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”動く都市”が小さな挑戦を増やす。株式会社Mellow代表取締役・森口拓也さん【インタビューシリーズ「未来をテクノロジーから考える」】

ROOM

ミラツクでは、2020年7月より、未来をつくるための「場」を提供するオンラインメンバーシップ「ROOM」を開始しました。

インタビューシリーズ「未来をテクノロジーから考える」は、ミラツク代表・西村勇哉がインタビュアーとなり、「テクノロジーを駆使して未来を切り拓く」活動を行なっている人たちにお話を聞くオリジナルコンテンツ。「ROOM」では、記事と連動してインタビュイーの方をゲストにお招きするオンラインセッションを毎回開催していきます。

ROOMオンラインセッション「ROOM on Zoom」
12月10日(木)18:30-20:30 at Zoom ゲスト:株式会社Mellow 代表取締役 森口拓也さん
詳細:http://emerging-future.org/news/2355/

第六回は、モビリティの力を活用し、新たな「まちのあり方」をつくり出している「株式会社Mellow」の代表取締役・森口拓也さん。

日本最大級のモビリティビジネス・プラットフォームとして、フードトラックなどの移動販売車と空きスペースをマッチングするサービス「SHOP STOP」を提供しているMellowは、従来「動かないもの」と認識されていた「まち」を、モビリティによって動くものへと変えようとしています。

「まち」が動く必要があるのはなぜか。自身を「最適化フェチ」と語る森口さんが感じている現在の「まち」の課題や、モビリティを通じて見ている「まち」の未来図について伺いました。

(構成・執筆:代 麻理子)

森口拓也(もりぐち・たくや)
株式会社Mellow 代表取締役。2013年、ALTR THINKを創業。様々な分析手法を駆使して100万人以上が使うコミュニケーションアプリを複数開発。2014年に同社をイグニスに売却した後、Mellowに参画。2018年より現職。

「まち」という動かないものを、どう動かしていくか

西村森口さんは僕から見ると、新たな形の都市やまちの未来をつくりだされている方という印象なんですが、まずはじめに自己紹介をお願いします。

森口モビリティを活用した移動型の店舗と空きスペースのマッチングプラットフォーム事業を行なっている「株式会社Mellow」の代表取締役をしている森口です。僕は現在28歳なんですが、20歳の頃に学生起業をし、以来約8年間、起業家として事業を運営しています。

もともと僕は音楽をやっており、最初の起業のきっかけは音楽でした。CDがどんどん売れなくなる状況を目にし、インターネットを駆使して新たな音楽レーベルを立ち上げ、そこから音楽アプリへと方向転換するタイミングで会社を立ち上げたのが1社目の起業です。しかし音楽アプリははうまくいかず……。その後、「自分がつくりたいモノより、少しでも人に使ってもらえるモノをつくろう」と音楽からは離れ、暇な人同士に特化した匿名チャットアプリをつくりました。

アプリのリリースから1年半、さまざまなトライ&エラーを繰り返し、10万ダウンロードを達成しました。そのタイミングで株式会社イグニスの柏谷泰行さんと出会い、2014年に当時の会社をイグニスに売却し、イグニスグループの傘下に。以後、IT分野でさまざまなプロジェクトを経験させてもらいました。2016年にMellowに参画、2018年から代表取締役を務めています。

1社目を創業した21歳の頃

西村ありがとうございます。Mellowはフードトラックと空きスペースのマッチングをされていますが、森口さんは「都市」という動かないものを、どう動かしていこうとお考えですか? というのも、「不動産」というのは文字通り、「不動」であり動かないものと認識されていますよね。「まち」にしても然りで、動かないものだと想定されている。一方で、「車」は動く。加えて、フードトラックは「運転」の部分だけでなく、同時にサービスも動かしています。

それが1店舗だけだと小さな動きですが、Mellowはそれらを点ではなく、面として捉えているように思います。「都市が動く」に関して何か意識されていることはありますか?

森口「都市が動く」に関しては、まず「都市が動かなければならないのはなぜか」から考えています。近年、「スマートシティ(IoT技術を取り入れた都市づくり)」も話題になっていますが、都市が動く必要がある理由は、以前と比べると顧客ニーズの流動性が上がっているからだと思います。

従来は、人のニーズはマスメディアによって喚起され、各商店は人がたくさん集まる場所に多額の費用をかけて出店するという流れが一般的でした。商業不動産には、その二つをマッチングするメカニズムができていた。ですが、インターネットの普及によって、その流れに変化が生じました。

インターネットは顧客がさまざまな情報を得ることを可能にした。その結果、顧客はいろいろなものを比較できるようになりました。例えるなら、以前は「きのこの山」か「たけのこの里」しか選べなかったのが、今では「100万種類の中から選べます」といった状況になっている。

つまり、インターネットによって、「何を選択するか」が昔よりも滑らかなグラデーションになったのだと思います。そしてその結果、いい場所に多額の資金を投入して出店してもお店が流行らない、ということが起きるようになった。

特に小型の店舗ではその動きが顕著です。具体的には、ショッピングモールに出店しても5年間で約47%の店が退店に追い込まれてしまったり……。あるいは、そもそもの開業率からして下がっていたり。そのように、顧客ニーズと世の中の変動のマッチングがうまくいかないケースがどんどん増えています。それを解決するためには「マッチングのサイズを小さくする」というのが現時点での最適解だと思います。

そのための具体的アプローチとして、3つのパターンがあります。1つめはECサイト。倉庫に商品を集約しておいて、注文が入ったら倉庫から送る形式ですね。EC業界では最近だとOEM(他社ブランドの製品を製造すること)を活用したD2C(メーカーやブランドなどの製造者が直接消費者と販売取引を行うこと)の躍進が目立ちます。2つめは、「b8ta」のようにテナントの区画を細分化して時間貸しする形。そして3つめがモビリティです。

モビリティは未活用だった屋外空間を時間で区切って使用することができる、フロンティアのような存在だと思います。加えて、「車」であることによって設営コストと撤退コストが不動産の店舗よりも断然低い。モビリティと空間のマッチングを行うことによって、今まではひとつの場所に出店するために、数百から一千万円ほどかかっていたのが0円でできるようになりました。さらに、「成果報酬」という商流をつくることで、流動性の高いマッチングを可能にしています。

まとめると、僕は「都市機能の流動性を高める」のはお客さんのためであって、お客さんの嗜好性がインターネットの普及によって細分化されたために流動性を高める必要が生じた、と考えています。

フードトラックと宅配デリバリーサービスの根本的な違いとは?

西村フードトラックと、宅配デリバリーサービスの違いに関してはどうお考えですか?

森口まず大きな違いとしては、100食のフードを100人のお客さんの口に届けようと思ったときに、デリバリーは100往復する必要がありますが、フードトラックは1往復で済む。そして、「食べる」までのラストワンマイルはお客さん自身が動くのがフードトラックです。フードトラックも配送といえば配送ですが、「目の前で仕上げの調理をする」という付加価値があります。

最近、鮮魚販売のトラックを豊洲の市場と連携してやっているのですが、それは魚のECとはやはりまた全然違います。例えば、「この魚だったら刺身で食べるのがおいしいよ」や「今朝この魚が揚がったんだけど、今日はすごく鮮度がいいから」のように、「やりとり」がある。接客というサービス価値を最後に乗せられるのは、宅配デリバリーサービスとは大きく異なる点だと思いますし、強みにしていきたいですね。

西村なるほど。提供側だけでなく、顧客側の体験としても結構違うものなのですね。

森口はい。デリバリーだと「コンテンツは届くけれど、コンテクストは届かない」というのが僕の考えです。一方で、フードトラックだと、つくり手が接客まですることによって、コンテンツの背後にあるコンテクストまできちんと届けることができる。

西村おもしろいですね。昔は豆腐屋や焼き芋屋、ラーメン屋、かき氷屋といった動く露店がありましたよね。先ほど、「成果報酬型」とおっしゃっていましたが、動く露店とフードトラックの違いは、ただ動かすだけではなくて、届けるところまでマッチングするという点で大きく異なるのですね。

写真:iStock

森口そうですね。加えて、キャピタライズされた点も大きいかと思います。つまり、土地という最も管理しやすい資産に対して資本主義経済を接続したのが大きな変化だったのではないでしょうか。現在では敷地の管理と商売する人の関係が整備された。この流れは経済発展の文脈でも大きな意味を持つと思います。

さらに、路面での屋台の減少には「規制」も大きく関わってきます。衛生管理に対する顧客側の要求レベルは、1人当たりのGDPの上昇とともに上がると言われています。日本も江戸時代は屋台が食文化のメインストリームだったのが、今は八重洲や博多、お祭りの際など、非常に限定的になっています。それは国民の衛生管理に対する意識の向上と関係していると思います。

加えて、お祭りの屋台は保健所によって提供できる品目がかなり制限されているんですね。売れるからという理由で決まった品目なのではなく、保健所から定められているから同じ品目の屋台が多いんです。一方で、フードトラックは飲食店と同じような形態での保健所とのコミュニケーションを経て整備されているので、屋台とは許可のカテゴリが異なります。

西村なるほど。昔と比べると、衛生管理などを含めてグッとバージョンアップをしているんですね。フードトラックに関して、保健所や国からの規制の動きはどうですか? 増していてやりづらいのか、あるいは、やりやすくなっているのか。

森口小さな業界が大きくなっていっている最中なので、安全・衛生基準に関する規制自体は厳しくなる方向に動いています。ですが、Mellowとしてはそこは非常にポジティブに捉えています。というのも、Mellowが提供しているプラットフォーム上の衛生管理基準は、現在の保健所が設定しているレベルよりも断然高い基準で設定しているので、厳しくなる分には問題ないというのが一点。

あとは、もし何か起きてしまったら、お客さんはもちろんのこと、結局はフードトラックの店主の方たちが被害を被ってしまうので、そういう意味でも規制が厳しくなることはネガティブな要素ではないと考えています。

モビリティの力で専門店がマッチするフィールドを増やす

西村いつか起こってしまう大惨事よりも、早めに規制をしてもらい、その上できちんと運営して着実に発展させていくほうが将来的に伸びるということですね。今、Mellowはまちをフードから動かしていこうと挑戦されていますが、他にはどんなものを動かしていけると想定されていますか?

森口そうですね。最初に動いていくと思われるのは、専門店です。よく、「コンビニエンスストアが動いたら便利ですよね」といった話も耳にするのですが、都市に限っていえばコンビニが動く必然性はあまり感じていなくて。というのも、すでにオフィスや住宅街などに数多く存在していますし、ビジネス面から考えてもコンビニなどの総合的な店は成立しづらいと思います。

反対に、専門性の高い店はモビリティに適していると考えています。たとえば、先述したような豊洲市場直送の魚屋さん。マンションの下まで、その日の朝獲れたばかりの鮮魚を売りに来てくれたら、たとえスーパーで買うより少し単価が高かったとしても、買いたいと思う人はいるでしょう。その他には、フレグランスやスパイスなどのECでは購入しづらい商品や、トリミングなどのサービス系もモビリティで動かしていけるのではないかと思います。

写真:iStock

西村専門店もハイレベルになってきたら、動くほうが逆にコストになるのかなとも思ったんですが、そのあたりはどうお考えですか?

森口賃料があまり高くない場所に固定店舗を構えていて、コンテンツ力がある上位5〜10%の専門店はモビリティで動かさずとも成り立つと思います。ですが、同時に、そういった店が家のすぐ側まで来ていたら買いに行く人はたくさんいると思うんですよね。

西村なるほど。たとえば、1000年続く京都の和菓子屋さんでコンテンツ力が上位5%に入るような店は動かさなくてもやっていけると。ただ、上位10%以外の店はかなり努力しなければ回していけない環境下にある。それが「動く」ことによって母集団を広げられるので、可能性を秘めているということでしょうか?

森口はい。オンラインマーケティングをしてもあまり顧客は集まらないけれど、コンテンツの価値は高い、というレイヤーの店は数多くあります。それらの店が努力不足なのかというと、そうではなく、単純にマッチするフィールドがないだけだと思うので、モビリティで飛躍する可能性は高いと思います。

西村すごくおもしろいですね。あまり何も考えなかったら、「インターネットにつなげよう」「その場所で頑張ろう」といった発想になるところが、その間がまだあると。

森口そうなんですよね。資本主義の特徴として、上位数パーセントとその他がどうしても二極化してしまいがちですが、僕は上位数パーセント以外の人たちが活躍し続けることができるフィールドもあるはずだと考えています。例えば、音楽の世界では7〜8年前から「300人の熱狂的なファンがいれば安定して食べていける」と言われています。インターネット経由などで300人のファンをつけて、月に1度の頻度でライブや物販を継続してやっていれば、暮らしていけると。つまり、以前と比べるとメジャーデビューしなくてもやっていける道ができたわけですよね。

もし『およげ! たいやきくん』が今売り出されても、何百万枚も売れて、といったことは起こらないでしょう。ですが、小さなエコノミーをつくって、その中できちんとコミュニケーションをとっていれば成立する環境にはなってきている。それは音楽だけではなく、飲食店にも当てはまることだと思います。

具体的には、固定店舗を構えた20席程度の飲食店の場合、ディナーの単価が4,000円だったら、2回転したらなんとかやっていけると言われています。ですが、不動産だと、基本的にはその場所の周辺でやっていかなければなりませんよね。あるいは、突き抜けて予約が取れないような状態で、ずっと遠方からの来客があり続けるといった状態かの二択になってしまっている。

一方で、フードトラックだったら毎週一箇所の場所に行って、そこで約50〜60人の来客があれば一応食べてはいけるんですよね。そのように、今までは「不動産」を介さなければ成り立たなかった顧客とサプライヤーの関係性を、「ファンとコンテンツ」という新たな関係を築いて流動性を上げていき、活躍できる店や人を増やせたら、と思っています。

西村話を聞いていたら、「アナログであること」が重要なんだと感じました。やはりインターネットは、最終的にはデジタルの世界なので、一人勝ちの状況をつくりやすいと思うんですね。けど、フードトラックはアナログなので、ある程度は共存可能というか「強烈な一人勝ち」のようないびつな状態は生まれない。

一方で、今までの感覚だと不動産で縛ってしまうので、それもやっぱり「勝つか、負けるか」みたいに分かれてしまう。それを動かしてあげることで、きちんと丁寧に良い仕事をする人が生き残りやすくなる。そこにはアナログであることのリミッターがうまく機能しているんだなと、聞いていて思いました。

お話を伺う前は、都市だけでなく地方でも展開できるのでは? と思っていたのですが、一定の集約がある都市だからこそ機能するのでしょうか?

森口現段階での成長戦略としては、集約の加熱によって生まれたさまざまなギャップを機会に変えてビジネスを行うということをメインでやっていますが、将来的には地方の課題解決としてモビリティを活かせる可能性はあると考えています。人口が少ないと出店頻度が低くなり、対象エリアが広がるので、毎日出店するコスト構造は成立しづらいと思います。ですが、例えば土曜日の夕方だけ郊外のまちに10台のモビリティ店舗が訪れて、といったやり方もあると思っていて。

というのも、少子高齢化が進む中、地方経済は厳しい局面にさらされていますよね。チェーン展開している大型ショッピングセンターさえも潰れてしまうようなケースも見られています。かといって、ECですべてを対応しきれるかというとそういうわけにもいかないでしょう。「インターネットor Die」という状況は、個人的にはなんとかしたいと思っているので、中長期的にモビリティの力で何かできたらと考えています。

西村モビリティだと初期費用や家賃という固定費が抑えられるので、地方でもまだまだやり方があるのでしょうか?

森口そうだと思います。ただ正直なところ、地方での店舗賃料と自動車の初期費用だと経済合理性を考えるとなんとも言えないのも事実です。でも、そこに関してはどのくらいのスパンで考えるかも含めて、まだ誰も答えを持っていないので、可能性としてはあると思っています。

原動力は、「誰かがやらなければ」という思い

西村なるほど。森口さんご自身が描きたいと思っているまちや都市の未来はあるのですか?

森口僕はこだわりが少ないタイプの人間で、「ビジョンや実現したい世界観は」 と聞かれると、いつもすぐ「ないです」と食い気味に答えるほどで……(笑)。ですが、これは僕自身も最近気づいたことなのですが、どうやら愛国心があるみたいなんです。

少し遡ってお話すると、僕は埼玉の朝霞(あさか)というベッドタウンの出身です。2駅行けば東京だし、中学は都内の学校に通っていたので地元の友達も全然いないし、郷土愛みたいなものが生まれづらい状況ではあった。でも、ここまで少子高齢化が進むと、どうしても「どうなるんだろう」というのが気になるんです。それはもしかしたら知的好奇心であって、愛国心とは呼ばないかもしれませんが……。

日本の人口動態は急激に変わろうとしています。2030年には生産年齢人口(生産活動の中心にいる人口層)が6,773万人に、2060年には4,418万人(2010年生産年齢人口の45.9%減)になると言われています。だとしても、今建っているビルや建物が45%取り壊されるかというと、そうはならないと思うんですね。さらに、不動産業界とサービス業界の1人あたりの生産性は約7倍異なると言われていますが、その差が0になるかといったら、たぶんそれも起こらない。

マクロでもミクロでもそのような需給ギャップが起きている時代に、たまたま僕は今の立ち位置にいる。誰かが何かをやらなければそのギャップは埋まらないだろうし、まちやフィジカルな意味でのおもしろさが減っていってしまうのではないかという課題意識を持っています。けど、周りの起業家を見渡してもそこに取り組んでいる人はあまり見当たらない。同世代の起業家はグローバルに目がいっている人が多いですし。

先ほど、「こだわりが少ないタイプ」と言いましたが、これらの課題を継続的に解決するようなメカニズムをつくることに対するモチベーションは結構強いのかもしれません。

西村今聞いていて、「なんでみんなそこやらないの?」という思いにすごく共感しました。儲かるか儲からないかはさておき、すごくおもしろいテーマがあるのに、と。森口さんがされていることって、まちづくりの新しい形だと思うんですね。いわゆる「まちづくり」として泥臭く頑張るのももちろんいいし、大事だけど、本当はもっと根本的な解決ができるんじゃないか、という視点から取り組んでいる。答えはわからないけれど、現時点で持っているリソースはこれで、ここから本当に解決までやりたいんだ、というモチベーションなのかなと。

森口そうですね。なのでフードに限らず、商業モビリティ以外の領域も、中長期戦略の中ではあり得ると考えています。そのために、M&Aのリサーチをしたり、不動産業界のDX(デジタルトランスフォーメーション)を注視したりしています。モビリティは、半分ソフトで半分ハードウェアの性質のものだと思うんです。そういったものを取り扱う会社の中では、経験を積み重ねられてきていると思っています。

例えばトヨタは逆に、車サイドからまちとの連携の取り組みを始めています。そうした方向に動いている会社とは手を取らせていただいていますし、そのように、大きな意味での「まちづくり」をこれからもやっていきたいと考えています。

西村なるほど。僕は今、滋賀県の大津市に住んでいるんですが、大津ではどんどん大きな商業施設が閉まっていく。先日も「西武大津店」が閉店しました。滋賀県は西武グループの創業者である故堤康次郎氏の出身地です。そのゆかりの地で閉店してしまうって、相当なことです。「衰退する地方都市」に対して、明確な解がいつまで経っても見えない状況です。

例えば、より小規模な地域や危機感が日常と結びついている場所だったら火がついて変化が起こっていくこともあります。地方都市という微妙なところは何をやっても空回りするみたいな感じで……。相当腕のいい市長と、それについていける行政がいればどうにかなりようがあるのかもしれないけど、ちょっとした取り組みでは無理だよね、となっていると思うんですよね。

でも、「無理だよね」と言われているほうは結構辛い。実際に住んでいるし、このまちが結構好きだし、なんならずっと住みたいくらいなんだけど「無理だよね感」が漂っている。そこを解くというのは、すごくおもしろいと思います。

「集約と分散」を具体的に捉えることで、成り立つはずのものが増える

西村もう一点、地方都市という文脈で見ると、「大きな店が生き残る」のは本当だなと感じています。先ほど、需給のミスマッチというお話をされていましたが、小さい店はどんどん閉じていく状況が現実に起きていて、それはもったいないと思うんですね。一気に文化が均一化されていくということなので。

そこに対して、大きく集約するしかないという流れになりつつあるけれど、大きく集約することと文化を育むことは真逆です。わざわざいろんなものがあるというのが文化ですからね。森口さんは、そういったことに関して何か考えはありますか?

森口「集約」という言葉が出ましたが、僕は「集約と分散」という言葉をみんなすごく雑に扱っている、と感じていて。「分散型社会」という言葉も同様です。集約すべきものも、分散すべきものも明確にあるはずだけど、集約と分散という言葉を、社会に対して当てはめるときのメッシュが粗い気がします。

個人的には、信用力や資本、共通化が可能なオペレーションなどは、誰が何と言おうが集約したほうがいいと思っています。そういった点に関しては、わりと筋肉質な考え方をしているのですが(笑)、コンテンツ開発や接客のやり方まで集約してしまうような傾向には少し違和感を覚えます。

Mellowでは新たな時代のフランチャイズシステムのようなものを構想していて、車の保有などを基本的にファンド。つまり、オーナーとなる個人は車の保有に関しては資本リスクを負わずに済む仕組みにしている。かつ、共通可能なオペレーションの部分も、しっかりと習得することができる。

ですが、メニューなどは、それぞれのオーナーさんにきちんと自分がファンにしたい人たちの顔を考えてつくってもらう。そのように、「集約・分散」という部分の考えをもっと具体的にしていくべきだし、それによって成り立つことがまだまだたくさんあるはずだと思っています。

今までの「集約」という考え方が、「地産地消」や「まちおこし」みたいな二択になっているので、そこにはすごくもどかしさを感じています。どちらもやらなきゃうまくいくわけがないのに、どちらかのコンセプトのみから攻めようとしている状況には、課題感を感じていますね。

西村「研究者」が抱える課題にも共通するところがあるかもしれませんね。本来、研究者はクリエイティブサイドにいると思うのですが、「選択と集中」みたいなもので集約されしようとしている状況です。例えば「AIをやるんだったら研究費をあげるけど、そうじゃないならあげない」といった感じで、重点項目が決められてしまっている。

珍しいコウモリの研究や、和歌の研究などの重点項目ではないものに対して、「そんな研究をしても役に立たない」と言われたら、まあたしかにそうなんだけど。でも、それを言い始めると、ロングテールを全て切っていくことになるので「何も生まれない」が起こってくる。

もともと生まれていたものがあるので、初期の段階では「選択」でもなんとかなるし、いいかもしれないけれど、生まれる土壌すらゼロにしてしまうと、もう何も生まれなくなってしまう。それが研究という領域で実際に今起こっていることです。

「役に立つかどうか」という軸だけで捉えるなら、コウモリの研究が「役に立たない」ことなんて誰でもわかっています。研究している人ですらわかってる。でも、そんな中から稀に、100万分の1くらいの確率でものすごいものが生まれるんですよ。

100万分の1でインターネットみたいなものが生まれ、その裏には、死屍累々の99万9999がいるんですけど、それをやらないと1は生まれない。だから、「コウモリでもいいんだよ」という世界であるべきだと僕は思っているんです。

森口僕もそう思います。今、聞いていて思ったのは「会社」というのもそういうものなんですよね。つまり、ひとつひとつの施策すべてに対して「それは成長につながるの?」と言っていたら何もできなくなってしまう。

とはいえ、ある程度の説明責任や会計責任は果たしていかないといけない。資本主義という社会メカニズムの中では、特に。というのも、そうでなければ国や企業、コミュニティという単位で区切ったときに、それ以外の主体の人たちとのコミュニケーション不全が起きてしまうので。

なので、一定の説明・会計責任は必要ですが、演繹と帰納のバランスがすごく重要なんだと思います。カジノのルーレットでチップをどこにどれくらい賭けますか? という話と共通するところがあるのではないでしょうか。余裕があるときはオッズが高いところにたくさん賭けることができるけど、余裕がないときには固い手をとりますよね。

そういったシチュエーションで僕が参考にしているのは、数学者でありトレーダーでもあるラルフ・ビンスの著書『投資家のためのマネーマネジメント』で提唱されている、「オプティマルf」と呼ばれる複利運用の最適値です。その考え方をすごく簡単に説明すると、なるべく細かく刻んだベットをたくさん回す方がいいよ、ということなんですね。

経営での組織論でも、規律と裁量のバランスや、どれくらいの説明・会計責任から人を解放したほうがいいかなどはそこに通ずると僕はいつも考えています。以前、Googleが行なっていた「20%ルール(自分の業務時間の20%までは本来の担当業務ではない仕事に使うことができる制度)」は耳にしたことがあるかもしれませんが、そこには「説明できることだけが全てではない」という考え方が根底にあるのだと思います。

ただ、有限のリソースの中でやっている限り、説明できないことに対して大きく張りすぎると、組織が存続できなくなってしまうのも事実です。なので、存続し得る範囲でいかにたくさんベットして、組織として掴んでいけるかが課題なのだと思います。

西村なるほど。僕は「では、役に立つか立たないかわからないものに何パーセントかけたらいいんですか?」と聞かれることがあるんですが、「そうではなくて、逆の考え方だよ」と思うんですね。つまり、全てに対して最小限を張ればいい。そして、残りを選択と集中という形で使えばいいというだけで。最大限を、「選択」のほうに張ろうとするから間違える。

たしかに、最大限張りたい気持ちもわかるんだけど、最大限に張り続けて得られる最終利益と、ミニマムの小さいところに全てを張って得られる最終利益と、どちらが高いかというと後者です。なぜなら、後者ではインパクト極大が登場するからです。異常な数字を叩き出すインパクト極大は、利益が「×通常の範囲を超えた極大」になる。なので、いかに最小限全部に張り続けるかというのがめちゃくちゃ大事だと思っています。

森口全てに張れたらベストですが、もしそれが不可能だったら、全体のリソースに対してベットするレートをある程度アルゴリズムのようなものでランダムに決めてしまうのも手かもしれない。ジャストアイデアですが、研究者専用の宝くじや抽選みたいなものをやったらいいのかもしれませんね。

「小さなチャレンジ」がたくさん回ることがまちのクリエイティビティにつながる

西村今日お話を伺っていて思ったのが、いろいろできる環境をいかに担保するのかというのが、まちのクリエイティビティにつながっていくのかもしれないなと。中でも料理は音楽などよりも取りかかりやすいクリエイティビティだと思うので、挑戦できるサイズを初期費用や固定費などによって限定してしまうことによって悪影響が生じる、ということなのかなと感じました。

森口そうですね。社会全体で見たときに、チャレンジのサイズが小さく、たくさん回る状況のほうが大きな意味を持つと思います。僕は音楽をやっていたところからいつの間にかインターネットにのめり込み、起業して今に至っていて、自分自身がチャレンジのサンプル1で、たまたま今があると思っているんですね。

22歳、創業期の頃の森口さん

人が何を好きになるかは、コントロールできるものではありません。たまたまそれが料理だとしたら、これまでは初期費用が多額にかかるサイズのベットをしなければならない社会環境でした。インターネットによって個々人は小さなベットサイズでいろいろなチャレンジができるようになり、その結果として多様なクリエイティビティがスケールしたり、スケールせずとも自分らしい生活ができるようになった人は着実に増えているはずです。

それと同じようなことが、ビジネスのフィールドではまだ起きていないのが現状なので、それを起こしていくのは社会全体としても、「まち」というセグメントで区切った際にも意味があることだと思います。

西村そうですね。依然としてハードルの高い「フィジカルが介在するものにおける小さなチャレンジ」をどう生み出していくのかということなのかもしれませんね。

森口はい。僕はここ最近、フードに限らず芸術振興に取り組まれている方などともやりとりさせていただいていて。

西村それはなぜですか?

森口新型コロナウイルスの感染拡大によって、演奏家の方々のビジネスモデルは完全に破壊されてしまいました。顧客の年齢層がもともと高かったこともあり、ホールを半分の席で復活させても半分も埋まらないと。ヨーロッパではもともと屋外でのクラシック演奏の土壌や寄付・投げ銭文化がありましたが、日本にそういったカルチャーは一切ない。なので、そのフィールドづくりをモビリティによって何かできないかと思索しています。

西村本当にそうですね。コロナによってお稽古ができなくなるなど、みなさん本当に苦しい状況に置かれています。そんな状況下で、単純に「インターネット配信しよう」などではなく、森口さんがされているような、身体性が伴い、「場」を生み出す形としてのテクノロジーの参入はすごくおもしろいなと思います。

森口僕は今まで「文化」という枠でものごとを考えたことはなかったんですが、今日お話をしていたら「文化ってなんだろう」という疑問が湧いてきました。

西村僕が考える文化の定義は「人々の日々の行動が無意識に培って積み上げてきたもの」です。「無意識」というのが重要で。ひとつひとつは日々の小さな行動なんですが、そこにはトライ&エラーが常にある。それが、あるときに積み重なり始めるんですよね。すると「見える化」してくるので、「文化だ」という感じで認識され始める。

森口そう聞くと、「資本主義」も文化ではないかと考えてしまうんですが……。無意識に今にたどり着いているところがあるから。

西村基本的には人間が生物としてやっていること以外は全て文化なので、社会制度もひとつの文化ですが、文化にも幅があります。カチッとして知識として積み上げていっているものと、暗黙知ベースで動いていて知識としては積み上がっていないものという。

森口なるほど、わかりやすい。今日西村さんとお話して改めて気づいたのが、僕は「最適化フェチ」なのかもしれません。このサイズで成り立つはずのものが、成り立たないメカニズムになっているのはなぜだろうと探求したくなる。現状では、金銭的な流通量の最大化と個々人の幸福感がイコールにならないケースが多く見受けられます。それに対し、枠組みから再考して幸福量を最大化するところにやりがいを感じているのだと思います。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

自身に「こだわり」は少ないと語られていた森口さんですが、西村さんとの対話から「知への探究心」が溢れる方だということが伝わってきました。「集約か分散」「地産地消かまちおこし」のような二択ではなく、その間をいく解決法があるのではないかという仮説を立てて実証される森口さんの取り組みと、これをお読みになったみなさんの共創によって、まちづくりの未来は加速するのではないかと感じました。

また、「自身もチャレンジのサンプル1に過ぎない」と語られていたことも印象的でした。たまたま出会った目の前にある課題に対し、「なぜこれが生じるのか、どうしたら変えられるのか」と追求することを諦めない姿勢が、「新たな形のまちのあり方」を大きく動かしているのかもしれません。

次回は、株式会社ユーグレナの鈴木健吾さんに培養藻類がもたらす未来の可能性を伺います。「SFをノンフィクションにする」という思いでミドリムシをはじめとしたナチュラルサイエンスに取り組んでいる鈴木さんが描いている未来図とは。こちらもぜひお楽しみに!

代麻理子 ライター
慶應義塾大学法学部法律学科卒業。渉外法律事務所秘書、専業主婦を経てライターに。心を動かされる読みものが好き! な思いが高じてライターに。現在は、NewsPicksにてインタビューライティングを行なっている他、講談社webメディア「ミモレ」でのコミュニティマネージャー/SNSディレクターを務める。プライベートでは9、7、5歳3児の母。