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「あそび」のススメ。閉塞感を打ち破り、未来社会を照らすために 【「100年人生時代のライフシフトと未来社会のデザイン」シンポジウム その2】

フォーラム

未来社会の可能性をどう考えるかーー。NPO法人ミラツクは7月26日、「100年人生時代のライフシフトと未来社会のデザイン」をテーマにしたシンポジウムを開催しました。

「ライフシフト時代の未来の価値観・働き方」「あそぶことから生まれる未来のライフスタイル」というテーマで行われたパネルディスカッションのうち、今回は後編の内容を詳報します。

北は東北、南は四国で活動する地域の「あそぶ」の仕掛け人から、建築アイドル、僧侶まで。多彩な顔ぶれで繰り広げられた「あそぶ」を巡るセッションは、どんな結末を迎えたのでしょうか。進行はミラツクの代表理事・西村勇哉です。

(photo by Yoshiaki Hirokawa)

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

登壇者プロフィール
丑田俊輔さん
ハバタク株式会社 代表取締役
秋田県五城目町在住。学生時代、プラットフォームサービス株式会社の立ち上げに参画。千代田区の公共施設をリノベーションし、インキュベーション拠点として再生。その後、日本IBM株式会社にてコンサルタントとしてグローバル戦略を担当。「学びのクリエイティブ集団」を標榜するハバタクでは、様々な領域を横断しながら「新しい学び」を創出。五城目町で大人も子どもも没頭できる自由空間「ただのあそび場」、東京・神田で食住業近接のビル「錦町ブンカイサン」を運営するなどしている。
吉冨慎作さん
NPO法人土佐山アカデミー 事務局長
山口県下関市出身。宇部高専卒業後、デザイナーになる。外資系広告代理店へ移籍し、企業ブランディング、Webキャンペーン、商品開発、TVCMなどに携わる。2013年、土佐山アカデミーの想いに共感し、高知県に移住。同アカデミーで「人が自然の一部として生きる文化を育む」をミッションに、「学びの場づくり」「つながりづくり」「文化・社会づくり」 などの事業を展開。内閣府認定「地域活性化伝道師」、スノーピークビジネスソリューションズ OSOTOプランナー兼ファシリテーター。
吉備友理恵さん
株式会社日建設計 NAD室/建築アイドル
1993年、大阪府生まれ。神戸大学、東京大学大学院卒。学生時代に建築女子大生ユニットを結成。卒業後は建築設計事務所の「日建設計」に入社。空間における人々のアクティビティを能動的にすることをテーマとし、社会や空間にイノベーションをもたらすことを目的に新設されたデザインチーム・NAD室に配属。一方、「あなたと建築したい」をキャッチフレーズに、建築を身近な存在にしようと、建築を頭に乗せる“頭上建築”や日々ステキな空間の使い方を発信する建築アイドルとしても活動している。Twitterアカウントは@kibiyurie
松本紹圭さん
未来の住職塾 塾長
神谷町光明寺、僧侶。1979年、北海道生まれ。東京大学文学部哲学科卒。2010年、ロータリー財団国際親善奨学生としてインド商科大学院でMBA(経営学修士号)を取得。2012年、住職向けのお寺経営塾「未来の住職塾」を開講。2013年、世界経済フォーラム(ダボス会議)のYoung Global Leaderに選出される。著書に『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』(ディスカバー21社)など。
中野民夫さん(コメンテーター)
東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授
1957年生まれ。東京大学文学部卒。大手広告代理店勤務、同志社大学教授を経て現職。会社員時代に休職・留学したカリフォルニア統合学研究所で組織開発やワークショップについて学び、修士の学位を得る。会社勤めの傍ら、人と人、自然、自分自身をつなぎ直すワークショップやファシリテーションの企画・実施、学生主体の参加型授業の実践、さらには普及活動に従事。ワークショップ企画プロデューサーなどの肩書きも持つ。主著に『ワークショップ』(岩波新書)など。

地域の”あそび人”、建築アイドル、僧侶が集結して・・・

西村 それでは、第二部のセッション「あそぶことから生まれる未来のライフスタイル」を始めましょう。まずは自己紹介を兼ねて、それぞれの活動内容をお聞きします。

丑田さん 普段は人口1万人弱の山村地域にある秋田県五城目町に住んでいて、「学び」をテーマにした「ハバタク」を経営しています。学びを通じて、人や事業、文化が育っていく。地域社会などを舞台に、そうしたことを実現させるにはどうしたらいいのか。そんな視点で、学びを軸にしたさまざまな活動をしています。

例えば、「シェアビレッジプロジェクト」です。これは町内にある築133年の古民家を”村”に見立て、”年貢”と呼んでいる年会費を納めれば”村民”になることができ、宿泊したり地域コミュニティに関わったりする拠点です。”村民”が集まる飲み会の”寄合”を都市で開催したりもしています。そうやって”村民”同士が交流し、田舎と都市を越えて人が行き交い学び合うようなプロジェクトです。

それと、2017年11月に開設した「ただのあそび場」プロジェクト。まちの中心市街地にあった遊休施設を文字通り遊ばせて、地域の大人から子どもまで、みんなで一緒にDIYでリノベーションし、誰もが”ただ”であそべる場をつくりました。

”ただ”には無料ということだけでなく、豪華な遊具や設備も、あそび方のルールも決まっていない。そんな”ただの場所”という意味も込めています。みんなでゼロから「あそび」をつくっていく。そんなサードプレイスをまちのなかに出現させたらどうなるか。学びの一歩手前の「あそび」の段階から関わることで、どんな学びやチャレンジが生まれるのか。そんなことを意図しながら活動しています。

一方で、東京事務所のある神田錦町(千代田区)でも、オフィスの隣にある酒屋のビルをリノベーションした「錦町ブンカイサン」を運営しています。1〜2階が飲食店、3階がコワーキング、4〜5階がレジデンスで「次世代が育つ食住業近接コミュニティビル」をコンセプトに国内外の地域が交わり合う拠点をつくりたい。そう思ったのがきっかけです。ちょうど数日前(7月23日)に食堂がオープンしたのですが、今週は皿洗いに忙しい日々を送っています(笑)

吉冨さん 僕たち「土佐山アカデミー」は、高知市の中心市街地から車で約20分の場所にある土佐山地域を拠点に活動しています。一言で言えば、課題をデザインしています。地域資源は人・モノ・文化とよく言われますが、課題も資源にしたい。課題を教材に変え、中山間地域を学びの場に変える。そんなことにチャレンジしています。

僕らのあそび方や学び方は、多岐にわたります。例えば、「世界最速⁈鏡川源流そうめん流しチャレンジ」。これは、急勾配の棚田を舞台にした流しそうめんです。中山間地域では竹林が放置され、繁殖しすぎて困っています。その竹と急勾配を使って、いかにあそびながら、考え解決するか。そんな視点で企画したものです。

企業研修の受け入れも、僕たちの活動の一つです。廃業したスーパーを復活させるにはどうしたらいいか。そんな地域課題を研修の教材にし、都市のビジネスマンたちと一緒に考えたりしています。僕らはそれでお金をもらい、彼らは学べる。結果的に、地域の課題が解決する。そんなスキームをつくって取り組んでいます。他にも「土佐山ワークステイ」という滞在拠点づくりや起業家育成プログラムなどを運営しています。

今日のセッションでぜひ紹介したいキーワードがあるので、いくつかお伝えしますね。「水の人」「価値基準を2、3歩自然に寄せる」「課題資本主義」です。一つ目の「水の人」ですが、よく外から来る人のことを「風の人」、地元の人を「土の人」を表現しますよね。僕自身は、その間にいる「水の人」になりたい、そして育てたい。そんなことを今考えています。

「価値基準を2、3歩自然に寄せる」とは、どういうことか。例えば仕事や人生で迷ったときに、価値基準を少し自然に寄せてみる。仮に今この瞬間に間違った決断をしたとしても、自然のように100年単位などで見れば正解かもしれない。そう思えるような体験やあそびをつくりたいんです。それと、課題があればあるほど仲間が増えたり、それが仕事になって稼げるようになる。そんな「課題資本主義」にもトライしていきたいと思っています。

吉備さん 私は、ただひたすらに”人と空間を似合わせたい”と思っている人間です。もう、この一言に尽きるんです。”人と空間を似合わせたい”とは、どういうことか。

ここに一枚の写真があります。今朝、JR秋葉原駅で見かけた人です。ホームの地べたに座りながら、パソコンを叩いています。これって、まさしく”人と空間が似合っていない”状態ですよね。ここで少しだけ仕事をしたい、メールを一本送りたい。そう思ったときに、ここには机のようなものがありません。こういう人たちに、ちゃんと空間を似合わせられたらいいのに。

この彼のように、駅で座り込んで電話をしながらパソコンを開く人や、あと一杯だけ飲みたいのに寄り付く場所がなく道に置き去りにされた缶ビール、まちで抱き寄せる言い訳がつくれず、別れ際になって改札前で抱き合いキスするカップルといった「アクティビティがあるのに居場所がない状態」。反対に、誰も座らないブロックが置かれた公開空地や、寝転べない芝生といった「空間はあってもアクティビティがない状態」が日本にはたくさんあります。

こうした人にとっても空間にとってもハッピーではない状態を、私は何とかしたいと思っています。

人と空間を似合わせるために、私は三つの顔を持っています。欲望工学研究、アクティビティデザイナー、建築アイドルです。何が人を動かすのか。そんな欲望工学を研究するとともに、「日建設計」で実際に場や空間を企画するアクティビティデザイナーとして仕事をし、さらにそれをおもしろおかしく発信する建築アイドル。この三つの顔を持っています。

松本さん 私は見ての通り、東京・神谷町(港区)にある光明寺で僧侶をしています。もう15年経ちますね。もともと寺の生まれではないんですが。

みなさん、「Temple morning(テンプルモーニング)」をご存知ですか。神谷町光明寺で朝7時半から1時間ほど、お経を読んで、掃除をして、仏教の話をする会です。私は数年前に『お坊さんが教えるこころが整う掃除の本』という書籍を出版したのですが、この本は今、思いも寄らず世界10カ国語以上に翻訳されています。

それと、「未来の住職塾」の塾長をしています。これは寺院向けの経営塾、簡単に言えばお坊さんのMBAのようなものですね。今年で7年目に入り、卒業生のネットワークは全国の600寺院を超えています。このように、お寺を社会資源と捉えてネットワークをつくっていく活動を行っています。

吉冨さんと同じように、私もいくつかのキーワードを紹介したいと思います。一つは、「ポスト宗教時代」です。宗教なき時代、宗教っぽいものからみんなが離れたがる時代の流れを感じています。それは、いわゆる既存のジャンルとしての宗教だけでなく、例えば会社のなかにも”宗教っぽい”社内の風土とか、地域社会のなかにも「なぜそれをやり続ける必要があるの?」といった儀式めいたしきたりとか、いろいろありますよね。

セクハラなどの被害体験を告発する「MeToo」運動の広がりを見ていても、どうやら多くの人がそういうものから離れたがっています。「それって、なんかおかしいよね」と思い始めているんです。そういうポスト宗教の時代環境において、宗教という枠組みのなかにお寺があることで、せっかくの社会資源なのにアクセス不能になってしまう。それをどうやって社会資源とつなぐか、それが活動のテーマです。

最近注目しているのは、「四住期(しじゅうき)」というインドの伝統的な考え方です。人生を100年として、そこには4つのステージがあるというものです。人生100年時代と言われるので、100年を四分割して考えてみると、0〜25歳の「学生期(がくしょうき)」、25〜50歳の「家住期(かじゅうき)、50〜75歳の「林住期(りんじゅうき)」、そして75〜100歳の「遊行期(ゆぎょうき)」です。

しかし、日本人の多くは一生懸命働き続ける家住期が終わらずにずっと続いているように見えます。区切りをつけて、人生観や死生観を深めるような林住・遊行期が一向に訪れないんです。テクノロジーが進化する時代だからこそ、人はなぜ生きるのか、私たちはどこから来てどこへ行くのか。そんな根本的な問いをもっと意識する必要があるのではないでしょうか。

中野さん 東京工業大学リベラルアーツ研究教育院で、人としての教養教育やリーダーシップ教育などに関わっています。かつては博報堂に30年在籍し、途中で休職・留学した後からワークショップやファシリテーションなどの参加型の場づくりをやってきました。人と人、人と自然、人と自分自身をつなぐ。そのための参加型の場づくりですね。今日はよろしくお願いします。

現代の日本人に「遊行期」はあるか

西村 さて、松本さんが最後に「遊行期」というキーワードを挙げてくれました。このセッションのテーマでもある「あそぶ」、つまり「遊」という字が出てきたので、これを切り口に議論を深めていきましょう。松本さん、「遊行期」についてもう少し詳しく聞かせてください。

松本さん わかりました、遊行期ですね。学生期は、生きる知恵を身につける学びの期間です。その後は家住期、つまり社会人になり、家庭を持ち、仕事に励み、社会に貢献する。そこから折り返し、林住期に入ります。仕事や家庭の義務から解放され、自然に親しみながら人生を振り返り、死生観を深める期間です。その先が、遊行期です。この世から一切の執着を捨て去って、死に親しみながら思いのままに祈り、巡礼して過ごす。そういう意味があります。

しかし、現代の日本人は果たしてそうなっているでしょうか。第2家住期、第3家住期と、家住期が延々と続くようにも見えますが、本当にそれでいいのでしょうか?

「老」という字はネガティブな意味ではなく、もともと尊敬に値する言葉です。死に親しみながら祈る、精神的な深まり、成熟の期間は大切です。それを表すのに、「遊」という字を使っているのも、非常に興味深いですよね。

西村 丑田さんは実際に「ただのあそび場」を運営していますが、「遊」の意味をどう考えていますか。

丑田さん 「あそび」って、おもしろいですよね。僕には二人の子どもがいますが、いつもよくわからないことをやっているわけです。それは言語化できないし、目的性もない。つまり、「あそび」は言語性や目的性が薄かったり、そもそもそんなものから始まっていなくて、純粋な好奇心や衝動、出会いから立ち現れていくような営みだと思うんです。

それと、「あそび」には別の意味合いもありますよね。「あそびを持たせる」という表現がある通り、余白をつくるという意味です。ただ、大人になるにつれて余白が埋め尽くされていったり、仕事の中では目的性がまず第一に来ることが少なくありません。例えば地域では、「産業や雇用つくらなければ」といった具合にです。

その一歩手前にある「あそぶ」という営みを、子どもが大人になっても持ち続けるにはどうしたらいいか。そんな子どもを制約しないために、大人自身もあそび人になるにはどうしたらいいか。あそび続けられるような生き方を実践できるような場が、町中に出現したらどうなるか。「ただのあそび場」は、そういう興味と狙いからつくりました。

西村 「ただのあそび場」を運営していて、実際にどんなことが起きていますか。

丑田さん 小学生が放課後にあそびに来て、同級生だけでなく、他の学区の子たちとあそんでいます。その傍らで、地域の母親たちが雑談していたり、旅人が一緒にあそんでいたり、時にはおじさんが子どもたちを叱っていたり。普段出会わないような人たちとの雑多な人間関係のなかであそぶ。そういう現象が施設から飛び出して、地域社会のなかへと広がっていく。そういう場になっていると思います。

「ただのあそび場」では、張り紙で「◯◯禁止」などと一方的に利用ルールを決めず、最初は制約なしの状態でオープンしました。どういうことが起こるか半年ほど観測していると、幸い大事には至っていないものの、やっぱり危険なあそびも始めるようになるんですよね。ただ、単に大人から「やめようよ」と言うのではなく、自分たちで話し合いながら、ルールや振る舞い方を決めるような流れをつくっているところです。もちろん、空間としての安全管理は基準を持って行っています。

子どもは賢いですよ。「ただのあそび場」には豪華な遊具がない分、彼らはちゃぶ台にネットを張って卓球したり、荷物を上げる滑車を増設したりと、あそびをどんどん発明していきます。遊具がたくさんあって、あそび方のルールが決まっているとなかなか発明は起きにくいと思いますが、何もない状態だと知恵を絞り、何かを発明していく。そういう営みは、計画性がある空間などからは生まれにくいはずです。

西村 次に、吉冨さんにお聞きします。土佐山アカデミーの活動で意識していることはどんなことでしょう。それと、都会の企業が研修などで来るのには、どういう目的があるんでしょうか。

吉冨さん 結局、僕自身が楽しいかどうか。それを最も大事にしていますね。いつも強く思っているのは、”楽しくないと人を巻き込めない”ということです。

ただ、例えば「世界一速いそうめんを流したい」と提案したとき、最初は地域の人たちは「?」と首を傾げていました。それでも、次第に「そんなにやりたいならやってみな」と許してくれる雰囲気になり、実際に昨年(2017年)初めて開催してみたら、2回目の今年(2018年)は地域の人が率先して協力してくれるようになったんです。まず僕らが一番楽しいと思うことをやり始める。一度扉を開ければ、その先は自然に流れていくような感覚があります。

一方の企業研修ですが、地方創生の大きな流れのなかで、企業も地域と一緒に何かをつくらなければならない。そういう課題意識があります。ただ、地域への入り方がわからない。だから、まずは地域のことを学ぼう。企業研修には、そういう文脈が一つあります。

それと、「何でもできる場所があるよ」と教えてあげると、人が集まってくるような構造もあるのではないでしょうか。都会には自由に何でも試していいような場所は限られてますよね。公園を一つとっても、「大声は出しちゃいけない」などと何かと制約が多い。丑田さんが話していたように、子どもたちの「あそび」がおもしろいのは、一番おもしろくあそぶためにルールをつくったり、変更したりすることです。例えば、年齢の低い子に合わせてハンデキャップを取り入れたりしますよね。

子どものあそびも、会社や仕事も、大して変わらないと思うんです。大人も山のなかに入って、自由に何でもしていい状態になったときに初めてルールをつくります。地域や土佐山は、それができる場所なんでしょうね。

頭の上にスカイツリーを乗せる建築アイドル

西村 僕の知り合いの”自由人”のなかでも、ランキングのトップクラスにいるのが吉備さんです。これまでの話を聞いていて、どう感じますか。

吉備さん 私自身、好奇心や衝動から来る「あそび」から始まって、学んでいることに今ハッと気がつきました。「とりあえずやってみよう」と思って始めたのが、まさに東京スカイツリーなどの建築模型を頭に乗せてみることだったんです。建築アイドルとしての活動ですね。

建築を専攻していた学生時代、人と空間の関係について、いつも「なんで使われない空間が莫大なお金をかけてつくられ、何かしたい人のための空間は実現しにくいのか」と疑問を抱いていました。とりあえず問題提起しようと考えたときに、どうせなら目立った格好をしたほうが話を聞いてくれるんじゃないか。そう考えて思いついたのが、派手な衣装を着て、頭の上に建築模型を乗っけることでした。

建築の世界は、一般の人にとって固くて難しい、専門分野だと思われるのがとても嫌だったんです。だってみなさん、毎日どこかで働いて、帰宅して家で過ごす。いつも”どこかの空間”にいますよね。だったら、自分のいる部屋や空間を、どうしたらもっと心地よく、疲れた体を癒せるだろうかと自然に考えるようになればいいのに。そういう思いが根底にあります。

どうしたら建築を身近に感じてもらえるだろうか。浮かんできたのが”かわいい”というキーワードでした。そして”建築=かわいい”を具現化したのが、建築アイドルの姿なんです。

西村 この突拍子もない発想を、松本さんはどう感じましたか。

松本さん 私が仏像を頭に乗せて歩いているイメージですかね(笑)。私はそういうやり方ではありませんが、仏教も同様に世間から固い印象を持たれています。歴史や伝統が長いからでしょうか。その固いイメージを、どうやわらかくするか。

その一つが、私にとっては冒頭で紹介した「ポスト宗教」なんです。頭を丸めて、作業衣を着ながら、従来の宗教を否定するようなことを話し始めるわけですから、これも一つの”あそび”かもしれません。「あそび」は、一種のコミュニケーションだと思うんです。

「価値基準を2、3歩自然に寄せる」「ありのままに見る」

西村 ここからは、ライフスタイルと「あそび」の関係について考えたいと思います。例えば吉冨さんは、「スノーピークビジネスソリューションズ」で屋外でのアウトドア研修を企業向けに実施しています。これは、仕事と遊びの”間”をうまく使っているように見えるんです。完全な仕事でもなければ、完全なあそびでもない。

吉冨さん これは、冒頭で紹介した「価値基準を2、3歩自然に寄せる」というキーワードに近い話だと思っています。例えば、新しい事業のアイデアを出そうとするとき、それをオフィスの会議室でやるよりは、自然のなかでやるほうが開放的でいろんなアイデアが出てくるのではないでしょうか。

西村 確かに、例えば草木は何か特定の目的があって生えているというよりも、”普通に生えている”。あるいは、川も意図的に流れているというよりも、”ただ単に流れている”ように見えます。そういう光景が目の前に広がっていると、新しいアイデアが出てきたり、何かを思い出しやすかったり、あるいは「その方向や考え方はズレているかも」などと感じやすいかもしれないですね。

吉冨さん 例えばこの会場の壁はなぜ白いのか、なぜその材質を使っているのか。それには、理由があるはずです。でも自然には、摂理はあるけど、特に壁のような理由があるわけではありません。すべて用意された予定調和のなかにいると、思考がそれ以上進まなくなります。だから、都会と自然の両方を行き来するのがいいと思うんです。”快適”や”便利”も大事ですが、ときにはそこから離れることも大切だと思います。

松本さん そうですね。子どもが強い目的性をもってあそんでいるわけではないのと同じように、木もただそこに生えている。そこに理由や意図を見出してしまうのが、”社会人になる”ということなんでしょうね。それは、言語を獲得していくプロセスとも重なります。重要なのは、言語を獲得しながらも、目的性から離れることではないでしょうか。

仏教では、「ありのままに見る」ことを大事にします。「正見(しょうけん)」とも言いますが、これは物差しを当てて”いいね””悪いね”などと言うことではなく、物差しを当てずに”ただそのまま見る”ということです。つまり、ジャッジメント(判断)をしない、保留すること。これはおそらく、イノベーションが起こるプロセスとも重なるのではないでしょうか。人間ですから、どうしてもその背後に意味付けをしてしまいがちですが、どこかでその判断を踏み止まる力、「あそび」にほぐしていくことが大事なんだと思います。

私にとっては、その手段の一つが、お寺の掃除です。掃除はあらゆる人たちの生活と関係があるし、やっていると集中するようになり、そこに判断を挟む余地が生まれない状態になりやすいんです。しかも、終わったときには心身ともにすっきりしている。ぜひみなさんにもオススメしたいですね。

西村 少し話は変わりますが、ジャッジメント(判断)について、若い世代の吉備さんから見て、日々「その判断はおかしくない?」などと感じることはありますか。

吉備さん 「これをしろ」といった指示に対して、その理由がわからない状態では納得できないと思うことはよくありますね。

松本さん 納得できないから、動き出せないというのはその通りだと思います。一方で、納得できる範囲を越えて考えたり行動したりすることで、もしかしたらまったく別次元の解や捉え方が生まれてくる可能性もあると思うんです。

いろんな問題の解決方法も、その課題を設定した時点でおおよその解決フレームは出来上がってしまうものです。つまり、問いを立てた時点で、出てくる答えの射程がある程度決まってくるんです。でも、もしかしたらまったく別の角度からとらえたときに、次元の違う解決方法が浮かび上がってくる可能性もありますよね。自分が納得したり想像したりする範囲を越えていくことで見えてくる世界があると考えると、”とりあえずやってみる”ことの価値もあるのではないでしょうか。

「あそび」はジャッジメンタルな世界からの開放

西村 「そういうやり方があるのか、おもしろい!」。丑田さんの活動を見ていると、僕はいつもそう感じるんです。シェアビレッジプロジェクトで、古民家を改装するだけでなく、年貢を納めて村民になるようなアイデアがまさにそうです。シェアビレッジを運営する過程で、今どんなことが起きているのか教えてくれませんか。

丑田さん 果たしてどんな人があそびに来てくれるのか、まったく想像がつかない状態でスタートしましたが、世代を越えてさまざまな境遇の人たちが来てくれています。集落のおじいさん・おばあさんの生きる力や遊び心に脱帽したり、普段は東京や海外に住む”村民”がこの地域の人たちとも関係性を紡いだりと、コミュニケーションがつながり、混ざり合っていると思います。

ロジカルに計画をつくり切ってからスタートするというよりは、プレイフルな気持ちと、暮らしや仕事の家庭で巡り会った人や資源などの関係性のなかから、自然発生的に何かが生まれていく。それが、これまで田舎町に暮らしながら事業をつくるうえで改めて得られた気づきで、この現象は見ていて楽しいですね。

中野さん 好きか嫌いか、次にどう活かそうか。そんな風に、普段何かとジャッジメントや評価をしがちなマインドを持って日々を送っている僕らは、あそぶことによってその殻を破り、開放的になることができます。あそんでいるときはジャッジメンタルな世界から解放されて、逆に可能性がふっと広がる気がしますよね。

僕は今、人生の後半に差し掛かってきた自覚があります。林住期と遊行期ですね。屋久島に家を建てて定期的に行くようになったり、57歳からオリジナルソングが生まれるようになって演奏したり。一生懸命働きながらも、徐々に林住期に移行しつつあります。

「あそび」はこの日本のなんとなく周りを気にしながら窮屈に生きている社会を、もう少し息がしやすくなる社会に変えられるのではないか。「あそび」をテーマにすることは大事だな。このディスカッションを通して、そのことを痛感しました。

松本さん ここにいるみなさんは、知的労働に携わっている人が多いと思いますが、日頃から不自然な環境にいることがきっと多いはずです。例えば、この会場にも窓がなく、空調も効いています。ずっとそういうなかで過ごしていると、四季も感じづらく、身体性が失われてしまいます。

かといって、いきなり家住期から林住期に移行するのもなかなか難しいでしょうから、日常のなかに少しずつ、そういう「あそび」のような要素を取り入れていくようなことができたらいいですよね。

西村 みなさん、ありがとうございました。これでディスカッションを終わりたいと思います。

パネルディスカッションの終了後は、ミラツクが「未来社会のデザイン」をテーマにデータベース化した38領域401項目の未来予測情報を用いて、参加者らでワークショップを実施。未来社会をデザインするーー。そのためのアイデアを出し合い、活発な議論を繰り広げられました。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

近藤快 ライター
フリーライター。1983年、神奈川県生まれ。2008年〜化粧品の業界紙記者を経て、2016年〜フリーランスに。東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)で震災・復興現場の取材、50人インタビュー企画「Beyond 2020」を担当。災害時における企業・NPOの復興支援や、自治体の情報マネジメントを集積したWEBサイト「未来への学び」(グーグル社)のほか、化粧品業界やCSR・CSV、地方創生・移住、一次産業などを中心に取材〜執筆活動している。
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