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知の循環と未来社会のデザイン。「知」を次世代につなぐには【ミラツクフォーラム2018】

フォーラム

ミラツクと親交の深いオピニオンリーダーや企業関係者が集結し、白熱の議論を繰り広げる年の瀬の恒例イベント「ミラツク年次フォーラム」。2018年は舞台を東京の新名所としてオープンした「東京ミッドタウン日比谷」に移し、12月23日に開催しました。今回も、「未来社会」「ソーシャル・イノベーション」「人材育成」「まち」などをテーマに、さまざまなトークが繰り広げられました。メイン会場で行われたセッション2のテーマは、「知の循環と未来社会のデザイン」です。「知」を循環させるには、何が必要なのか。研究者や大学教授、地域のリーダーらが集まり、ユニークな持論を展開しました。進行は、ミラツク代表・西村の進行です。

(photo by Yoshiaki Hirokawa)

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって運営されています。http://room.emerging-future.org/

登壇者プロフィール
井上浄さん
株式会社リバネス 代表取締役副社長CTO
東京薬科大学大学院薬学研究科博士課程修了、博士(薬学)、薬剤師。「リバネス」創業メンバー。博士課程を修了後、北里大学理学部助教および講師、京都大学大学院医学研究科助教を経て、2015年より「慶應義塾大学先端生命科学研究所」特任准教授、2018年より熊本大学薬学部先端薬学教授、慶應義塾大学薬学部客員教授に就任・兼務。研究開発を行いながら、大学・研究機関との共同研究事業の立ち上げや研究所設立の支援等に携わる研究者。
阿部裕志さん
株式会社風と土と 代表取締役
1978 年、愛媛県生まれ。京都大学大学院にてチタン合金の研究で修士号を取得後、「トヨタ自動車」の生産技術エンジニアとして働くが、現代社会のあり方に疑問を抱き、2008年海士町に移住、起業。島の魅力を高める地域づくり事業、島外の企業や自治体、大学の研修を海士町で行う人材育成事業、島産品の販売や海士町の魅力を発信するメディア事業を行う。田んぼ、素潜り漁、神楽などローカルな活動を実践しつつ、イギリス・シューマッハカレッジやドラッカースクール・セルフマネジメントなどのエッセンスを活用した研修プログラムづくり、JICAと提携し海士町とブータンとの交流づくりなど、グローバルな視点も取り入れながら、持続可能な未来を切り拓いている。著書『僕たちは島で、未来を見ることにした』(木楽舎)。「一般社団法人ないものはないラボ」共同代表、海士町教育委員。
柳瀬博一さん
東京工業大学 リベラルアーツ研究教育院 教授(メディア論)
1988年、慶應義塾大学経済学部卒。 同年、「日経マグロウヒル株式会社」(のちの「株式会社日経BP社」)入社。 「日経ビジネス」編集部、「日経ロジスティクス」編集部などを経て、 出版局で書籍編集に従事。 2006年スタートの「日経ビジネスオンライン」の事業構築に参画。 2008年より、広告企画のプロデューサーに。 2017年4月より、現職。
秋山弘子さん
東京大学 高齢社会総合研究機構 特任教授
イリノイ大学でPh.D(心理学)取得、米国の「国立老化研究機構」(National Institute on Aging)フェロー、「ミシガン大学社会科学総合研究所」研究教授、東京大学大学院人文社会系研究科教授(社会心理学)、「日本学術会議」副会長などを経て、2006年に「東京大学高齢社会総合研究機構」特任教授。専門はジェロントロジー(老年学)。高齢者の心身の健康や経済、人間関係の加齢に伴う変化を30年にわたる全国高齢者調査で追跡研究。近年は超高齢社会のニーズに対応するまちづくりやリビングラボにも取り組むなど、超高齢社会におけるよりよい生のあり方を追求。
前野隆司さん(コメンテーター)
慶應義塾大学大学院SDM(システムデザイン・マネジメント)研究科委員長・教授
東京工業大学卒、同大学院修士課程修了。「キヤノン株式会社」勤務、カリフォルニア大学バークレー校客員研究員、ハーバード大学客員教授、慶應義塾大学理工学部教授などを経て現職。博士(工学)。ヒューマンインタフェースのデザインから、ロボットのデザイン、教育のデザイン、地域社会のデザイン、ビジネスのデザイン、価値のデザイン、幸福な人生のデザイン、平和な世界のデザインまで、さまざまなシステムデザイン・マネジメント研究を行っている。

研究者、地域のリーダー、メディア、高齢社会の専門家

西村では、まずは自己紹介から始めましょう。

井上さん科学技術分野における教育、人材育成、研究、創業に関する知識製造業を手がける「株式会社リバネス」の副社長CTOを務めています。研究が、本当に大好きなんです。“世界初”が自分の手で、目の前で証明される醍醐味を子どもたちに伝えて、将来は一緒に大きな研究をして、最終的には世界をよりよくする、人類が進化していく。そんな研究に貢献したいと思って、いつも研究活動をしています。

阿部さん10年ほど前に島根県の海士町という島に移住し、仲間と一緒に会社をつくりました。2018年10月に社名を変更し、「株式会社風と土と」として新たなスタートを切っています。キャリアのスタートは、「トヨタ自動車株式会社」のエンジニアです。日々、“世界最速”や“無人化”を追求するような仕事をやっていました。やりがいはあったんですが、一方で「この競争が激化した先に、誰が幸せになるのだろうか」という疑問も湧いてきたんです。そうではない社会のあり方を目指したくて、移住して起業しました。

柳瀬さん東京工業大学の「リベラルアーツ研究教育院」でメディア論を教えています。教授になったのは2018年4月。それまでの30年間は、「株式会社日経BP」で記者・編集者・プロデューサーをしていました。博士号も修士号も取得していないまま、いきなり東京工業大学でメディア論を教えることになりました(笑)

でも、だからこそ教えられることがあると、一応思っています。学生には、「理系の研究者や科学者こそ、メディアであれ」。そんなことを伝えています。メディアは、8割型が理系の仕事なんですよ。スマホというハードウェアや、インターネットというプラットフォームがなければ、コンテンツ(記事)は存在しないも同然です。メディアというと、コンテンツをつくる人たちが中心のように思われますが、実はプラットフォームとハードウェアが先なんです。だから、メディアこそ理系の仕事なんです。

秋山さん東京大学の「高齢社会総合研究機構」で教員をしています。伝統ある大学において非常に異質な組織で、全学部から80数名の教員が参加しています。ほかに、2017年に立ち上げた「一般社団法人高齢社会共創センター」の代表理事も務めています。

長い間、高齢社会を生活者の立場から調査・研究してきましたが、「やるべきこと、課題はわかってきてるんじゃないか」と思うようになりました。どの学会でも同じような議論をしています。今必要なのは、その先のソリューション(解決)とアクションだと考えています。今は、そうした課題解決型の研究や活動に力を入れています。

「知の流動」を起こす仕組みとは……

西村このセッションで議論したいのは、「知の循環」についてです。例えば、阿部さんは海士町でいろんなことにチャレンジしています。でも、そこで「知の循環」が起こらないと、同じことの繰り返しになってしまうわけですね。同じことの繰り返しから脱却し、新しいことを考えたり始めたりするには、どうすればいいのか。また、秋山さんがおっしゃっていたような「わかっていても、動かないと意味がない」といった話。では、その“わかる”と“動く”の間にどう橋をかけていけばいいのか。そんなことを考えていきたいと思います。

では、最初に阿部さんからお聞きします。海士町は地域づくりの文脈で有名な場所ですよね。約十年間やってきて、社名を「株式会社風と土と」に変えました。その転換の理由を教えてもらえますか。

阿部さん持続可能な未来に向けて、挑戦する人を増やす活動に力を入れてきました。どうやって島のなかに仲間を増やし、それに伴って具体的なアクションが増えるか。つまり、活動の総量を増やすことに力を注いできました。

それをやってきて今感じているのは、めちゃくちゃ活動量は増えてきたんですが、なんとなく疲れてきたんですよね。仲間が増えて、毎週末いろんなイベントが行われるようになりました。忙しくて、みんな手応えをつかんだ気になっているけど、「じゃあその結果、農家や漁師の後継者は増えましたか」とか、地域の重要なトピックに目を向けると、「あれ、いまいち進んでないんじゃない?」と。要は、手応えをつかんだ気になっているだけで、実際には前進していないとしたら、それはまずいですよね。「悪循環に入りかけているんじゃないか」という感覚が生まれてきたんです。次のブレークスルーが必要ではないかと。

それと、私自身ももう一度腹を据えて「新しい事業をしっかり生むんだ」という思いで、社名を変えました。「風と土と」という社名は、外から来た“風の人”と、地元の“土の人”が一緒に新たな風土をつくる、という意味です。地元の人間だけでやるのは限界で、外の風がもっと必要だと思っています。

ロボットや人工知能をはじめ、世のなかにはいろんな新しい可能性が出てきているのに、海士町には圧倒的な情報格差があります。今日この場で、こうやって交わしている会話と、海士町でする会話はまったく違うわけですよ。ですから、そこにブリッジ(橋)をかけていくようなことをしないといけない。それをどうするか、今まさに模索しているところです。

元気な人が増えて、「こんな地域になったらいいよね」というビジョンはある。でも、「誰が実行するの?」「いつやるの?」という実行力が弱いのが現状です。都会の企業をはじめ、外の人が持っている遂行力や実行力を借りて、力に変えることができれば、前に進めないのではないか。そんなことを考えています。

あと、もう一つ付け加えさせてください。それは、“危機感経営”に限界を感じていることです。これまでは、「このままだと島がなくなる」という危機感から、なんとかしようと短距離走を突っ走ってきました。でも、ここからは課題解決が一気に進むわけではないので、長距離走型に変えないといけません。みなさんから、ぜひ知恵をお借りしたいですね。

柳瀬さん海士町は、地元、まさに“土の人”と外の“風の人”の巻き込む方が上手で、前職の「日経ビジネス」も何度か取材していたことを覚えています。私個人も、「面白法人カヤック」が取り組んでいる鎌倉資本主義など、各地域の事例の話をうかがったことがあります。そのなかでも、海士町は一番うまくやっているように見えました。ところが、阿部さんいわく「疲れている」といいます。阿部さんのような中心人物と、周りにいる何人かの参謀がそうやって疲れはじめると、ガラガラと崩れていく光景をほかの場所で何度も目にしてきました。大事な問いですよね。

それと、いろんな地域の事例を直接取材してきて感じたのは、モデルは横展開できないことです。すべて、個別具体的な事例なんですよ。

阿部さんお聞きしていて、思いついたことがいくつかあります。一つは、仲間のカルチャーです。私たちはそれぞれ、“株式会社海士町の社員”という感覚なんですよ。まち全体が教育部門、産業部門などにわかれていて、お互い違う組織なのに、島のみんなが一つのチームになってやっています。この土壌をつくるのには、おそらくものすごいエネルギーが必要です。

それと、人口約2300人のうち移住者が600人ほどいますが、これは水面上に見えている数字で、その下には海士町のファンが何万人といるはずなんです。リピーターや、一度来たことがある人、これから来たい人、潜在的に相性がいい人。そのあたりの関係人口や関係資本のつくり方が、島の人たちはうまいなと感じています。

最後に、手綱を握ることです。これも、とても大事なことです。自分たちの未来をどうしたいのか。そういう「will」(意志)をしっかりともっているかどうかです。国の事業はいろいろと活用していますが、国の言いなりにはまったくなっていません。「自分たちは◯◯をやりたいから、国の◯◯の事業を使おう」と、主体的に未来を考えています。でも、こういうことは地域によって特殊解がありすぎて、なかなか輸出できない感覚がありますね。

秋山さんおっしゃる通りですね。海士町のモデルをコピペするなんてできないと思いますし、それはイノベーションとはいえないのではないでしょうか。各地域にいろんな好事例があると思いますが、それをうまく和えたり、混ぜたりして次のステップにどうもっていくか。それを引っ張っていく、プラットフォームが必要だと感じています。

私も千葉県柏市などでまちづくりの活動に関わっていますが、地域によって課題は異なりますし、解決するために使える地域資源も違いますよね。海士町から学べることは「できるんだ」というマインドで、その先の具体策はコピペできないですよ。それぞれの地域に合った、解決するためのイノベーションが必要です。今、さまざまな場所でチャレンジできる環境が広がっていますし、若い世代を中心にそういう人材が育ってきているので、希望を感じられる時代だと思います。

西村秋山さんたちは、鎌倉市で「リビング・ラボ」という取り組みを進めていますね。これは一つの仕組み・システムといえそうですね。

秋山さん「リビング・ラボ」とは、地域の主役である住民が主体となって、暮らしを豊かにするためのモノやサービスを生み出していく活動です。欧州を中心に広がっていて、日本でも注目されつつある産学官民によるオープンイノベーションのプラットフォームです。

住民の課題や必要としているものをゼロベースで洗い出し、市民や大学、企業、行政などさまざまな人たちがアイデアを持ち寄り、それでできたモノやサービスのプロトタイプを実際に生活の場で検証して改善点を見出し、磨いていきます。

モノづくりや社会の仕組みづくりは、どこにベースがあるのか。それは、やはり生活者、ユーザーにあると思うのです。また、「知」は大学など知識や科学技術の開発を生業にしている組織や人だけではなく、生活者や産業界にもあります。それをうまく和えて、混ぜて、イノベーションを生み出していくプラットフォームをつくりたい。そんな思いから、「鎌倉リビング・ラボ」を立ち上げました。

井上さん知の循環やコピペなどに関する話を聞いていて、気になったことがあります。「情報」と「知識」はまったく違いますよね。私は、情報に人の思いが乗ったものが、知識だと思っています。思いをもった人がいるからこそ、おもしろい物事が起こるんだと考えていて、そう考えるとコピペできないのは当たり前なんですよね。

私が住んでいる山形県鶴岡市は、バイオテクノロジーの最先端の研究施設や話題のバイオベンチャーが集まるまちとして注目されています。これは元を辿れば、15年ほど前に当時の市長が腹をくくって、莫大な投資としてつくり上げたストーリーがあります。ですから、例えばそれを真似して3年でやろうなんて、不可能なわけですよ。モデルをつくった人たちの思いがまるっきり欠けている状態で横展開しようと思っても、難しいと思うんですよね。

そういう人の思いや熱量、あるいは仲間の集め方など、そういう要素をすべて含めて知識だと思うんです。そういう意味では、今はまだ情報が見えているだけで、知の流動は起きていない状況なのではないでしょうか。

私は研究者です。自分が出した研究成果は他人から見れば情報ですが、私から見たらとても愛着のある知識なんです。「どう使おうか」「これを使えば、こんなことできるんです。一緒にやりませんか?」と常に考えています。こういうのが、知識だと思うんです。そういう知識をちゃんと生み出す仕組みをつくって、それをつないでいくことで初めて知の流動が起きるんだと思います。

私たち「リバネス」が掲げている“知識プラットフォーム”は、まさにそういう思いと情報が結びついている知識をもった人間のつながり、ネットワークなんです。だから、「何か解決しようぜ」となったときに、一気に物事が動き出すんです。そういう仕組みが「知の流動」であって、単に情報を回しているだけでは何も起きないですよね。

阿部さん本当にその通りですね。例えば、「このまちはこんなことを始めた」とか、そういう情報は簡単に手に入れられます。でも、今やりたいと思っているのは、もっと生々しい話をしたいんです。例えば、「西粟倉村(岡山県)が仮想通貨を始めた」という情報は入ってきますが、「実際に誰がどう仕掛けたのか」とか、そういうリアルな話を聞かないと、参考にしたり応用できないんですよね。

そういう意味で、地域同士が本当の意味で学び合える、活きた情報としての知識を得られる場所をつくっていく必要があると思います。

地域や組織を「混ぜる」には、どうすればいいのか

西村「和える」や「混ぜる」というキーワードが出てきました。では、どうやって和える、あるいは混ぜるのか。例えば、阿部さんのような「人」を起点にするのか。それとも、そうでない方法があるのか。どうなんでしょう。

柳瀬さん具体的な事例を一つ紹介します。数年前に、『混ぜる教育』という書籍を出版しました。大分県別府市にある「立命館アジア太平洋大学(APU)」の話です。

かつて高齢化が進み、温泉街もやや疲弊していたとうかがっています。その別府で「混ぜる」プロジェクトをやった人がいます。大分県の平松守彦・前知事です。一つは、「一村一品運動」です。バブルの時代、九州各県は揃って娯楽施設などのインフラをつくりました。それとは一線を画し、一つの村に一つずつ、商売の核をつくろうというのが「一村一品運動」です。サバやアジ、柚子胡椒などをブランディングしたわけですね。そして、その最後の一手として国際大学を誘致することにしたんです。

そこで、手を挙げたのが「立命館大学」。同大学は新しい国際大学を別府の山の上につくることになりました。重要だったのは、普通はゴールに定めるような高い目標を、スタート時点での目標にしたことです。具体的には、学生の半分を留学生とし、さらに50カ国以上から来てもらう。さらに、英語と日本語の授業、外国人と日本人の教員、これをそれぞれ50%の比率にすることを決めて、2000年の開校時点でこの目標を達成してしまったんです。こうして、14万人ほどの地方の温泉街のまちに、いきなり毎年3000人ほどの外国人留学生が入ってくるようになったわけです。その後、学生たちの出身国・地域は延べ140カ国近くに達しました。国連もびっくりです。すごい混ざりようですよね。

それから約20年経った今、別府はものすごい元気になってます。九州におけるインバウンドのモデルケースになっていて、地元の醤油メーカーと「APU」、東京の企業とイスラム圏の人たちに向けてハラール認証を取った醤油をつくったり、新たなビジネスが動き出しています。現地の温泉街では、外国人留学生がアルバイトをしているため、海外からの観光客にも対応できるようになりました。

これは、ぼんやり「混ぜよう」という思いで動き出したというよりは、新しい大学をつくるという制度を使ったケースですね。特殊事例ですから横にもっていけるかどうかはわかりませんが、仕組みや構造から変える。最初からゴールイメージをスタートにもってくる。そうすることで、うまく混ざった事例だと思います。

秋山さん私たちが携わっている「鎌倉リビング・ラボ」や、千葉県柏市でのまちづくりの場合ですと、必ずしも特定の混ぜる「人」がいるわけではありません。

まず、柏市のケースです。人口構成が逆ピラミッド型の長寿社会のニーズに対応するために、「2030年にどんなまちにしたいか」を住民や行政、地元の大学など、みんなで意見を出し合いました。出てきた意見を絵に描いていくと、住民や子どもたちから「ここにこんなものがあったらいい」と、どんどんアイデアが出てきたのです。じゃあ、今度はそれを実現するためにはどうしたらいいか。誰が担うのか。いろいろな企業や団体、市民に声をかけたら、「自分たちはこんなことができる」と集まってきて、結果的に業界や立場を越えてさまざまな組織や人が混ざった集団ができました。具体的に「絵を描いてみる」のはいいですよ。

もう一つ、「鎌倉リビング・ラボ」です。高齢化が50%近くになっている分譲地で、若い人から年寄りまで住民を集めて、これからの地域について考えるワークショップをやりました。すると、「若い人たちが暮らしたいと思うまちにしたい」という意見が多く、その解決策として「テレワークの理想的なコミュニティにしよう」という案でみんなが一致したんですね。「カフェやコワーキングスペースをつくろう」「サテライトオフィスとして活用してもらおう」「子どもを預けられるようにしよう」などとアイデアが生まれてきて、さらにそこに複数の企業が「参加したい」と手を挙げてくれました。行政や大学も加わり、柏市と同じように混ざり合ったかたちのプロジェクトが動き出しています。

どちらも、住民主導なんですね。住民のコミットメントが強い。知恵やアイデアがどんどん出てくるし、それを企業がビジネスにしていく。そういう協働体制ですね。「混ぜ合わせ方」には、中心的なリーダーがいないこういう方法もあるのではないでしょうか。

井上さん絵を描くのはいいですよね。私の知り合いにも、「“ドローン前提社会”をつくろう」といっている人がいます。千葉功太郎さんです。千葉さんは「2030年にこうなる」という絵を描いているんです。それをやると、何が起こるか。みんなその絵を見て、不思議とそれに合わせるようになっていきます。そうやって共通意識をつくることも、ある意味で「混ざる」ということなんでしょうね。

私たち研究者が今やろうとしているのは、その絵からも想像できないような“向こう側”に目を向けることです。絵の“向こう側”を妄想して、誰も考えられないことを考えて、「一緒にやりませんか」と提案することです。

地域についても、誰もやったことのないことをやるのは重要だと思うんです。さっきから話に出ているように、各地域が取り組んでいることはすべて特殊事例で、かつそれを発表する場がなくて、誰がやっているのか見えにくい状況があるわけですよね。例えば私たち研究者の場合は、“世界初”を見つけたら、それは著書や論文として名前を書いて、責任をもって世界に出すわけですよ。それを見れば、世界の最先端がどこにあるかがわかる状況がつくられています。

地域の取り組みに関しても、知識にするのであれば、リファレンス(参考に)できるような状況、それが最先端ならちゃんと認められるような状況をつくれるとおもしろいですよね。中心人物やその仲間たち、場合によっては住民の名前が著者として全員入っててもいいじゃないですか。課題の取り組みに関する、知識が見える場がつくれるといいですよね。

“向こう側”の未来を見渡す方法

西村井上さん、“向こう側”を探す方法はあるんでしょうか。どうやって突拍子もないことを考えているんでしょうか。

井上さん最初の取っ掛かりは、単純な興味ですよね。「見てみたい」とワクワクする気持ちです。「これ何だろう?」と突っ込んでいったら、どんどんおもしろいものが出てくる感覚です。例えば、私は自分の研究について話すとき、まったく知らない人のところによく行きます。そういう人と話していると、もしかしたらとんでもないことが起こるかもしれないからです。

何より、私はワクワクしている人と話をするのが大好きで。そういう人は、たったこれくらいの小さな結果から、「それはこうなって、次はこうなる」と、とんでもなく大きなことを語りはじめるんですよ。

今、ある町工場と一緒にプロジェクトを進めています。小さな町工場には、匠の技をもったおじさんたちがいるんです。コラボレーションしようがないように見えるところと掛け算できると、そこに新しいものが生まれるのではないか。そんなことをワクワクしながら考えて、異分野の組織や人に突っ込んでいく。そうしないと、“向こう側”は見えないと思いますよ。

阿部さんその探求はしないといけないですね。国も地域も企業も、明確な答えはわかっていないんですよね。だから、わかっていない人同士が一緒にやるきっかけを、もっとつくらないといけないんでしょうね。
柳瀬さん井上さんには、「科学を未来のために使わないといけない」と神が降りてきているですよね。阿部さんも、「海士町」というミッションが天から降ってきているんだと思います。むしろ大切なのは、そういう啓示を受けた人をどうやって周りが応援するのか。これが重要ではないでしょうか。

阿部さん自信がなくなってくることはありますよね。この先のビジョンは見えているはずなのに、「あれ、見えなくなってきた」と揺らぐ瞬間があるんです。そういうときに、隣で「いや、見えてるでしょ」と伝えてくれるのはありがたくて。見えるものを一緒に信じてくれる人の存在は大きいですね。

西村前野さん、そろそろコメントをお願いできますか。

前野さん「知の循環」というテーマなので、いい事例をどうやって真似するのかを聞けると思っていたら、結局真似してもダメだということでしたね(笑)。

私が感じたのは、個性を磨くことの大切さですね。大分県の「一村一品運動」も村の個性だし、研究することも個性だし、中心で頑張る人を応援することも個性だと思います。いろんなタイプの人が、それぞれ自分のなかにある個性を見つけて、その人たちが多様につながり、触れ合い、対話する。そうすることができれば、知は循環するのではないでしょうか。

ベクトルを次世代に向けよう

西村最後に、4人の登壇者から一言ずつ、「私はこんなことをやりたい」という目標やビジョンをお聞きします。

井上さん私は、研究者が新しいものを見つけたときのワクワクする感覚を、次世代につないでいくことですね。研究者の醍醐味は、自分の手で“世界初”を明らかできること、そしてそこから、大きな夢を想像できることです。

「今、君の目の前で起きている小さな課題は、解決できればそれは初めてのことかもしれないよ」。そんな風にして、物事を解決していくマインドをどんどん循環させていきたいですね。それに世界共通で取り組めれば、“地球貢献”ができるのではないか。そう思っています。次世代こそ、未来のプレーヤーですから。

阿部さん思いは学ぶものではなく、伝播するものだと思うんです。そういう意味で、私も次世代を育てることを大事にしないと。そう考えています。冒頭でお話しした“疲れている”という話も、結局は次世代が育たず、自分がいろんなことに手を出さないといけない状況があるからなんです。「育てる」ということを、本気で考えないといけないですね。それは私自身の会社や海士町という地域もそうだし、社会全体にもいえることでしょう。

今まで私たちは、自分自身にベクトルを向けすぎだったのではないでしょうか。ベクトルの向きを次世代へ変えていく。そのためにも、地域や会社のなかで次世代を育てること、さらに地域間の学び合いや、企業や研究者との社会実験にも具体的に取り組んでいきたいですね。

柳瀬さん東京工業大学は「リベラルアーツ」というキーワードでさまざまなプロジェクトに取り組んでいます。作家や哲学者など、日本を代表する錚々(そうそう)たるメンバーが教授に名を連ねています。おもしろいプロジェクトがこれからもたくさん出てくると思うので、ぜひ注目してください。

考えてみれば、そんな国内有数の理系の大学に私が加わらせてもらったこと自体が、“混ざる”ことなんですよね。異色の経歴をもつ者として、優秀な教授や多くの学生のなかに混ざって、彼らと社会をつないで“混ぜていく”ような仕事をしていきたいですね。

秋山さん私はずっと大学の教員をしてきましたが、これから新たに農業を始めるつもりです。休耕地を借りて仲間を集め、都市型の新しい一次産業のあり方を追求したいと思っています。人生100年時代といわれます。自分の人生を自ら設計して、舵取りをしながら生きていく時代。自分の能力を最大限に活用して、夢を追求していけるような時代ですね。私は定年、そして70歳を過ぎています。それでも、まだこれから新しい人生をスタートさせるぞ。そんな気持ちでいます。

西村では、このセッションはここで終わります。ありがとうございました。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって運営されています。http://room.emerging-future.org/

次回ミラツクフォーラムに参加を希望される方は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」にご参加ください。ミラツクフォーラムは、メンバー向けの招待制の会として開催されます。
ROOMの登録:http://room.emerging-future.org/
ROOMの背景:https://note.com/miratuku/n/nd430ea674a7f
NPO法人ミラツク では、2016~2019の4年間でミラツク年次フォーラムにおいて行われた33のセッションの記事を分析し、783要素、小項目441、中項目172、大項目46に構造化しました。詳しくは「こちら」をご覧ください。
近藤快 ライター
フリーライター。1983年、神奈川県生まれ。2008年〜化粧品の業界紙記者を経て、2016年〜フリーランスに。東北復興新聞(発行:NPO法人HUG)で震災・復興現場の取材、50人インタビュー企画「Beyond 2020」を担当。災害時における企業・NPOの復興支援や、自治体の情報マネジメントを集積したWEBサイト「未来への学び」(グーグル社)のほか、化粧品業界やCSR・CSV、地方創生・移住、一次産業などを中心に取材〜執筆活動している。