていただいており、そのご縁で本日、ここに呼んでいただきました。

大阪大学には、4年前に人間科学研究科に共生学ができました。現代社会では、社会学、教育学、心理学などの既存の学問では社会課題は解決できないのではないか、新たな学系が必要ではないか、共に生きるというビジョンベースの学系をつくろうということで、このような共生学系がつくられました。

私自身は、もともとは社会学系のなかで宗教社会学という非常に地味な研究をしていましたが、そこから共生学系に移ることになり、今は科学技術なども導入しながら、お寺・神社などの地域資源を活用し、安心安全なまちづくりができるかということを研究しています。

杉下さん東京女子医大の杉下といいます。もともとは外科医師なんですけれども、今は大学で、グローバルヘルスという国際的な健康課題を教えたり、その研究をしたりしています。

アフリカ大好き人間で、アフリカに26年ぐらい前から関わり、そのうち12年はアフリカの現地に住んでいました。今日のテーマは「人間はどこからきてどこへ向かうのか」ですが、まさにアフリカは、タンザニアの「オルドヴァイ渓谷」というところでアウストラロピテクスが見つかり、類人猿から人類へ進化し、二足歩行になっていくという歴史の一番先端にあたる場所です。

私は伝統医といわれる人に1年ほど弟子入りしたこともあります。アフリカでは、今も呪いだとか妖術だとか、そういう目に見えない世界が存在しているんですね。特に病院にいるとそういう現場を目の当たりにします。その中に、私たちが昔は持っていたのに忘れてしまったものや本当は大切にしなければいけないマインドがある。アフリカの伝統社会から人間として学ぶことがたくさんあることを、特に日本に帰ってきてからよく感じています。

内野さん内野加奈子と申します。じつは海洋研究家と名乗ったのは、今日が初めてです(笑) 一般的な肩書きのない仕事をしているので、西村さんが名付け親になってくださいました。

私は11年ほどハワイに住んでいまして、2011年に帰国しました。初めての方も多いと思うので、今日は私のつくった絵本『星と海と旅するカヌー』を持ってきました。これは伝統航海カヌーのお話です。今アフリカの話がありましたけれども、ホモサピエンスが東アフリカから旅をして、世界中に拡散していった最終章が太平洋だと言われています。

みなさんご存知のとおり、ハワイは太平洋の真ん中にポツンとあって、世界で一番孤立した島とも言える場所です。そこに人類が最初にたどり着いたのは、今から1300年ほど前と考えられています。そのとき、人々はどのように島から島を移動したのか。その太平洋の人類の拡散を再現したのが伝統航海カヌーです。

(写真提供:内野加奈子)

内野さん私は20代のはじめにそのことを知りました。そして、そのような世界があるということに驚いて、ハワイに渡りました。当時は「そんな人たちを見てみたい」といった感覚だったんですけれども、あれよあれよというまに航海術のトレーニングを受けることになり、2007年にはハワイから日本まで、クルーの一員として5ヶ月かけてカヌーで海を渡りました。

その後は、人間が自然とどういうふうに関わりを持っていくのか、自然とどう生きていったらいいのかをテーマとしながら、日本各地で学びの場づくりや本をつくる活動をさせていただいております。

佐分利さん佐分利(さぶり)と申します。経済産業省のシンクタンクで働いている官僚です。みなさん意外とご存知ないのですが、官僚や役人というのは「社会のお医者さん」で、世の中の病気を治すのが役所の仕事です。学問分野では社会医学といいますが、医療をやったことのない人間が社会の病気を治すことがいかに大変かをひしひし感じながら、さまざまなことを研究し、問題提起や政策提言をするなど、世の中のいろいろな課題の解決に取り組んでいます。

私はこれまで15個ぐらい、いろいろな分野でいろいろな仕事をしました。今日の先生方のお話との関係で言えば、大学の先生や外交官もやりました。環境問題もやりましたし、宗教問題をやっていたこともあります。海洋にも関わっておりましたし、地域活性化に関わっていたこともあります。そんなふうに、これからもいろいろな問題に関わりながら社会の病気を治していきたいと思っております。どうぞよろしくお願いします。

社会を治す、という言葉への違和感

西村ありがとうございます。では、最初に杉下先生からお話を伺っていこうと思います。今、佐分利さんが「社会の病気を治す」というお話をされました。杉下さんはお医者さんで、お医者さんの仕事にも「社会を治す」という部分があるのかなと思います。そこで「社会を治す」ということについて、アフリカと日本を見ていて感じていることを、最初の切り口として提供していただけたらと思います。

杉下さんこの中に、薬を飲んでいたり治療中だったり、病気の人ってどのぐらいいます? 何人かはいますよね。

実はこれ、アフリカで同じ質問をすると全員が手を挙げるんです。元気な男の子に「なぜ病気なのか」と聞くと、「失恋して毎日泣いて心が苦しい、病気です」と。中年の女性に「なんで病気なんですか」って聞くと、「最近兄弟を亡くして毎日泣いている、寂しい、つらい、病気です」って言うんです。生きていれば、辛いことも苦しいこともありますよね。それは、アフリカではみんな病気なんです。

そして、そういう人たちが伝統医のところに行くんですね。つまり伝統医はいろいろな病気を治しているわけです。でもそれを西洋医学、つまり科学的に実証可能な医学でやろうとすると、それは僕には治せないよっていうことになります。でもこれ、本当は治さないといけないんだと思うんです。

例えば、いじめを受けてすごくつらくて元気もないっていうときに、それを一緒に解決しようっていうのが本来の医師の姿だと思うし、医療の根源のはずです。

でも僕らはわかりやすいもの、もしくは検査データでわかるものだけを「disease(「疾患」の意味)」にして、それを治すことだけに邁進しています。そのせいで、ソーシャルサファリングと呼ばれるように、社会的な苦痛がある人たちは置いてけぼりになっている。西洋的な医学は、治せる病気を規定することで、逆にがんじがらめの社会をつくってきちゃったんですね。

アフリカには、みんなで一緒に人間の悲しみや苦しみを見てあげようという社会がある。みんなで支え合うし、それができる伝統医もいて、薬草もある。そもそものマインドや、社会全体でそれをサポートするシステムがまったく違うと感じています。そういうところをある意味で、僕らもつくっていかないといけないんじゃないか。そうしないと、社会的脆弱者がますます生まれるんじゃないかという危惧を覚えています。

(写真提供:杉下智彦)

西村ここで稲場先生に聞くとまともな話になるので(笑)、あえて内野さんに聞こうかなと思います。「社会を治す」みたいな話ってどう思いますか?

内野さんパッと思い浮かんだのは、「治す」ということは、つまり今がダメということになるんじゃないかということです。もちろん、一つひとつうまくいってないところはあると思いますし、変えなきゃいけない部分もたくさんあります。私もそれは感じますけれども、それに対して「治す」っていう意識でいいのかなと、「社会を治す」っていう言葉にちょっと違和感を覚えました。

例えば、海で珊瑚が死んでいるとします。じゃあ私たちがそこを治すのかというと、それにはすごく違和感を感じます。治すのではなく、自然が本当はどういう状態であるのか、どういう状態になりたいのかをよく観察して、自分たちがそこでできることがあればする。妨げがあれば取り除く。そういうことをしていくのが、私が海で大切にしている姿勢です。

大切なのはその場との関係性を築くこと

西村どうすれば、珊瑚はどうしたいかなと観察するような関わり方ができるんでしょうか。そのときに内野さんが考えていることや、いつもはこういうふうに海と関わっているっていうことを教えていただけますか。

内野さん珊瑚がどうしたいかって言うとちょっと行動的ですね。どちらかと言うと、「どんな状態だと珊瑚がいちばん生き生きするか」といった感じかもしれません。私が大事にしている姿勢は「関係性を築く」ということですね。その場にたくさん足を運び、実際に自分の目で見てその場所をもっと知る、もっと見る。それと、流れが滞っているところがないかを見ることは大事にしていますね。

西村すごく知りたい。どうしたら流れが淀んでいるとか流れが整うみたいなことが見られるようになるんですか。

内野さんそれはやはり、どれだけその場所と関係性をつくるかだと思います。この場所はこう、と私たちが決めることはできません。どういう状態にあるのかは日々変わっていくので、その場所をいかに深く知り、関係性を深く築いていけるかが大切なのだと思います。

自然の中での人の仕事とは?

西村そういう中で、人間はどうやって生活していけばいいんですか?

内野さん私は、人間は自然の中でプラスに働けるという意識を持っています。先日「KINTO」というWebサイトに「人の仕事」というエッセイを書きました。そのエッセイには、ある猟師さんのお話から私が感じたことを書きました。彼は森に毎日入って、その先に森との関係性をしっかりつくっている人です。

例えば、森に行くと風が吹いていますよね。木が生えていて、土があります。そこでは、木は木の仕事をしていて、土は土の仕事をしています。風は吹き抜けることで無駄な枝を落とし、水は地形をつくって、栄養分を運ぶ。そういうふうにそれぞれが仕事をしていると捉えたときに、「じゃあ自然の中での人の仕事ってなんだろう」と彼は考えるんです。

森にも淀んでいるところ、つまっているところ、何かがおかしいところがあるのだそうです。そうすると「あそことあそこがおかしいから治そう」ではなく、「手が勝手に動いちゃう」みたいな感じになるのだそうです。落ち葉が溜まって川の流れが淀んでいたら、つい取り除いてしまう。そんなふうに、動かされてしまう感覚を持っていると話していて。

何かを気持ちいいと思ったり、心地いいと思う感覚は、人間が当たり前に持っている感覚です。つまり人の仕事とは、私たちが持っている感覚を大事にしつつ、「違うな」っていうところをなんとかしていくことなのかなと思います。きれいにしてある清々しい神社や気が流れていると感じるところに行くと気持ちがいいですよね。私は神社やお寺は、人間が「何が心地いいのか」を思い出す場の一つだと思っています。

日本人が持つ「無自覚の宗教性」

西村お寺や神社の話が出たので稲場さんに伺います。今の内野さんの話みたいに、気持ちいいと感じる場所や気持ちいいと感じるものに対しての宗教の価値、あるいは宗教施設の価値についてお話いただきたいなと。

稲場さんマインドセットができる場っていうのはあると思うんですね。できる場所があって、偶然のタイミングがあって、マインドセットが起きる。それを意図してやろうとするのがマインドフルネスですよね。

ただ、あえてそういうふうにしようとしなくても、ある場所に行ったら、気がついたらそうなってしまう、ということがある。宗教的な空間にはそういうものがあると思います。もちろん、人によっては感じられなかったり、あるいは同じ人でもその人の置かれている状況によって難しい場合もあると思います。

今から20年ほど前に、WHOがある提言をしました。健康の概念は、フィジカル、メンタル、ソーシャルですよね。体と心、それから社会。そこにスピリチュアルを入れて、健康概念を4つの領域で見ようという提言でした。でも、スピリチュアリティは文化圏によって意味することが多様だったため、取り入れるのが難しくて、結局WHOの健康概念は変わりませんでした。

日本社会は、自覚的な宗教者が非常に少ない国です。各種意識調査や価値観調査をして、宗教を信じていますかと聞くと、イエスと答える人は20%ほどです。逆に言えば、8割が無宗教だと思っています。ところがそうであるにも関わらず、お寺や神社に行ったらみんなが自然と祈っている。ご先祖様、仏様、おかげさまっていう感覚を多くの人がもっているんですね。これを私は「無自覚の宗教性」と呼んでいます。

これが、利益効率中心で、人を物のように切り捨てていく後期近代社会の大きな動きの中で、別の視点を日本人に与え続けていくのではないかという気がしています。

大いなるものと信頼関係を築くということ

西村内野さん、僕はハワイが好きで、毎年必ず行くんです。でも、なんで好きなのかよくわからない。海があるとか、ゆっくりできるとか適当な理由を言うんですけど、海があってゆっくりできたらどこでもいいのかっていうとちょっと違う。それってなんなのかなと思っていて。お寺や神社に行くと自然と整うという話があったんですけど、例えばなぜハワイはすごくいい感じなのか。それがわかると僕はだいぶ気持ちが楽になります。

内野さん私も、ハワイに住んで6年目ぐらいに同じ疑問を持ちました。ほかにも同じぐらいきれいな海はあるし、気持ちがいいところもいっぱいある。なのに、なぜ私はハワイがいいんだろうって。

さきほど稲場先生がおっしゃっていた、健康の概念にスピリチュアリティを足すかどうかというお話を聞いて私が感じたのは、日本だとどうしてもスピリチュアリティという言葉にまとわりつく意味みたいなものがあるということです。

でもハワイは多文化の島で、純血のハワイ人は人口の1割もいません。ほとんどの人にいろいろな血が混ざっています。ハワイの子どもたちから「カナは何人?」と聞かれて「100%日本人だよ」と答えるとざわめくんです。クラスルームにそういう意味の純血という人はいない社会で、宗教もバラバラです。

でも、そんななかでみんなが共通してもっているのは「アロハ」の精神です。「アロ」は「そこにある」、「ハ」は「息・生命」といった意味です。「アロハ」は挨拶の言葉であると同時に、思いやり、ねぎらい、敬意、無償の愛といった意味も持っていて、自然や宇宙など、大いなるものと共に生きることへの深い信頼感も表しています。

それをスピリチュアリティと呼んでいる部分があるんですね。大いなるものの一部として生きるという感覚が、社会のあちこちに現れていて、それが相対的な暮らしやすさにつながっているのではないか。それが、そのときの私の結論でした。

西村もう一つ内野さんに聞きたいんですけど、船の上はどうなんですか?

内野さん船の上は、その極みですよね。海に命を預けるっていう状態になっているので。だから私は、海の上では心を整えることをすごく大事にしていました。カヌーには「漕ぐ」というイメージがあるかもしれませんが、実際のカヌーは20メートルぐらいあって、人力だけではとても進めません。

海を数千キロ渡るために、風の力を使います。すると「大自然には勝てない」とわかります。風は誰にも変えられない、そこはすごくクリアです。大自然に勝つことはできない。けれど風を読み、帆を操ることで、前に進む力に変えることはできる。「大いなるもの」というと漠然となりがちなものが、もっと具体的に「海」「風」「太陽」として、そこにあるんです。だから自分たちは進んでいけるし、命も支えられている。でも同時に、それは命を奪うものでもある。

矛盾し、相反しているようにも感じられるかもしれませんが、共に毎日を生きる中で、海に対する完全な信頼感もありました。「あなたがそうするなら受け入れます」という気持ちを持つようになっていましたね。

(写真提供:内野加奈子)

西村もう一つだけ。海が怖いときはどうするんですか。

内野さん何が起こるのかわからない、そしてその結果に対して、こうなってほしくないと思うときに怖さを感じると思うんです。でも私はキャプテンと師匠に恵まれていて、「海に出る前に何をしなければいけないか」をとことん教わったんですね。

その一つが、海で多くの時間を過ごすこと。カヌーで500時間過ごすなら、その3倍の時間を海で過ごしなさいと言われました。それで私は、ハワイにいるときは365日、何かしらの形で必ず海に接していました。

そうすると、嵐にあっても「怖い」という気持ちが出てくることはなかったんです。そう言うと強靭な精神力の話に聞こえるかもしれないんですけど、そうではなくて、関係性の中で「自分が今ここにいる」という立ち位置が組み合うというか。「恐れを包み込みなさい」と出発前に何度も言われました。

フローが気持ちよさの源泉になる

杉下さん神社や海のように、ちゃんとフローが感じられる場所はとても大切だと思うんですね。アフリカの伝統医療の一つに「タトゥーセラピー」があります。それは患部に小さい傷をつけて、そこに薬草を塗り込んで病気を治す方法です。

それにどういう意味があるのかは、なかなかわかりませんでした。だって、体にわざわざ穴を開けて薬を塗り込むんです。それで伝統医学を学んだときに、医療人類学の大家、英国UCL大学のラスト先生に「なぜそんなセラピーをするのか」と聞いたら、衝撃的な答えが返ってきました。先生は黒板にホースみたいなのを書いて、バッテンをしたんです。それから、その横に切り口をつけて、そっちに流れるようにした。

アフリカの病気は、口から入って下から出るというフローが止まってしまうことを指します。だから多くの治療は流れをよくする薬草を使ったり、傷をつけてそこから新しい流れをつくる考え方になるんですね。フローが、気持ちよさの源泉という感覚があるんだと思います。日本でも、そういう流れをサポートできるシステムがあれば、「ウェルビーイング」とか言わなくても、もっと気持ちよくなれるんじゃないかなと思います。

例えば、私たちが朝起きて、あー仕事に行かなきゃいけない、学校に行かなきゃいけないって憂鬱になるときは、フローがそこで止まっているんですね。そういう生きづらい部分をリリースして流れをつくっていく。おそらく海とか山とか自然、もしくは神社とか、昔から大切にされている場所は、フローが得られやすいんじゃないでしょうか。

目に見える物差しはすべてを「点」にする

西村ちょっと違う方向にいってみたいと思います。そういったものと、経済や社会とはどうやって付き合っていけばいいでしょうか。佐分利さんは、今日はそういう担当です。

佐分利さんそうなんですか。やっと今日の役割がわかりました(笑)

近代社会は目に見えるモノサシをつくることで発達してきました。2019年は雑誌『ネイチャー』の創刊150周年でしたが、その150年で目に見えるモノサシがいろいろ発明されて、それが世の中に普及していきました。その結果何が起こったかと言うと、神が死んで、すべての責任が人間に覆いかぶさってきたわけです。

内野さんが「社会を治す」ということに違和感があるとおっしゃいましたが、確かにそのとおりで、昔の人間は社会を治そうなんて思ってないんですね。人間を治せるとすら思っていません。それは神様が決めることであって我々の力では及ばない、そういう一定の制限がありました。

でも近代科学によって、我々は万能であり、自然を征服できて、物事のすべてを理解できると思い込んでしまった。そのために、世の中のすべての問題が自分たちの責任になってしまい、それで苦しい思いをしているわけですね。

目に見えるモノサシの発明のなかで重要なのがGDPですね。GDPは、20世紀最大の発明の一つだと思います。これによって人間は富をはかり、コントロールできるようになって、経済も発展しました。あるいは「偏差値」。これは日本の中学の先生が発明したんです。しかし、それがいまや学歴格差を生み、大学入試改革をするかしないかということで大混乱していますよね。人間が、自ら発明したモノサシによって呪縛にあってしまっているんです。

これから先何が起こるかと言うと、経済の世界においても、GDPに替わるようないろいろな形のモノサシが出てくると思います。その一つが「Gross National Happiness(国民総幸福量)」といわれているものですね。しかし指標としてはまだ未熟な部分があり、普及していません。

でもこれからは、ビッグデータによってさらにすごいモノサシが出てきます。これが最近、私が研究していることなんですが、人々の笑顔やドーパミンなどが出るときから、幸せを感じとる場所や数値が全部わかるようになっちゃうんです。怖いですね。またしても、神様の領域に手を突っ込んでいるわけです。

誰と誰が会話していて、そのときの声がどうだったのか、あるいは笑顔がどうだったのか。そのあと生産性が上がったのか下がったのか、そういった人々のコミュニケーションのログもすでに取り始めています。これからは、「社員が幸せかどうか」が会社の業績に反映することになるので、未来は、すごいことになっていくと思います。

西村うーん、僕は笑顔を測られるのは嫌なんですけど。そもそもそんなに笑顔にならない人間ですし。だからって日々不機嫌かと言うと、機嫌はいいです。それで、確かにそうなんだけど、それだけって言われたら嫌なことって多いなと思いました。

GDPは国の富を測れているのかもしれないですし、ないよりはいいのかもしれません。でもそれだけって言われたら、それだけじゃないよな、みたいな感じになる。そういうときに、ほかの面も見ることが課題なんじゃないかなと思います。

佐分利さんまったくおっしゃるとおりで、偏差値がなぜ目先のことだけになるのかと言うと、4次元の人間、3次元の子どもが時間とともに変化するので4次元ですが、これを一つの「点」にして並べるからです。点になると、その子のほかのすべての良いところが消えてなくなってしまいます。気持ち悪いですよね。数値化されるというのはそういうことです。

社会の盲点とどう関係性を築き直せるか

西村今回の「ミラツクアワード」は内野さんにお渡ししたんです。なぜかと言うと、星や海、物語、宇宙は「なんかいいね」と思うんだけど、「あまり価値がないね」と現代では言われ出している。そう分けちゃってること自体が盲点なんだろうなと思ったんです。この先何がもう少しよくできるんだろうと考えたとき、盲点みたいなことがすごく大事なんじゃないかと思ったんですね。

星はみんな好きだけど、日々、星の話はしませんよね。でも内野さんみたいに、日々、星の話をしている人がいる。みんなの盲点の中をメインストリームとして生きてきた人がいる。ある意味でこの先のメインストリームにもなりえるわけですよね。それは今、お話を聞かないといけないなと思いました。

最後に、社会の盲点とどう関係性を築き直せるかを考えたいと思います。みなさんのご意見を伺いたいです。

稲場さん先ほど、GDPや偏差値などの指標の話が出ました。表情の数値化を、多くの人が気持ち悪いと思いながらも科学はどんどんそちらに進んでいきます。なぜかと言うと単純に、わかりやすいからですね。

一部を切り取るとそれが非常によく見えるようになって、序列化され、あとはダメだということになる。我々は、常にそういう評価の中で生きてきました。我々が生きている数値化された社会は、たとえ理科の点数で80点とっても、国語が50点だったらもっと頑張りなさいと言われてしまう社会です。そういうガンバリズムの社会でどんどん追いやられていって、苦しくなってきている。

でも数値化は今後もどんどん進んでいくだろうし、AIの力でいろいろなものが勝手に動くようにもなります。だからこそ人間は、意識的に別の視点を持たないといけません。一部の物差しで、数値的に上の人だけを集めていったら、たぶん社会は終わります。

丸ごとのあなたが大切なんです、今ここにいるあなたが大事なんです。これができない、あれができない、そういうものを丸ごと認めていく多様性が、社会をもっと強くしていきます。そういう多様性を担保していく社会をどうつくるかということが第一なのかなと思います。

杉下さんマインドセットの面力という意味では、今、分類ということにすごく関心があります。私はSDGsを策定するための国際委員をやっていたんですけれども、そのときに「ユニバーサリズム(「普遍性を重視する普遍主義」の意味)」の話がありました。私も、国家や民族を超えた真のユニバーサリズムは本当にありえるのかという観点から、いろいろなことを考えさせられてきました。

ノーベル平和賞を受賞されたデニス・ムクウェゲ医師というコンゴの産婦人科の先生がいます。彼は性暴力被害を受けた女性の救済のために、パンジ病院という病院を主宰されている先生です。そのノーベル平和賞の受賞記念で東大で講演されたときに、参加者の一人がこう質問しました。「日本人に何を期待しますか?」って。

それはとても単純な質問だったんですけど、彼はかなり辛辣な回答をしたんです。「これはコンゴの問題だ、アフリカの問題だって日本のみなさんはそう言います。違います。これは人類の問題です。なぜ地球規模の問題をアフリカのような対岸の問題にして、自分を安全地帯の中に分類してしまうのですか」と。

原発の問題もいつのまにかにか福島の問題になっていますよね。でも本当は人類の問題だと思います。そういうふうに、私たちは「これはあそこの問題」と紐づけるように思考訓練でセットされ、安全地帯の私たちと対岸の向こうの問題としてしまっている。つまり、本当のユニバーサリズムになっていないんですね。

そういうマインドを私たち自身が乗り越えるために、大学でも「アンラーニング」を始めています。アンラーニングとは、真実を見るための学び方の「パースペクティブ(「見通し、視野」の意味)」をしっかりと頭に入れた上で、対象の物事を見ることです。

どうやったら学んできたものを学び捨てられるか。そうすれば、もうちょっと面的な考え方を持てる人たちが育つかもしれないし、みんなが社会課題を自分ごととして見られるようになるんじゃないかなと思います。私はここが一番やりたいなと。

「私」を含めたコンスタレーションで世界を見る

内野さん先ほど3次元の子どもを点で表現してしまう偏差値のお話がありましたが、河合隼雄先生が京都大学の最終講義で「コンスタレーション」というテーマでお話をされたんですね。コンスタレーションは星座、配置、連なっているものという意味です。

その中で、Aということが起こったときに、Aの後ろには何があるのか。たくさんの点と点の連なり、その関係性をどのように見ていくのか。その一つひとつのコンスタレーションを見ていくのが大切だとおっしゃっていました。

さらに大事なのは、そのコンスタレーションに自分を含めること。私たちが海の上で航海術を使うときは、星を読みます。星は、私たちから見ると平面状に見えます。でも宇宙空間では立体的にあるわけですから、その立体的な関係性の中に自分を置くという感じです。航海術は平面対自分ではなく、たくさんの宇宙空間にあるものの中の自分、その星々と自分の関係性を読んでいくところから始まっています。そこに「私」も含めないと意味がないんです。

一瞬の中にはいろいろなことが含まれています。もちろん、それを全部表現するのは難しい。いちいちコンスタレーションしていたら大変なんですよ。例えば、飲み物を買いたいだけなのに、お店の人に「喉が乾いてるんですね、その後ろに何かありますねぇ」って言われたら大変(笑)

それがないのもいいことで、そのおかげで私たちは快適さをつくっています。でも、それを全部に当てはめたらどうなるのか。河合先生は、一瞬にすべてが含まれることを表現していくために、人間は物語という手法を使うのではないかとも話していました。

私の海の研究の専門は珊瑚です。珊瑚が直面する問題も、昔とは変わってきています。以前はある珊瑚がダメになれば、その付近の陸で何かが起こっていました。それをやめれば珊瑚は元に戻ったのですが、今は違います。海が全体的に酸性化し、海水温も上がっている。そういう課題にどう向きあえばいいのか。東京の暮らしのあり方がハワイの珊瑚に影響しているかもしれません。そのつながり、コンスタレーションは、具体的な手触りが持ちにくい。

手触りの持ちにくい課題にどう向き合うのか、だと思うんです。そこは杉下先生が興味があるとおっしゃっていたことと近いのかなと思います。その手触りをどういうふうにつくっていくのか、もしくは持てる人間になっていくのかが、自分自身の探求のポイントだと思っています。

佐分利さん私の研究テーマである「社会の病気を治す」ですが、そのためのステップが4つあります。一つは問題を発見することです。次に問題や目標を定義すること。それから手を打つこと。そして最後に評価をすることです。

この中で一番「難しい」のは2番目の目標設定です。それさえできてしまえば、つまり、数値化された目標があれば、最後は意外となんとかなります。みんながその方向に行けばいいってわかるからですね。ただ、一番「大事」なのは問題の発見です。これは移行確率なので、最初ができないと次に行けません。つまり、問題が発見されないとそれはずっと残されたままです。

じゃあどうやって発見するのか。ここで重要になるのがコミュニケーションです。コミュニケーションがないと何の発見もできないし、共通の目標設定もできません。常に、コミュニケーションが真ん中にあるわけですね。そういう意味では人類の文明の力がここまで大きくなったのは、共感力の大きさにあるんです。

科学技術が進歩しても共感力がなかったら実際にはここまではこなかった。その共感力の部分を、これから先どれだけ高められるかが未来に対するチャレンジです。そこをしっかりコンスタレーションして、数字だけじゃなく、手触りや感度を持って見ていくようになりたいなと、今日のお話をお聞きして思いました。

西村ありがとうございます。すごく面白かったです。面白かったのは、今日の話がまさに僕の盲点だったから、ですね。それを知ることができたので、自分にとってもすごくいいセッションになったなと思います。

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次回ミラツクフォーラムに参加を希望される方は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」にご参加ください。ミラツクフォーラムは、メンバー向けの招待制の会として開催されます。
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NPO法人ミラツク では、2016~2019の4年間でミラツク年次フォーラムにおいて行われた33のセッションの記事を分析し、783要素、小項目441、中項目172、大項目46に構造化しました。詳しくは「こちら」をご覧ください。
平川友紀 ライター
リアリティを残し、行間を拾う、ストーリーライター・文筆家。greenz.jpシニアライター。1979年生まれ。20代前半を音楽インディーズ雑誌の編集長として過ごし、生き方や表現について多くのミュージシャンから影響を受けた。2006年、神奈川県の里山のまち、旧藤野町(相模原市緑区)に移住。その多様性のあるコミュニティにすっかり魅了され、気づけばまちづくり、暮らしなどを主なテーマに執筆中。