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一つの枠で様々なアプローチが可能な「物理」という営みを、社会に“ひらく”。東北大学教授、株式会社シグマアイ代表取締役CEO・大関真之さん【インタビューシリーズ「未来をテクノロジーから考える」】

ROOM

インタビューシリーズ「未来をテクノロジーから考える」は、ミラツク代表・西村勇哉がインタビュアーとなり、「テクノロジーを駆使して未来を切り拓く」活動を行なっている人たちにお話を聞くオリジナルコンテンツです。

第10回は、世界中で注目を集めている量子コンピューティング技術の「量子アニーリング」を活用し、ひとりひとりがあらゆる制約から解き放たれる社会の実現に向けて挑戦している、東北大学教授であり「株式会社シグマアイ」の代表取締役CEOの大関真之さんにインタビュー。

IoTが社会生活に広がり、より膨大なデータを高速に処理することが必須となった今、従来型コンピュータは限界を迎えています。そこで従来型コンピュータに代わる全く新しい原理のデバイスとして量子コンピュータが登場していますが、従来型コンピュータが苦手としていた“組合せ最適化問題”に威力を発揮するものの、実用化にはまだハードルも。

そこで注目されているのが、量子コンピュータの能力のひとつである“アニーリング(最適解の検索を行うアルゴリズム)技術”を使った量子アニーリングです。この技術により、膨大な選択肢が考えられる状況において、最善な選択を行える可能性が飛躍的に高まります。

「ありとあらゆる手段を使って世の中を幸せにしていきたい」と語る大関さん。量子アニーリングには何ができるのか。技術だけが発展しても人は幸せにならない? 真の産学連携実現のために必要なこと。大学教授とスタートアップ経営者という二足のわらじで活躍する大関さんが感じている課題とは。イタリアでの孤独な研究生活などを経て、「人間に必要なのは『ムダ』」と確信するようになった大関さんが見る未来について伺いました。

(構成・執筆:代麻理子)

大関真之(おおぜき・まさゆき)
東北大学大学院情報科学研究科情報基礎科学専攻・教授。株式会社シグマアイ代表取締役CEO。
1982年東京生まれ。2008年東京工業大学大学院理工学研究科物性物理学専攻博士課程早期修了。東京工業大学産学官連携研究員、ローマ大学物理学科研究員、京都大学大学院情報学研究科システム科学専攻助教を経て東北大学大学院情報科学研究科応用情報科学専攻教授。非常に複雑な多数の要素間の関係や集団としての性質を明らかにする統計力学と呼ばれる学問体系を切り口として、機械学習を始めとする現代のキーテクノロジーを独自の表現で理解して、広く社会に普及させることを目指している。大量の情報から本質的な部分を抽出する、または少数の情報から満足のいく精度で背後にある構造を明らかにすることができる「スパースモデリング」や、次世代コンピュータとして期待される量子コンピュータ、とりわけ「量子アニーリング」形式に関する研究活動を展開している。2019年4月には東北大学発のスタートアップであるシグマアイを創業。2016年度文部科学大臣表彰若手科学者賞受賞。近著に「Pythonで機械学習入門-深層学習から敵対的生成ネットワークまで-」、「量子コンピュータが変える未来」(共著)がある。

ありとあらゆる手段を使って世の中を幸せにしたい

西村大関先生とお話できることを楽しみにしていました。まずはじめに、自己紹介と大関先生がどんなことを行なっているのか、から始めたいと思います。よろしくお願いします。

大関はい、よろしくお願いします。今年の1月から東北大学の教授に任命され、自由が効かなくなるのではと戦々恐々としている大関真之です(笑)。兼業として、株式会社シグマアイの代表も務めています。シグマアイは量子アニーリングの産業応用を推進することを通し、真の産学連携の在り方を築くという理念で2019年の4月に発足した東北大学発のスタートアップ企業です。

自己紹介ということで、最近のマイブームをお伝えすると、今自分の中で流行っているのは映像授業です。僕は、オンラインでなくなったのは黒板と雑談だと思っていて。以前、大学受験用の予備校講師をやっていたこともあり、授業をすることや、人にものを伝えること、新しいことを浸透させるのが好きなんですよね。

コロナ渦でオンラインで授業を行うことになり、自分の部屋にスタジオをつくりました。YouTuberとは言いませんが、こういうことができるんだ、というのを今味わっています。

本インタビュー当日の様子。西村も代も冒頭から前のめりに

高校生の頃は3DコンピュータグラフィックのフルCG映画をつくっていたこともあり、元々映像系や、物が動くこと、人に伝えるなどの表現が好きでした。物理で学位を取得したので物理学者という側面があったり、研究自体は情報科学研究科なので情報科学者な側面もあるんですが、一般的にイメージされる学者像とはだいぶ異なるタイプかもしれません(笑)。

好奇心が旺盛で、新しいものが好きなんでしょうね。でも、本当の意味での「新しいもの」は学術からだけで生まれるわけでもないだろうとも思っています。サービスやビジネスをはじめ、新しいものとは「欲しい」という欲望だけから生まれるわけではないだろうし、という考えの元、ありとあらゆる手段を使って世の中を幸せにしていこうと思っている人間です。

西村その配信方法、めちゃくちゃカッコいいですね。

大関学生からのコメントが流れるようになっているので、「最近どう?」と聞くと、「今、トマト煮つくりながら聞いてます」と答える学生や、「成人式で元カノと遭遇しちゃいました」と答える学生なんかもいたりして(笑)。そうやって学生の身の上話を聞きながら、ラジオ番組風に配信しているんですね。それで彼らの気持ちがわかってきたら、「じゃあそろそろ真面目な授業をやりますかね」と授業を始めるんです。

授業中も学生からのコメントを配信画面に表示できるようにしていて。すると僕が講義している内容に対して「そこは間違っていませんか?」「この部分はわかりにくいです」などの声もリアルタイムで寄せられて、それが画面に投影されるから、僕自身もおもしろくて。大学教授という職業上、教育内容にはもちろん責任を持っているけれど、気持ちの上では「遊び」の感覚ですね。それは大切にしたいと思っています。

さまざまなツールを組み合わせてつくりだしたスタジオから授業を配信している

オンラインでも前のめりになるようなインタラクティブな授業を

大関この動画配信システムも、すべて既存の無料サービスを組み合わせてつくっているんですよ。なんでも組み合わせれば、なんとかなるんだなと。学生の声をリアルタイムで画面に投影すると、むしろ今までの対面授業よりもインタラクティブな授業を行えている感があるんです。

誤解を恐れずに言うと、これはある意味で公教育への挑戦なんですよね。コロナ禍でオンライン授業が推奨されだしたところはありますが、やっぱりまだ「対面でしっかりやりたまえ」という価値観も色濃く残っています。大教室で行う授業はコンサートのような気持ちにもなるから、僕自身も対面授業は好きですが、学生が静かな「お客さん」になってしまいがちでした。だから真の意味ではコンサートにはなっていなかった。

オンライン生活が浸透して、ZoomなどのオンラインWebミーティングに人々は慣れてきて、スムーズに利用できるようにはなりましたが、コミュニケーションやつながり、前のめりになるような興奮感にはやはり欠けるところがあると課題として感じていました。だったら今できることとして、それをオンラインで実現可能にしたらいいんじゃないかと思い、つくってみた。つくったといっても、先ほど言ったように既存の無料ツールを組み合わせているだけなので、コストがかかるような大層なものではありません。

対面授業でなくても、オンラインでもおもしろいことができると示せたら政府も「対面に戻しなさい」とは言いづらいじゃないですか。この方法だと、むしろ大教室がないような環境でも、受けている人が前のめりになる授業が行えます。僕はこれを実験だと思っているんですよ。人類における新しいコミュニケーションの実験だと。学生からのコメントは匿名投稿にしているので、悪口含め、よくない表現が投稿される可能性はある。

一方で、おもしろいことをやればそうネガティブな感情や表現は出てこないのではないか、とも思うんです。だから、ある意味で賭けというか勝負なんですよね。従来の大型教室での授業は、「なんかあの先生おもしろいね、ププッ」みたいなささいな声は教員のほうには届かなかった。逆もまた然りです。お互いに、聞いてもらえるならもっと聞こう、伝えよう、となる気がして。実際にこの形式にし始めてからしばらく経ちますが、革命が起きているような感覚です。

学生のリアルな声が画面上に投影される。この仕組みを取り入れてからチャットが活性化した

先日、Zoomを利用しての外部向けイベントを行なったのですが、その際にチャットをリアルタイムで講義画面に表示するようにしたら、それまで静まり返っていたチャットが活性化して、老若男女問わず多くの人が書き込んでくれたんですね。みなさんもご経験があるかと思うんですが、普通に配信するとどうしてもチャット欄が静まりがちですよね。聞いている人が受け身になってしまうというか。

けれど、みんなが見ている画面に自分が書いたことが表示されて、スピーカーが「反応してくれる人」になると、発言したくなる。「会えるアイドル」「握手ができるアイドル」ではありませんが、これからの大学の教員は気軽につながれて聞きたいことが聞ける、というふうにすると裾野が広がると思うんです。今までは、大学や技術が遠いもののように感じていた人でも、こんな感じの気軽感だったら「この人にだったら聞いてみようかな」と思うじゃないですか。

「この人なら助けてくれるかも」と思ってもらえるような人や会社でありたい

大関これだけ技術が発達すると、どうしても中身がいいだけでは振り向いてもらいづらい。かといって詐欺は嫌だし、「わかりやすさ」ってなんだろうと考えたんですね。例えば、言葉が短い、映像があるなどはもちろん要素としてあると思いますが、「この人なら助けてくれるかも」と思ってもらえるかどうかだという気がして。

技術はもうみんな持っているし、ディープラーニングなども少し勉強すれば誰だってできる。そうなったときに、じゃあ誰に悩みを解いて欲しいと思うのか。解けないにしても、解けそうな技術や人を紹介してもらうだとか、「まずこの人に聞いてみよう」と思ってもらえるかが大切です。

これからの大学や技術は訴求力が勝負になると考えているので、ホスピタリティ全開でいこうと思っています。僕は大学の教員でありながらシグマアイを創業していますが、それは大学で研究・開発した技術を使い、世の中の人や企業が抱えている悩みを解決したり、「こんなこともできるのではないか」といった新たなアイデアの醸成の場でありたいという思いからで。

西村そう思われるようになったきっかけは何かあるのですか?

大関多分、根底の気持ちはずっとあったんだと思いますが、実際にやろうとなったのは大学の中で企業と共同研究するようになり、世の中には悩みが多いんだと気づいたことが大きいです。それまで僕は大学でひたすら一人で、役に立つのかわからないし、儲かりもしないという基礎研究をやっていました。その基礎研究に近いところに量子アニーリングの技術があり、それが世界的にも注目を浴びるようになった。

と同時に、いろいろな企業から共同研究の誘いがくるようになり、それぞれの悩みを聞くようになりました。すると、僕の中にはあった「Aという方法で解決するのでは?」といったようなアイデアは世の中には知られていないんだなと気づいたり、量子アニーリングのみならず別の方法でも解決できる手立てはあるのに知られていない、といったことが次々と生じました。

シグマアイ設立時に行なった記者会見の様子

よく、日本と海外ではイノベーションの密度や頻度が異なり、海外のほうが何から何まで優れている、と言われるじゃないですか。でも、実際には中身は全然負けていないんですよ。ただ、それを使えるかどうかという話で。もっと言うと、使える人は使えるんだけど、その前段階として、「使うかどうか」なんですね。

つまり、「なんでこの問題にあの方法を使わないの?」と言う人がいない。例えると、材料もある、包丁も研いで用意してあるんだけれど料理人がいない、みたいな状況です。おいしい食材もいっぱいあるし、誰も触ったことがないようなすごい文様がついている包丁がいっぱいあるんですよ、日本には。でも、「恐れ多いから触りません」という状況になっていた。だけどそれは料理人が勇気を持ってやればできるはずで。

企業との共同研究から、そんな状況を目の当たりにした僕は、「会う人は損はさせないようにしよう」と思うようになりました。次第に、「僕は物理学者じゃないのかもしれない」と思うようになったというか、研究を突き進めるのはそれはそれでおもしろいんですが、せっかくなら短い人生の中でそれをどう活かすかや、いろいろな人と出会うことにも注力したいと考えるようになったんです。

領域や分野にこだわらず、様々なアイデアを試して世の中をよくする。それを具現化するために立ち上げたのがシグマアイです。

「量子アニーリング」は対話のための手段

西村シグマアイは量子アニーリングで有名だと認識しているんですが、量子アニーリングにこだわっているわけではないということですよね?

大関その通りです。量子アニーリングも扱いますが、それだけにこだわっているわけでは全然なくて。目の前にいるお客さんが喜ぶものをつくる。それは1人でも10人でもいいし、1億人でもいいんですよ。とにかく、僕らが関わった人たちがワクワクして、次の一日を楽しく生きるように考えられるものだったらなんでもつくろうと。

シグマアイのメンバー

量子アニーリングは「量子(粒子と波の性質をあわせ持った、とても小さな物質やエネルギーの単位)」とついているだけあって、カバーする範囲が広いんです。そういうところも魅力の一つです。量子アニーリングは「組合せ最適化問題を解くための方法」と表現されるのですが、それは例えば、広大な駐車場の中でどこに駐車したら次のアクションがスムーズになるか、といったことや、どの道順で行けば渋滞に巻き込まれないかなど。

他には、買い物をする際にどのくらいの量の食材を買ったらいいかなども量子アニーリングができることの範囲に入ります。そう考えると、結局はいろいろなお客さんと対峙するための対話ツールでしかないんですよね。量子アニーリングに限らず、そのお客さんには他の手法が合っていると思ったらそちらをお伝えします。あるいは、方法だけじゃなく、別の方法を使ってつくり上げた新しいアプリケーションやソフトウェアが適している場合もある。

そんなふうに、ある種の対話ツールとして使っているだけなので、「何をやっている会社なんですか?」と聞かれたときに、説明が難しいんですよね。「量子コンピュータのテック系企業ですよ」と言ってしまえばカッコいいし、若いエンジニア層がブワッとやってきて、株価はどんどん上がるかもしれない。でもそうしていたら、きっとその技術が普通に使われるようになったときに「さあ、私たちは何をする人ぞ」と迷うようになる。

僕らは創業メンバーが僕も含め皆30代半ばの人間たちなので考え方も少しオジさんじみているというか……。短い人生をどう活かすかと考えたら、「人を幸せにする以外なかろうが」と思っているんです。そんな考えの元、僕らが持っているのは技術しかなかったので、「技術と対話力とホスピタリティでなんとかしよう」と側から見たら中途半端にも見えるかもしれない企業ができたというわけです(笑)。

西村あぁ、それはすごく共感します。僕も30代の最終コーナーに入り、あとはどう引退するか、どう他の人に受け継ぐかという2点を強く意識していて。とはいえ、大関先生は今に至るまで大学の研究者としての活動も続けていて、バンバンいろんなところに手を出してというタイプではないと思うんですね。僕は好きなものがあったらどんどんいっちゃうタイプなので、研究者としては全く大成できる気はしないんですけど(笑)。

大関先生は一つの筋はずっと続けると。それが他のところにつながっていくということなのではないかと思うのですが、いかがですか? 物理なのか、情報科学なのか、あるいは別のことなのか、「これは」という大事な部分は変わらずにずっとおありなのかなと。

大関うーん、どうなんでしょうねぇ……。いろいろな切り取り方があると思うんですよ。

一つの枠で様々なアプローチが可能な「物理」という営み

大関西村さんの中では、物理をやっている人ってどんなイメージですか?

西村僕のイメージは、「どんな物事でもざくっと捉えて考えれる人たち」というイメージです。

大関そうですよね。物理学者には多分そういう方が多いと思います。というのも、物理を営みとしてやった人間は世の中全部が同じに見えるようになるんですよね。例えば、ものの動きを記述するための運動方程式一つをとってみても、「動く」という点では玉の動きも電気の粒子の動きも人の動きも経済の価格変動も同じ枠組みに入る。動くものはすべて小さな原子・分子に見えてくるよね、といった考え方をするんです。

写真:iStock

僕は記憶力が乏しいこともあって、「それでもいいんだ」という意味で物理が性に合ったんですよね。ひとまとめに表現すると、面倒くさいこと抜きでできるというか。一方で、単純思考だから一つのことを突き詰めるんだけれど、その一つがたった一つの問題に対処するための方法ではなく広いレンジでの方法でありたい、という思いはあって。

西村なるほど。どうせつくるんだったらアレにもコレにも使えるぐらいの汎用性があるものを、という感じですか。

大関そうです。使いやすくするために簡単な表現にしたり、しつこいくらいに同じパターンを繰り返してムダなところを削ぎ落としたり、といったことを研究の中で培ったんですよね。元予備校講師だったこともあり、「結局はこれに尽きるんだよ」というまとめ方をしたくなるんですよ。

「それでいいんだよ」というのは学生からしたら安心だろうし、僕としては思考の方法というか、基軸を見せているわけです。その意味では、物理の営み方が好きなんだろうと思います。

西村なるほど。高校生の頃にパソコンを40台並べてCGアニメをつくっていた、と書かれている記事を拝見して、情報科学研究科にいらっしゃる意味はすんなり理解ができたんです。でも、なんで物理学に行ったんだろうというのがわからなかったんですね。情報科学と物理学は少し違う世界というか。なぜ物理学に行かれたんですか?

大関中高生の頃にアニメーション研究同好会に入会して、最初はね、一枚一枚絵を描くパラパラ漫画のようにアニメをつくっていたんですよ。そもそも同好会には人は少なかったし、途中で先輩も退会してしまったり(笑)。それぞれ一人で自分の作品をつくるスタイルだったので、それだとなかなか大作はできない。そんなときに自宅にパソコンが来て、コンピュータでアニメーションがつくれることを知った。

それを独学で学び、作品をつくれる感触を得たんです。そこから本格的に開始したら、自分のつくりたい映像にはマシンスペックは足りないし、時間も足りない。それで夏休みに学校にある40台のパソコンを借りて並列レンダリングをやったりしていたんですよ(笑)。当時はコンピュータグラフィックの道に進もうと思っていました。それで、高校三年生の最後の文化祭に向けて気合いを入れて作品をつくっていたら、ハードディスクがクラッシュしてしまったんですね。

当時つくっていた実際の作品。上記の「ハードディスクがクラッシュ」という文言をクリックすると作品の全貌が見られます

人生を変えた一通の手紙

西村それは本当につらいですね。

大関それはもう。お金がない高校生だから全てのデータをバックアップするようなものもなくて。そんな矢先に、3DCGのコンテストがあると知ったんです。文化祭に向けての作品はおじゃんになったけれど、それまでにつくっていた過去の作品は残っていたので、それをMOディスクに入れてコンテストに応募してみたんです。

すると、薄っぺらい封筒で審査結果が返ってきた。薄っぺらい封筒ってもう嫌な予感しかしなかったんですが、審査結果とともに手紙が入っていたんです。そこにはこう書かれていました。「審査結果は残念ながら落選です。ですが、最終選考には残りました」と。

さらに手紙のほうには、「あなたは本当にセンスがあるから、ぜひこの道に進んで下さい。将来あなたの作品を見ることが楽しみです」と書いてあったんですよね。それを見てすごく感激して。その時に入選された作品を見ると、全てCGのプロたち、あるいはプロに準ずるような人たちが数百万円のマシンやソフトウェアを使ってつくりあげたものだったんですよ。

他方、僕なんて家庭用の16万円のNEC9821のPentium100MHzでつくったもので、CD-Rもないから、外付けのMOディスクを郵便局のアルバイトで買って送ったくらいのスペックだったので「太刀打ちできるわけがない」と思ったわけですよ。ただ、手紙に書かれていた
「センスとアイデアに感服します」という内容を見て、つまりマシンのパワーではなく、アイデアとセンスでいいんだ、と思ったんです。

だったら、僕はこの道を突き進むのではなく、別のことを学んで成長したほうがいいのかな、と考えたんです。血気盛んな高校生の頃の言葉を借りると、「もうこの分野は征服した」みたいに思ったんですね(笑)。今考えると、そんなはずは決してないんですが、アイデアとセンスを認めてもらったことにより、そこを磨くべきだと考えるようになり、そこから大慌てで受験勉強をし始めました。

それが高校三年生の秋頃の話で、そのときに通っていた予備校の物理の先生がまたセンセーショナルで。その先生が、先ほど僕が言った「一つの枠ができ上がれば、世の中の色んなことにアプローチできる」ということを教えてくれたんです。当初は数学科に行こうと思っていたのですが、自分に数学のセンスはないかもしれないと感じるようになり、その先生に「数学と物理って何が違うんですか?」と質問したら、「センスが違う。だからセンスと感覚で決めろ」と言われた。

高校生の頃の大関先生。当時のあだ名は「BOSS」だったそうです(笑)

それで僕は「物理学科だな」と物理に行くことを決めました。それをきっかけに、物理や自然科学に興味を持つようになっていった。ただ、おもしろいのが、そこでの考え方はコンピュータグラフィックスそのものだったんです。コンピュータグラフィックスって、物を置いて、それに対して光を仮想的に発生させて、反射させてカメラに飛び込む光を一つ一つ考えて一つの画像をつくるんですね。それをするためには、自然法則をマスターしなければいけないわけですよ。

西村うん、確かに。

大関どう反射するかは電磁気学の法則だし、物が落ちるのは力学だし。そう考えると、僕は物理や自然の動きを考えているときは、コンピュータグラフィックス的な考え方をしているんですよね。つまり、頭の中に映像があって、どんなルールで動いてるからこういうふうになる、というイメージが先走って数式やプログラムを書いたりしている。だから、僕の中で物理や自然科学をやるのは、結局コンピュータグラフィックの延長で、両者は似て非なるようで同じなんです。

コンピュータグラフィックスをつくっている人たちは物理学者ではないので、人間の手に負えない複雑な計算以上のものになると、ここから先はもう自分のセンスだ、というふうにつくられていることが多いんです。それで偶然につくられる綺麗な映像もあったりして。でも実はそこで使われている計算は、大抵が物理の計算で行われるもので、科学者がやっている研究の計算と同じだったりする。

その延長線上に、量子力学のコンピュータグラフィックスだって登場し得るはずで、原子や分子をシミュレーションさせるコンピュータグラフィックスもできるのではないか、と思ってワクワクしながら研究をしています。だから僕は高校生の頃から本質は変わっていないんだと思います。

西村その予備校の先生は素晴らしいですね。

大関うん。本当にそう思います。そうやって、いろんな出会いでものになっていったし、それによって生きています。彼とは卒業してからも長い付き合いで、私の生き方そのものを形づけてくれたように思います。

最先端の技術はなぜ地方自治体を救わないのか

西村そう考えると、物理的な「一つの大きな枠ができれば、ありとあらゆることにアプローチできる」という考え方が大関先生にとって外し難い考え方なんでしょうか。つまり、シグマアイが終着点というよりかは、「次はじゃあこういうことをやってみよう」みたいに変わっていくことができるのかなと思って。シグマアイを立ち上げたからこそ、次はこんなことをやってみたい、となり始めているものはありますか?

大関次は日本各地の地方自治体を救いたいと思っていますね。しかも、それは意外にできるんじゃないかという感触もあって。というのも、以前東日本大震災の頃に大学で津波や災害に関する最適化問題を解いたことがあり、その実装のために自治体の方々とやりとりをしていたんです。たとえば、避難所のベッドの置き方一つにしても、計算して最適な解を探り、テクノロジーの力で解決できると気づいた。

EXPOに出演しながら、その様子をYouTubeで配信

最近では自治体ごとにある保健所やそれと住民とを繋ぐコールセンターに至るまで、様々なところで業務内容の負担を軽減するような取り組みが求められています。ただ、自治体にはデジタル化する資金がないことが多いので、ある意味置いてけぼりになってしまっているというか……。

その現状を知って、最先端の技術はなんでここを救わないんだろう、と思わずにはいられなくなったんです。どうしても、自治体と大学や自治体と企業には距離や壁があるのが実情です。だから仕事としてやるとなると少し難しいところがある。けど、儲からないとしても人の命や痛みを手助けすることが先決だという思いもあって。

調整や認可、コスト面が、みたいな話がいろいろ出てきてしまうけれど、戦国時代や江戸時代に、そんなことは言ってなかったと思うんです。「食えればいいです。食べられて、何もない0の状態から生産性をあげるアイデアを試してみて、良ければ採用!」という時代があったはずで。

西村先生が二宮金次郎に見えてきました(笑)。

大関ははは(笑)。でも本当に、この数十年間は利益や損得感情だけが成長してしまって、なんだか冷たいと感じるようなことが増えた気がするんです。利益が得られるのはもちろんいいんだけれど、得られなかったとしても結果的に携わった先の問題が解決されるなら、それで満足だなと思うようになったというか。

困っているときはお互い様なので、お金がないならないなりにやればいいじゃん、と思うし、お金はいらないから試すのは勝手でしょと。だって、僕が見ている学生たちは毎年毎年新しい学生が入ってきてたり授業を受けているけど、言っていることは変わらないのですよね。「世の中の役に立ちたい」と言い続けているんです。もちろん、お金は生活ができるくらいは必要ですが、あとは勉強したことを役立たせたいという思いが勝っていて。

高校生に向けて授業を行なっている大関先生

そういう学生と自治体をつなげたら、自治体が困っている課題を解くこともあり得るだろうし、学生はそこでの「役に立った」という経験から、社会に貢献するためには、ということをよりしっかりと考えるようになると思うんです。実はこうした活動で量子デジタルトランスフォーメーションを自治体から、と狙っています。教育・実践の場所として、自分の地元、地域住民を救う。それで日本全体が変わっていく。

「仕事」というのは利益を生まなければならない側面もありますけど、究極は自己表現、自己実現の場だと僕は考えていて。多くの大学教員が「勉強だけじゃない」とは言いますが、じゃあ代わりに何があるのかまでは言っていない。僕は経営者として投資家や社員への責任も負うようになったことで、学生への向き合い方に真剣さが増したというか、「即戦力になるとはどういう意味か」をより考えるようになったんですね。

役に立つ技術を学ぶ、じゃないんですよ。学んで結局終わりならいつまでも同じです。教科書が変わっただけ。技術が役に立つ場を創りに行く姿勢こそが重要ですよね。つまり知識そのものが即戦力なわけではなくて、むしろ「自分はこういう人で、こういうことができます」ということであったり、「困っている人のところにさっと行けます」ということであったりだと思うから、学生には「恋愛しなければ人の痛みもわからないから、恋愛しなさい」ということを授業の前半で語っていますね。その残りの時間でガンマ関数だとかラプラス変換だとかを真面目にやっています(笑)。

人間は賢くなりたいもの

西村おもしろい。起業家論などはあっても、そこと学問がつながってこないのが学生の苦しさだと思うんですよね。

大関僕がつくづく感じるのが、日本の大学生ってめちゃくちゃ賢いということ。だけど、大学という場所は社会とあまりに隔絶してしまっている。学生も社会をイメージできないから、不安で仕方ないはずなんですよ。お金の稼ぎ方もアルバイトしか知らないと、従業員根性しかつかないし、不安でいっぱいのまま四年間を過ごしていたら、気づいたら「誰かを幸せにしよう」なんて発想はなくなっちゃいますよね。

そういうことを考えるきっかけをつくらなければ、ということはずっと考えていて。まぁなにも応用数学Bでやらなくてもいいのかもしれませんが(笑)、ただ少なくとも僕と関わったことが何かにきっかけになる、ということはし続けたい。極論を言うと、大学は出会いの場であって、いい先生、いい友達に会うチャンスがどれだけあるかだと思うんですよ。

そしてそれは10代に限ったことではなく、大人が参加してもおもしろい場にしておけば、世界中の全年齢層が大学に来るようになるかもしれない。そうなったら、すごくいい社会になるんじゃないかと思います。10代の学生から、最高齢の教授、一般の方がコミュニケートできる場になると、楽しいと思うし、社会はもっと優しくなるんではないでしょうか。

だってね、大学に行くと幸せになれるんですよ。どうやったって、勉強になるから。もちろん、勉強の度合いは人の良し悪しを決める要素ではありません。だからこそ勉強をしていなくても参加したり、覗き込んだりできるようにしておけば幸せを感じる人が増えると思う。なぜなら、人間はやっぱり賢くなりたいんですよ。なりたいからこそ、なれない自分を恨んでしまう。だって単純に悔しいじゃないですか、ゲームと一緒で。

「いい出会いがあったら、自分もきっとできたのに……」と感じると、余計に悔しくなるだろうし、そう考えていると境遇やチャンスをネガティブな感情で受け取ってしまって、頑張れなくなると思うんです。僕はそれが一番嫌で。学ぶ機会は失われてはいけないと思っているから、門戸を開放したい。それがきっかけになって「社会に再挑戦するんだ」という気持ちになる人が増えたら国全体としての活力も上がりますよね。

社会に対してポジティブな感情になったら、やりたいことをガンガンやっていく人が増えると思います。そうこうしていると、「日本にはおもしろいやつらがいるぞ」となるだろうし、そうなったら人材輩出国として生き残っていく道だってあるだろうし。そんなことを思いながら、授業をYouTubeで配信しています。

YouTube配信中の大関先生。「学びを身近なものに」という思いでこまめにYouTubeで配信するよう心がけている

西村ものすごく共感です。一念発起しなくても学べたり、自分の興味を深められる社会はすごくいいなと思っています。

理由がないと休みづらい今の時代にこそ「電話交換手」が必要

西村最後に、今の時代にだからこそ考えたい問いやテーマはありますか?

大関今こそ「電話交換手」というのは思いますね。つまり、「間に誰かいて欲しい」というか、余裕を残した最適化がなされて欲しいということでしょうか。今はツールのおかげでほとんどすべてのものがダイレクトに届くようになったけれど、届き過ぎなんですよね。間に余計な情報がない。そうすると話や仕事は進むけど、なんだか人間としての時間が短くなった気がするんです。技術をつくっている側は、どうしても雑音や余白を減らそうとしてしまう。

でも、それをやった結果「私たちが得たものはなんですか?」と問うたら、おもしろくないものになってしまっている気がして。結局、人間に必要なのは「ムダ」だと思うんです。だって、人生って山登りのようなものであって。山登りだと、休む予定を組んでいなくとも、そこに落ちている落ち葉に気をとられたり、景色や風景に目を止めたりして休むことがあるじゃないですか。今はそれができなくなっていて、理由がないと休めなくなってしまっている。

こんなに技術は発達して、いいカメラも共有ツールもたくさんあるのに、「夕焼けが綺麗ですね」と言い合えるチャンスはほとんどない。ぼけーっとできなくなってしまっているんですね。

Y写真:iStock

西村それは僕もすごく感じていて、今年からただ琵琶湖をぼーっと見る時間をつくることにしました。人間には、やっぱり動物としてのモチベーションの保ち方があるんだと思います。これで本当に最後にしますが、冒頭で「ありとあらゆる手段を使って世の中を幸せにした」とおっしゃっていましたが、大関先生が考える「幸せの姿」はどのようなものですか?

大関僕は「幸せポイント」はたくさんあると思っていて、それは小さくても大きくてもなんでもよくて。どんな些細なことだっていいんです。それを追い求めると辛くなるので、愛でる感覚が「幸せ」なのかな。僕自身、実は30歳までは達成感は感じたことがあっても、「幸せ」は感じたことがなかったんです。

当時、研究の仕事のために1年ほどイタリアに滞在していたんですが、言語の壁もあるし、研究もうまくいかないし、向こうの大学の手違いで給与が振り込まれなかったりもして、散々で。研究成果は出ないし、「もう研究なんかしていても何にもならないんじゃないか」と自暴自棄になったんですね。

すべてがマイナスに見えてしまった。でも、周りを見渡して見ると、周りの人は幸せそうなんです。それを見て、「これはそう捉えている自分のせいなんだ」と気づいた。そこからは、研究がうまくいかなくても死にはしない。死んでないなら、生きているならそれでいいか、と思うようになったんです。

それまでは「楽しいことは研究がうまくいってからだ」と思っていたからストイックに研究だけをしていたんですが、それだと心が死んでしまう。研究がうまくいこうがいくまいが、「これからは楽しいことやいいことがあったらプラスポイントとして捉えよう」と思うようになって帰国したら、コンビニでおにぎり買うだけでも幸せを感じるようになったんですよ。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

例えば「ありがとうございます」と言い合うことだとか、生きていて人と人がコミュニケーションをとって生活を一緒に成し遂げている、ということに無性に幸せを感じるようになった。つまり、「仕事をしなければならない」という自分自身がつくり上げていた恐怖や執着心から逃れたら、生きているだけでオールOKになったんです。それで夕日を見つめて綺麗だなって言えれば幸せなはずで、そういう精神状態にあるようにする。僕にとっては、その状態が「幸せ」なんだと思います。

そういう状態になるためには恐怖を取り除いたり、余裕や勇気を与えたりすることが必要だと思うので、人々がストレスだと感じていることを軽減するサービスをつくったり、「僕たちがいるから大丈夫だよ」と伝わるようなツールをつくっていきたいです。小さくても大きくても、使う側もつくっている側も「なんかいいね」というものを生み出していけたらいいですね。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

自宅にスタジオをつくったり、ガンマ関数の授業の前に「恋愛をしなさい」と伝えているという大関先生。インタビュー・執筆のお話をいただいた際には、「量子アニーリング」って、量子も、アニーリングも両方わからない……。と不安でいっぱいだったのですが、大関先生の見事なホスピタリティにより冒頭から終わりまで楽しくて仕方がありませんでした。

技術が発達するだけでは、人は幸せにならない。一方で、技術で救えることもたくさんある。その両方を体感し、自分にできることは試してみようと動き続ける大関先生の姿は、学生だけでなく、あらゆる世代に素晴らしい刺激になるだろうと感じました。

大学時代にきちんと勉強をしなかったことを悔いている私としては、「人間は賢くなりたいもの。学びの機会や門戸を開放したい」という言葉にはすごく感激しましたし、お二人のお話を聞いていると、今からでも全然遅くないなとワクワクした気持ちになりました。

世界中から注目を集めているのにもかかわらず、「量子コンピュータのテック系企業です」とはあえて言わない。自分たちは何をすべきなのかを考えたら、「人を幸せにする以外にはない」と言いきる先生はカッコいいし、「こんな人から学びたいな」と思わずにはいられませんでした。

今後、授業を定期的にYouTube配信していくそうなので、ぜひみなさんもご覧になってみてください。先生のホスピタリティやおもしろさは活字からだけでは伝わりきらないと思うので、後日開催されるトークセッションもどうぞお楽しみに!

代麻理子 ライター
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。渉外法律事務所秘書、専業主婦を経てライターに。心を動かされる読みものが好き! な思いが高じてライターに。現在は、NewsPicksにてインタビューライティングを行なっている他、講談社webメディア「ミモレ」でのコミュニティマネージャー/SNSディレクターを務める。プライベートでは9、7、5歳3児の母。