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地域、企業、若者。各分野のキーマンが考える未来の価値観・働き方 【「100年人生時代のライフシフトと未来社会のデザイン」シンポジウム その1】

シンポジウム

未来社会の可能性をどう考えるか。

ミラツクは2018年7月26日、「100年人生時代のライフシフトと未来社会のデザイン」をテーマにしたシンポジウムを開催しました。
「ライフシフト時代の未来の価値観・働き方」「あそぶことから生まれる未来のライフスタイル」というテーマで、地域や企業、若い世代からそれぞれゲストを招いたパネルディスカッションを実施。聴講者を交えたワークショップも行い、未来社会の可能性を考え、アイデアを出し合いました。

ミラツクは、2017年6月から経済産業省とともにライフシフト人材に関する調査プロジェクトを、2017年8月からは未来社会デザインに取り組むためのツール開発プロジェクトに取り組んできました。具体的には、未来予測に関する書籍を分析するなどして、38領域401項目の未来予測情報をデータベース化。未来社会をデザインするための基盤整備を進めています。

今回は当日のシンポジウムから、「ライフシフト時代の未来の価値観・働き方」をテーマに行われたパネルディスカッション(その1)の模様をお届けします。進行はミラツクの代表・西村勇哉です。

(photo by Yoshiaki Hirokawa)

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

登壇者プロフィール
阿部裕志さん
株式会社巡の環 代表取締役
愛媛県生まれ、愛知県育ち。京都大学大学院(工学研究科)修了後、「トヨタ自動車」入社。生産技術エンジニアとして新車種の立ち上げ業務に携わる。現代社会のあり方に疑問を抱き、入社4年目で退社。新しい生き方の確立を目指し、2008年に島根県・隠岐諸島の1つである海士町に移住。「持続可能な未来へ向けて行動する人づくり」を目的に、仲間と「巡の環」を設立。2011年に海士町教育委員、2018年に海士町商工会の理事に就任。著書『僕たちは島で、未来を見ることにした』
河崎保徳さん
ロート製薬株式会社 広報・CSV推進部 部長
1960年、大阪府生まれ。生命保険会社を経て、1986年に「ロート製薬」入社。商品企画部長、営業部長、営業企画部長を歴任。東日本大震災後、震災復興支援室長として震災復興に尽力。遺児の奨学金「みちのく未来基金」の立ち上げや産業・コミュニティ支援、地域と企業の連携による地域課題解決にも取り組む。現職に就任後、新CI(コーポレートアイデンティティ)の制定や、健康を軸にした地域連携、新規事業開発などに従事。
新居日南恵さん
株式会社manma 代表取締役社長
1994年生まれ。慶應義塾大学法学部卒。同大学院システムデザイン・マネジメント研究科に在学。2014年に「manma(マンマ)」を設立し、学生が子育て家庭の日常生活に同行して生き方のロールモデルに出会う体験プログラム「家族留学」を開始。文科省「Society5.0に向けた人材育成に係る大臣懇談会」、内閣府「人間中心のAI社会原則検討会議」の委員。日本国政府主催「WAW!(国際女性会議)」アドバイザー。
清原博文さん
株式会社デンソー 東京支社 特プロ・共創HUB推進室 担当次長
福岡県出身。「デンソー」入社後、デザイン部門で自動車用計器類デザイン、店舗用スキャナーデザイン、携帯電話デザインなどのプロダクトデザイン経験を経て、さまざまな製品の技術PR映像制作、自動車用HMI(Human Machine Interface)デザインなどを行ってきた。その後、ソーシャルデザイン課において生活者とともに価値共創するためのサービスデザインおよび社会課題をビジネスで解決するための企画に取り組む。
梶川文博さん(コメンテーター)
経済産業省 経済産業政策局 政策企画官
早稲田大学法学部国際関係コース卒。2002年、「経済産業省」に入省。中小企業金融、IT政策、デザイン政策、経済成長戦略の策定、産業競争力強化のための人材育成・雇用政策、省内の人事企画・組織開発、ヘルスケア産業育成、マクロ経済の調査分析を担当。現在は、主に成長戦略の策定などに携わっている。

地域、世代、企業。垣根超えた異色メンバーは何を語るのか

西村まずは自己紹介からお願いします。

阿部さん「トヨタ自動車」で4年ほどエンジニアをしていましたが、このままの経済成長やグローバル競争で世界一を取った先に、果たして何があるだろうか。みんなギリギリのところで頑張っています。さらに競争が激化した先に、幸せはあるだろうか。そんな疑問から、会社を辞めて島根県海士町に移住し、起業しました。

現在は、島の魅力を高める「地域づくり事業」と、島外の企業や自治体、大学の研修を行う「教育事業」、島産品の販売やまちの魅力を発信する「メディア事業」、この三本柱を軸に、海士町から“社会を自分事と捉えて未来をよくしていこう”とする人を増やしています。

今気になっているキーワードや関心事のひとつに、「島の人事部」構想があります。例えば、週3日は「巡の環」で働き、残りの2日は福祉の仕事に携わる。そうした働き方が実現できないか。島全体に横串を刺したような、島の人事を司る“部署”を立ち上げようとしています。

河崎さん「NEVER SAY NEVER」。これは2016年に制定した新CIで、広報内のチームが提案しました。「不可能はない」という意味ですが、重要なのはこの後に続く“FOR ◯◯” (何のために)という部分です。つまり、「◯◯のためにできないとは絶対に言わない」と宣言したのです。同時に、この◯◯に“money(お金)”と“me(私)”以外の“誰か(社会)のために”というところがこのコーポレートスローガンの大切なところです。

東日本大震災の後、僕はネクタイを外して復興支援に入り込みました。代表的な活動のひとつが、入学から卒業まで全額返済不要、人数制限なしの奨学金「みちのく未来基金」の立ち上げです。すでに400人ほどが社会に出ています。

被災地で僕は気づかされたんです。僕たちは何のために働いているのか。決して売上げや利益が目的ではありません。そこで僕たちが掲げたキーワードが「健康」です。「健康」のために何ができるのか。“薬に頼らない製薬会社”になると決めたんです。現在はこの「健康」を軸に、食事業など薬に限らない提案のためのさまざまな事業にトライしています。

さらに今後は、「未来のための人づくり」にも力を入れいきます。具体的には、新卒一括採用以外の道をつくること。それと、全国の農業高校からの人材の掘り起こしにも挑戦したいと考えています。

新居さん私は「manma」で、学生が子育て家庭の日常生活に同行する体験プログラム「家族留学」を行っています。私たちのような若い世代にとって、就職、結婚、出産と、これから待ち受ける人生について長期的な視点で考えられるような機会が少ないのが現状です。採用面接で「出産しても働けますか」なんて直接聞きづらいし、親にも相談しづらい。そう思っている人が多いんです。具体的な生き方のロールモデルを知ることで、人生を長期的に考えるきっかけをつくりたいと思っています。

キャリアだけではなく、その先の結婚や出産、そして家族をつくることについて考え、いい未来や環境をつくっていくこと。そして、若い世代がこれからの未来づくりに関わっていくこと。こういうことに強い興味があります。

清原さん「デンソー」に入社後は約30年にわたり、デザインの関連業務を担ってきました。自動車用計器類や携帯電話などのプロダクトデザイン経験、さらに製品技術のPR映像制作などです。54歳で東京支社に異動してからは、ソーシャルデザインを担当してきました。現在は、”生活を輝かせる移動”とは何か。また、地域課題解決エコシステムというテーマに取り組んでいます。

私が夢描くのは、Well-being(幸福)な社会をつくることです。Well-beingにはさまざまな解釈があると思いますが、ソーシャルデザインチームで当時決めた定義は、何事も自分の意思で決める。自分に人生のオーナーシップがある状態です。加えて、個人が社会と接続している状態。そういうWell-beingな人たちが世界中に増えていくこと。それが私の夢です。

というのも、今の世の中はどうも“価値の過剰提供”になってはいないだろうか。そういう疑問があるからです。私たち「デンソー」をはじめとするメーカーは、とにかく“売ろう”と利便性や快適、快感を提供し続けています。ただ、それが行き過ぎれば自分で何もしなくても、勝手に何かが入ってくる。そんな“待つだけ”の状態になり、“自分でやる”ことを忘れてしまいます。ですから、例えば震災などの異変が起こったときに、どうしようもできない、生き延びる力を持っていない。そんな事態に直面するわけです。なんとか自分で生きていく力を取り戻すことはできないだろうか。そして、自分事として未来を切り拓いていく。そんな社会をつくりたいと思っています。

梶川さん私は経産省で、主に成長戦略をつくる仕事をしています。そうした経済的な豊かさを求めていくのと同時に、新しい価値軸が必要だろうとも思っているんです。そんな視点で今、さまざまなことをトライアルで行っています。西村さん率いる「ミラツク」と一緒にやっている、ライフシフト人材に関するプロジェクトもその一つです。人生100年時代を単なる寿命の延長ではなく、社会そのものが大きく変わっていくなかで、どういう風に捉え、生きていけばいいのか。その調査・研究を行ううえでも、今日のセッションはとても楽しみにしています。

未来に目を向ければ、企業のフィールドは広がる

西村今回のセッションを組もうと思ったきっかけは、河崎さんとの会話でした。「ロート製薬」は、“食べることから健康をつくる”と、農場経営やフローズンアイスバー「パレタス」などいろんな事業を展開しています。聞けば、それは“先を見据えている”からだといいます。これを聞いて、未来に対する企業のあり方についてディスカッションしてみたいと思ったんです。そこで、まず河崎さんから、その「食」に関する取り組みについて何を目指しているのか、具体的に教えてもらえたらと思います。

河崎さん僕ら企業は、目先の売上げと利益をとても気にしています。投資家も数多くいますからね。それができていない会社に、未来を語る権利はない。そんなフレーズを、常にどこかに背負い続けているんです。ただ、東日本震災の復興支援から帰ってきて、本当にそれでいいのかと改めて問いかけました。

「被災地で何を学んだのか」。震災から2年ほど経ったとき、会長の山田(邦雄)が言いました。「企業はビジネスだけやっとったらあかん。もっと世の中の役に立つ存在にならないといけない」。それと、未来に目を向けることで、いろんな課題を解決できることにも気づかされました。

短期的な利害にとらわれると、敵対してしまうことがあります。被災地であれだけ助け合った住民たちが、高台移転や防潮堤の是非について意見を対立させる光景を目の当たりにしました。そんなときに、あるNPOの関係者が「子や孫にどんなまちを守り、残しますか」と問いかけました。この一言は、目の前では利害が合わなかった人たちが、目線を未来に向ける魔法の言葉でした。その後、対立から未来を創る“同志”になれました。未来志向は大切ですね。

僕たち企業も、未来に目を向けることでできることがある。その1つが、「食」だったんです。農業は就労人口がどんどん減少し、水害や温暖化などの環境変化のなかで、高齢の農家が一生懸命僕らの食卓を支えてくれています。

一方で、製薬会社には“サイエンス”という武器があります。その研究技術が、例えば栄養価の高い農作物を育てるのに役立つのではないか。気候変動と闘いながら農業を進化させるために役に立つのではないか。未来に目を向けることで、企業のノウハウはもっと社会に役立てられることに気がついたのです。30年後や50年後を常に考えるべきではないか。そんな未来志向を、企業も大切にしなければいけないと思います。

西村阿部さんは、海士町に移住してもう10年が経ちましたね。長く地域にいるからこそ見えてきた“地域の未来や価値観”があるのではないですか。

阿部さん人口約2,300人の島に、過去13年間で600人ほどが移住してきました。大半が、私と同じような世代です。年間に生まれる子どもの数も、私が移住した当初は8人ほどでしたが、今では20人くらいに増えています。「地方創生のモデル」とよく言われますが、現在はいろんな意味で“大事な時期”を迎えていると思っています。

今、海士町に限らず多くの地域が「このままではまずい」と危機感をもって突っ走っている状態だと思うんです。例えるなら、100メートル走をダッシュしているイメージですね。またこれまでは、例えば教育は◯◯さん、一次産業は◯◯さんといったように、それぞれの部門にキーマンや守護神のような人がいて、その何本かの強力な柱で地域を立ち直してきている現状もあります。ただ、こうした“危機感経営”に限界を感じ始めています。

海士町の場合、「夕張市よりも先に破綻するかもしれない」と言われていた財政は、なんとか一旦持ち直しました。すると、これまで危機が真ん中にあるからこそ集まって手を組んでいた状態から、危機が少し遠のいたように見えることで、団結力が薄れてしまっている感覚があります。危機は過ぎ去ったわけではないのに、それがなかなか伝わりづらくなっているんです。しかも、各分野のキーマンたちは長年突っ走ってきたので、このままでは心身ともに疲弊していく懸念もあります。

では、何が必要なのか。私は危機感経営から“ビジョン経営”に、短距離走から“長距離走”に切り替えていくことが重要だと思っています。平たく言えば、“やばい”から“あっちへ行こうよ”です。つまり、“指標づくり”が必要なんです。

ブータンが国是とする「国民総幸福量(GNH)」はわかりやすいですよね。それに倣って、私たちは“海士町らしい幸福度”をつくるための調査を始めました(詳細はこちら)。「周りの人におすそ分けしているか」「地域課題について話し合っているか」「祭りには参加しているか」などの実態調査を行いました。それをもとに、まちの経営指標のようなものをつくりたいと考えています。

同時に、“多中心モデル”への転換も必要でしょう。中心を担う一部の人が柱を支え続ける従来のモデルではなく、いろんな人が中心的な役割を担い、柱がたくさんあるような状態のことです。これも、長距離走を走り切る条件になると思います。

 

「目的ドリブン」の若い世代の価値観とは

西村 今、若い人たちの価値観に非常に興味があるんですが、新居さんは今の議論をどう聞いていましたか。

新居さん西村さんからは私たちの世代の価値観が新しく見えると思いますが、本人からすると当たり前のことなんですよね。私自身、上の世代との価値観の違いを感じるケースは多くあります。

例えば、「名刺を差し出すときに、なぜ相手よりも下に下げないといけないの?」「ビールが減ったら、なぜ素早く注がないといけないの?」といった具合にです。「今日お会いできて嬉しいです」。そう一言言えば、わざわざ名刺を下げなくても気持ちは伝わるはずなのに。そう思ったりしています。つまり、目的に対する行動がいまいち結びつかない違和感と、それに対して「こんなこともできないのか」と大人に言われることへの落胆。常日頃、そういうギャップを感じています。

私たちの世代は、よく「目的ドリブン」(目的ありき)と言われます。働くにあたっても、昇進や給料よりも、自分がやっている仕事に対する意義や、世の中にどう役立っているのかを重要なモチベーションにしています。目先の売上げや利益のためだけに「みんなで力を合わせて頑張ろう」「とりあえずやれ」なんて言われても理解できません。「それが何のためなのか」「それによって世の中がどうなるのか」という思考が、違和感なくフィットするんです。

西村“上の世代”として清原さんはどう感じますか?

清原さん私は思いっきりビールを注いでましたね(笑)。目的を定めて、それに向かっていくことは大事だと思う反面、答えがないと動かないというのは果たしてどうなのか。サラリーマンのよくないところは、型にはまることだと思います。型がないと、なかなか安心できないわけですね。ただ、型に入りながらも先輩の技をこっそり盗もうと考えてたり、虎視眈々と「何かやってやろう」と狙っていたりする人たちがいないわけではありません。

私から若い世代に聞いてみたいことがあります。目的がなくても、まずは動き出してみることで生まれるかもしれない「セレンディビティ」(偶然の出会いや予期せぬ発見)については、どう考えているのでしょうか。

新居さん「セレンディビティ」は意識しています。決して答えのない正解に向かっていくことが苦手な世代ではないと思います。ただ、例えば「先輩が忘年会でやっていたから」などと単に“慣例だから”と一言だけで指示されると、「それって必要なの?」と思ってしまうんです。

なぜ必要なのか。忘年会の話も、目的があるはずですよね。「みんなが同じことをやることによって、連帯感が生まれる」とか、納得のいく理由を共有できればいいんですよ。つまり、上の世代からするとわざわざ説明する必要がないと思うようなことでも、若い世代はそれを求めてるんだと思います。逆に言えば、そういう脳内にある言葉をちゃんと伝えてくれれば、理解できるはずなんです。

西村新居さんは大学院で研究をしながら「manma」を経営していて、「NewsPicks」や「BUSINESS INSIDER」などのWEBメディアにも寄稿しています。50代の社会人が一本のキャリアを終えた後にやるようなイメージなんですが、20代で実行するのはなぜですか。

新居さん私の頭のなかには、“自分の生き方三角形”があります。家族がよりよい環境で暮らせるにはどうしたらいいか。まずは、それを研究するためのフィールドとして大学院があります。でも、研究だけずっと続けるよりも、形にするからこそ研究も深まる。そういう思いから、実践の場として「manma」を経営しています。その経験を研究に活かし、今度はまた経営に還元する。そういうサイクルを大切にしています。それに加えて、せっかくだから多くの人に知ってもらいたい。そういう思いも出てきたので、記事を書いて伝えるようにしています。

大学院で研究して、「manma」で実践し、人に伝える。その三角形が、私にとってはとてもバランスがいいんです。みなさんが会社のなかだけではなく、社外の人たちと交流することで会社の仕事がうまく回るようになることと、同じようなイメージではないでしょうか。

価値観を“今”や“未来”の目線でアップデートする

西村こういう若い人たちの価値観や個性を活かすために、どんな会社をつくるべきでしょうか。

河崎さん僕たちがずっとやってきた会社づくりは、形の決まったブロックを積み上げて塀をつくることでした。新入社員研修という名の下に、趣味も育ちも違う学生を“ロート人”に育て上げてきたのです。新居さんのような20代の若い子たちの個性を、僕ら企業はどうやらつぶしていたのではないか。そういう懸念を本気で感じています。

この子たちの個性を、そのまま企業のなかで活かしていくような会社にしないといけません。会社としては、形が均一なブロックの塀は組み立てやすい。僕らがそうやって築き上げてきた画一的な人事制度や教育制度は、今までは競争力になっていましたが、これからは通用しないでしょう。

必要なのは、“石垣をつくるように、人の個性を生かす”ことです。石垣はそれぞれ形が異なる石を積み上げるので、組み立てるのが大変です。ただ現状では、仮に石垣をつくるための人事評価やマネジメント体制を敷いたら、多くの上司が戸惑うでしょうね。新居さんが一人いるだけならなんとかなっても、例えばチームのなかに5人いたら「やばいぞ、まとまらない」となりかねません。ですが、現状はそうであっても、個性を活かすための新しいマネジメントを考えることは、僕らに課せられた新しい仕事・役割でしょうね。

西村「ロート製薬」は2016年という早い段階で率先して副業を解禁しました。その進捗や結果はどうですか。

河崎さん2016年の新CI制定と同時に、社外での副業と、社内の別の部門に籍を置く「ダブルジョブ制度」をスタートさせました。これは、若い世代に「君たちがもっと早く成長するために、どんな会社の支援が必要か」と投げかけて出てきたアイデアです。

副業について必ず質問されるのは、「本業は大丈夫か」という心配の声です。答えは、「副業している社員のほうが、本業の成績はいい傾向がある」ということです。副業の約6割は、生まれ育った故郷に関与する活動が多いようです。地元産品の通販サイトを立ち上げたり、地ビールの工場をつくったり。ポイントは、副業では“好きなことをやる”ということです。平日夜や土日に好きなことに没頭することは、とてもパワーになるんですね。

それと、会社が社員を信じることも大きなポイントです。突拍子もないようなことを始める社員が出てこない可能性は、ゼロではありません。だからこそ、経営者が社員を信じてないとできないんです。実際にやってみたら、社員は期待に応えてくれることがわかりました。

副業は、冒頭で清原さんがおっしゃっていたような、“自分の人生を自分で選べる”ということでもあります。社会人生活の中で、自分の道を、自分で選べる。そういう選択肢を一つでも多く提供することが、若い社員の成長と、さらには会社のアウトプットにもつながるわけです。

阿部さんさきほどから話に出てきている、会社のルールや文化に従うことの是非や、目的を重視する若い世代の意識について、私の経験をお伝えしたいと思います。私は河崎さんや清原さんと、新居さんのちょうど間の世代(39歳)です。「トヨタ自動車」にいた当時の私は、とても生意気でした(笑)。新居さんがおっしゃるように、会社のルールや上司の言い分に「意味がわかりません」「やりません」を連発していました。

一方で、海士町に移住してからは、変化が起きていることに気がついたんです。海士町にも、いわゆる地域独特の習わしがたくさんあって、それはある意味で企業の風習と似てるんですよ。例えば、「地区の掃除に出なさい」とか、「宴会の席では偉い人が座る場所に気を遣いなさい」とか。ただ、なぜかそういうことは自然に受け入れられているんです。トヨタ時代のマラソン大会への参加は嫌でしたが、海士町で神輿を担ぐのは好きなんですよ。この違いは果たして何なのか。

私は「トヨタ自動車」が嫌いで辞めたわけではなく、むしろ今でも尊敬しています。単に外に出て社会と関わりたい、世の中を変えたいと思っただけです。ですから、自分が所属している組織への愛情や忠誠心だけでは、この変化はどうも説明できない気がしていて。このあたりはまだ、答えを探しているところなんですが。

清原さん私自身はずっと企業の習わしに沿って働いてきました。ただ、今になって企業の言う通りになりたくないという気持ちが生まれています。ソーシャルデザインに携わるようになって、会社がお金儲けのことばかり考えているように見えるからでしょうね。その状態や見え方で行われているルールや基準に、反発心が出てきているのでしょう。

でも、それはまだ経営陣の考え方や組織のあり方を理解しきれていないだけなのかもしれません。この文化や風土は、どういう歴史から生まれたのか。今までどうやって継承してきたのか。それをつくってきた裏側の物語を知り、本質を理解できたときに初めて、心から応援できるようになるのではないでしょうか。

河崎さん実は僕は、被災地に行くまでは今とは少し違う意識の社員だったんです。経営陣は僕を被災地に送り込むにあたり、全員が年収の10%を復興支援活動に寄付してくれました。それを見たときに、僕はこの会社の「社会的な存在意義」への強い思いに気がつきました。経営理念を見てみたら、どこにも「売上げや利益を上げろ」なんて書いてないわけです。その後、紐が解けるかのように社内の仕組みや制度、経営陣の考えが理解できるようになりました。

新居さん以前、大学院の授業で、ある名物先生が言っていた言葉が印象に残っています。過去の人間が下した判断を、今の視点で「間違っていた」と批判するのはおかしくないか。そういう指摘でした。例えば、戦争を始めた権力者がいるとします。それに対して、私たちは後の結果と歴史を知ったうえで、「なんであんなことしたの?」と批判しますよね。でも、彼らは私たちが知らないその時代の視点で考え、判断した。安易に批判するのは間違っていないか、というわけです。

会社の制度も、そのとき必要なものだったから、そう感じた人が考えてつくったわけですよね。ですから、それを今の時代背景から見て「不要だ」とただ批判するだけでなく、今の時代や目線に合わせて、どういうかたちに変えていけるか。常にアップデートしていかないといけないのではないでしょうか。

私の感覚も、もしかしたら18歳の子からしたら古く見えるかもしれません。だから常に上と下のそれぞれの世代の価値観を感じ取りながら、変わり続け、生き続ける。変化の激しい時代だからこそ、私自身の生き残り戦略としても、またこの国の未来にとっても、そうやって過去の背景を理解したうえでアップデートを積み重なることが、ポイントになるのではないでしょうか。

 

梶川さんみなさん、ありがとうございました。阿部さんとは同じ世代ですが、私自身も若い人から上の世代までいる組織のなかでどうやったらいい政策をつくれるのか、試行錯誤しています。最初は役所ならではの前例踏襲主義が嫌でしたが、それでも17〜18年と過ごしてきました。それは、組織のミッションが社会につながっている。そう信じ続けることができたからだと思っています。

河崎さんがおっしゃっていた、会社が利益を追求するばかりでなく、社会とつながっていることを実感できたときにご自身も変わったという話に近いかもしれませんね。企業の目的と社会がつながっていて、そこに自分個人の価値が見えてくれば組織のなかにとどまり、別の場所に居場所を求めるのであれば阿部さんのように外に出ていく。やり方や価値観がはまるかどうかが、重要なのではないかと思いました。

新居さんや、清原さんたち上の世代が交わしていた議論も興味深かったですね。経産省は霞ヶ関のなかでは比較的柔軟な組織ですが、それでも過去につくった制度が今の人の価値観に合わないことは多いです。少し青臭い話ですが、最近は老壮青(ろうそうせい/老年、壮年、青年の意味)が集まり、「どこに向かって、何をするのか」と議論し始めています。「僕らの世代がこう思うけど、君たちの世代はどう?」などと、互いに価値観を擦り合わせながら政策づくりに活かそうとしています。

企業や組織、地域において、世代や立場で異なる価値観をどう揃えるのか。これは大事なテーマですよね。互いにディスカッションして、一緒に未来のために考えていけるといいですね。

 

未来に向かって何を守り、何を変えるのか

西村最後に、4人からディスカッションの感想や今取り組んでいること、今後への決意などをお聞きしましょう。

阿部さん今日のセッションで確信が持てたのは、「何を守るために、何を変えるのか」。そのことを意識し続けることの重要性です。このことを起点にすることで、立場や世代が違っても共通の会話ができることが少なくありません。それに、そこから生まれた考え方や方向性は、ブレにくくなります。企業や組織だけでなく、自分らしさを守りながら働き方を変えるという意味では、個人にも当てはまることでしょう。改めてそのことに確信が持てた、有意義なセッションでした。

河崎さん今日は“世代間ダイバーシティ”を学ぶ貴重な機会になりました。新居さんの考えには非常に同調します。ところが、もし自分の娘が同じことを言ったら、「何考えてるんだ?」と叱ってしまいそうです(笑)。自分自身をもっと柔軟に変えていかないと。そう思わされました。

2020年までに、新卒一括採用を変える提案とルールを具体的に動かしていきたいと思います。短い就活期間に乗り遅れたら就職できないような、選択肢の少ない採用制度に風穴を開けます。学生や20代の若い人たちには、やりたいことに目一杯チャレンジしてほしいんです。その代わりに、例えば結婚や出産を経た30代になって就職したいと思ったときには、僕ら企業がお誘いします。そういう二本目の道をつくることを、複数の企業に声をかけて準備できればいいと思っています。

新居さん河崎さんのお話を聞いて、父親が私に「大企業に勤めたほうがいいのでは?」とつぶやいていたことを思い出しました(笑)。大企業や中小企業、あるいは地域のなかで敷かれたルールの是非や、それに従って生きていくか、それともそうではない生き方を選ぶのか。はたまた、若い世代と上の世代にどんな価値観の違いや対立があるのか。結局どれも、“大事ではない”ことを痛感しました。

「manma」にもきっとルールがあって、そこに入ってきたときに違和感を覚える人もいるでしょう。すべての組織や地域などにはそれぞれのルールがあって、それに浸れるときと、浸れないときがあるはずです。違和感を感じながらもその組織に属したり、離れて別の会社に移ってみたり、あるいはフリーランスになってみたり。とにかく転々といろんな組織に属しながら、生きていくんだろうな。最後に、私はそんなことを感じました。

清原さん冒頭でもお話したように、私はすべての人が自己肯定感を持って生きていく社会を目指したいと思っています。ただ、500キロ離れた人に訴えてもなかなか届かないので、隣の人にどうやって肯定感を持ってもらえるように働きかけられるか。まずはそこからトライしていきます。

それと、「移動」に携わっている企業だからこそできること。つまり、人を動かすことによって、その人たちの自己肯定感を高める。そういう流れにうまくつなげていけるかどうか。これからも挑戦していきたいですね。

西村では、これでセッションを終わります。有意義な時間をありがとうございました。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

近藤快 ライター
フリーライター。1983年、神奈川県生まれ。2008年〜化粧品の業界紙記者を経て、2016年〜フリーランスに。東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)で震災・復興現場の取材、50人インタビュー企画「Beyond 2020」を担当。災害時における企業・NPOの復興支援や、自治体の情報マネジメントを集積したWEBサイト「未来への学び」(グーグル社)のほか、化粧品業界やCSR・CSV、地方創生・移住、一次産業などを中心に取材〜執筆活動している。