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経験の領域の先へ行く。予測不能な事態に必要なのは「保留する力」【ミラツク年次フォーラム2020】

フォーラム

毎年12月23日に開催している「ミラツク年次フォーラム」。一般公開はせず、1年間ミラツクとご縁のあった方々に、感謝を込めてお集まりいただくフォーラムです。今年は新型コロナウイルスの感染拡大に伴い、完全オンラインでの開催となりました。また、例年は完全招待制ですが、同じく2020年からスタートしたミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」メンバーであれば全員参加できるという新しいスタイルでの開催としました。フォーラムシリーズでは、ミラツク年次フォーラムでの各セッションの様子をお届けします。

年次フォーラム2020の最初のセッションは、毎年恒例の井上英之さんと大室悦賀さん、そしてミラツク西村による基調鼎談です。今年もテーマを決めず「何を話しましょうか」からゆるくスタート。

2020年を振り返り、何を感じ、どう行動したのか、そしてこれから必要なことはなんなのかについて、それぞれがそれぞれの話に触発されるように、次から次へと話題が展開していきました。どうしたらいいのかわからないままモヤモヤしている人たちに、多くの気づきと示唆を示し、この先の道標になってくれるかのような話が展開される1時間半でした。

井上英之さん
INNO LAB International co-founder / NPO法人ミラツク アドバイザー
2001年よりNPO法人「ETIC.」にて、日本初のソーシャルベンチャー向けプランコンテスト「STYLE」を開催するなど、若い社会起業家の育成・輩出に取り組む。2003年、NPOや社会起業にビジネスパーソンのお金と専門性を生かした時間の投資をする、「ソーシャルベンチャー・パートナーズ(SVP)東京」を設立。2005年より、慶応大学SFCにて「社会起業論」などのソーシャル・イノベーション系授業群を開発。「マイプロジェクト」と呼ばれるプロジェクト型の手法は、高校から社会人まで広がっている。2012~14年、米国スタンフォード大学、クレアモント大学院大学に客員研究員として滞在。近年は、マインドフルネスとソーシャル・イノベーションを組み合わせたリーダーシップ開発に取り組む。
大室悦賀さん
京都市ソーシャル・イノベーション研究所 所長 / NPO法人ミラツク アドバイザー
1961年、東京都生まれ。「株式会社サンフードジャパン」、東京都府中市庁への勤務を経て、2015年4月より、京都産業大学経営学部教授に就任。2018年4月から、長野県立大学(長野市)教授兼ソーシャル・イノベーション創出センター長。著書に、『サステイナブル・カンパニー入門』『ソーシャル・イノベーション』『ソーシャル・ビジネス:地域の課題をビジネスで解決する』『ケースに学ぶソーシャル・マネジメント』『ソーシャル・ エンタープライズ』『NPOと事業』などがある。社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャル・ビジネスをベースに、NPOなどのサードセクター、企業セクター、行政セクターの3つのセクターを研究対象として、全国各地を飛び回り、アドバイスや講演を行っている。

人間ってなんだろうということを、1年間ずっと考えていた

大室悦賀さん

西村毎年、ミラツク年次フォーラム冒頭の基調鼎談では、井上先生と大室先生のおふたりにご登壇いただいています。ソーシャルイノベーションの専門家であるおふたりに話を伺いながら、1年を振り返り、このあとに続くセッションの基盤にさせてもらっています。毎年そうなんですが、打ち合わせをまったくやっていないので、まず「今日は何を話しましょうか」というところから始まるセッションです。最初に自己紹介をしていただいてから、スタートしようかなと思います。

大室さんみなさんおはようございます。大室です。普段は長野県立大学の教員をしております。2000年頃からソーシャルイノベーションを研究していて、もう20年近くが経ちました。最近ようやく、いろいろなところでソーシャルイノベーションっていう言葉が使われるようになってきたので、多少はメジャーになってきたのかなと思っていますが、なかなか研究がうまくできていないなということも感じています。

そして僕には、みんなが言い始めると興味がなくなるっていういつものパターンがあります。イノベーション自体が社会化してきているので、最近は、言葉としてのソーシャルイノベーションはどうなのかなっていうことを考え始めたりしています。

今年、特にずっと感じていたのは、これだけDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進がいわれる中で、人間とデジタルの関係がどうもうまくいっていないということです。そこからあらためて、人間ってなんだろうということを、1年間ずっと考えていました。資本主義にしても経済にしても、人間をどう位置づけていくかということが、この先、議論しないといけないことなんだろうというふうに思っています。

なので、僕が今、関心があるのは「デジタルと人間」、そして「科学と人間」です。科学と「曖昧な」人間みたいなところ。そこの間が取れていない感じがあるので、真剣に議論を始めないといけないと思っているところです。

アウェアネスとインテンションの間にプロジェクトが生まれる

井上英之さん

井上さんみなさんこんにちは。井上です。僕は、大室さんとほとんど同じ時期に、社会起業やソーシャルイノベーションということを言い始めたひとりなんじゃないかなと思います。わかりやすいところだと、2001年に、ETIC.というNPO法人の宮城治男さんと一緒に、日本ではおそらく初めての、「社会起業」という名前をつけた若手を対象にしたプランコンペを始めました。日本の若者たちの中には、社会的な志を持っている人がじつはかなりいるんじゃないかということが前提にありました。

そこでは、自分自身が感じる課題や「気になること」に対してアクションを起こす、自分の「プロジェクト」を一人ひとりにもってもらうことになります。その後も合わせて、数千の“マイプロジェクト”に出会ってわかったのは、とにかく何かを、プロジェクトの形で始めてみることの大切さでした。そうすると、そこに経験が生まれるんです。

何かを経験してみるという一次情報は、おそらくこの世界のシステムを「代表」しています。たとえば、同じように家族関係で困っている人を代表している。もしくは、働く女性や地域をなんとかしたいと思っている人を代表している。その代表している状況に対してインターベンション、つまり現状に対する「介入」をしてみることによって、こういうことをしてみたらこういうことがわかったよ!と、さらなる新しい情報が見えてくるんですね。

そして、全員がマイプロをもっている状態で、それぞれが感じていることや経験などを共有すると、それは当事者のコミュニティになります。まずは、現状に対するアウェアネス(気づき)があって、それをなんとかしたいというインテンション(意図)が生まれる。そのアウェアネスとインテンションの間にプロジェクトが生まれるんです。ここから始まる小さな試みがシステムを変えていくんじゃないかと思っています。

今どきの社会の課題で、首相が号令をかければ、それだけで変わるようなソリューションっていうのは、ほとんどありえないんです。たとえば、気候変動もそうですけど、一人ひとりがいろいろな形で加担していますよね。マイプロというのは、自分とシステムの関わりにおいて、一人ひとりが何かを動かしてみようとするものです。だから、とても小さな一歩のようですけど、じつは、しっかりとシステムとつながっています。

それぞれが、世の中のつながりを感じながら何かを動かしていくことによって、自分を含めたイノベーションが起きていく。そのきっかけにもなるんじゃないかなと思って、慶應義塾大学の湘南キャンパスで「マイプロジェクト」を中心としたカリキュラムをつくり、授業をしていたこともありました。若者たちの経験と学びが互いにつながりあっていく姿は、すばらしいものでした。

また、ビジネス界での実践としてビジネスパーソンを中心にみんなで10万円ずつ出しあって「ソーシャルベンチャーパートナーズ(SVP)東京」というファンドもつくりました。これは自分たちが共感する社会的なビジネスやNPOにお金の投資をするだけでなく、「人事がわかります」とか「テクノロジーができます」とか「マーケティングならできます」とか「人の話を聞くのは得意だよ!」など、それぞれができることで貢献して、よりよい結果を出していくというものです。

これまでの投資・協働先としては、企業の社員を新興国のNPOや社会企業に派遣する留職プログラムを提供する「クロスフィールズ」、病児保育などの保育の課題に取り組む「フローレンス」、産後ケアで知られる「マドレボニータ」などがありました。

ちょっと長くなったのでこのぐらいにしますけど、今年は何をしていたのかというと、スタンフォード大学が出している雑誌『Stanford Social Innovation Review(以下、SSIR)』の日本版を立ち上げるべく準備をしていました。これが本当にすばらしい内容の雑誌なんですが、日本版もすばらしい編集長の方を迎えて、来年の秋ぐらいには創刊号が出せるのではないかと思います。

僕がSSIRでしたいことは、ただ情報を届けることではありません。その情報をきっかけに「会話が始まる」ものにしたいんです。

さまざまな立場の人がセクターやコミュニティを超えて集まり、会話が始まる。その結果としてアクションが生まれていく。アクションは、別に何かを立ち上げるとか、大げさなことじゃなくていいんです。たとえば、よいものがあったら「それいいね!」と互いに伝える。それだけで全然いい。変化は、もっと日常から始まっています。

それぞれのアクションの敷居が下がった状態になると、いろいろな人がアクションを起こせるようになります。そのきっかけとなる会話や、そんなコミュニティが生まれるという意味で、「コンテンツ」と「コミュニティ」をつくるということが両輪の雑誌にしたいと思っています。

経験の領域の先に行かないとイノベーションは起きない

ミラツク代表理事 西村勇哉

西村お話を伺いながら、3つぐらい話をしたいなと思ったことがあります。ひとつは、大室先生の人間ってなんだろうという話。もうひとつは、井上先生のSSIRの話。SSIRに取り組む中でいろいろなことを考えられていると思うので、それを聞いてみたい。そして最後に、イノさん(井上さん)の話を聞いていたら「人の話を聞くこと」は、すごく意味がありそうだなと思いました。

たとえば今、メディアとは情報をきっかけに対話が始まるものだって言われた時に「この場なら、どうすれば対話が始まるようになるんだろう」とか「だったら自分はどんなメディアをつくってみたいのかな」ということを自然に考え始めていました。

そんなふうに、話としては知っていても、それを人から聞くことによって「これってちょっと意味があるかも」とか「ここ、もしかしたら関係あるかもしれないから話してみよう」っていうふうにインタラクションが出てくるのが面白いなと思ったんですね。

Zoomでミーティングをしていても、そういうことが起こるときもあれば、1時間ただ駆け抜けて終わることもあります。じゃあなんで今は、たった5分の話だったのに駆け抜けずにいろいろなことが思い浮かんだんだろうって、そこにちょっと興味が湧きました。

2019年の基調鼎談の様子

大室さん僕も、さっきのイノさんの話から、いろいろな解釈が自動的にバンバン入ってきました。いちばん面白いなと思ったのは、潜在化されていた自分の言葉がイノさんの言葉によって顕在化してきたことです。意識の領域が上がってくる感覚がありました。

対話する、コミュニケーションをとる面白さはそこじゃないかということは、この1年間、ずっと感じてきたことです。でもそこで意識を変えなきゃいけないのは、それこそイノベーションに引きつけてみると、じつは無意識の領域も経験の領域なんですね。インクリメンタル(自然に増加する)なものっていうのは当然、経験の延長にあるので、その経験の領域の先に行かないとイノベーションは起きないというのが僕の最近の結論です。

言い方を変えると、野中郁次郎先生の言った「知識創造論」っていうのは、あくまでも経験を形式化するっていう話なんですね。そういう意味では対話はすごく大切なんですけど、じつは対話の先に、もうひとつ世界がある。そしてそこに行かないと、ラディカルなものはなかなか生まれない。

僕は、リモートは頭だけで会話することになってしまうので、限界があると感じています。裏を返せば、それまでは身体というか内臓というか、そのあたりの感覚で人と対話していたんだなということに気づかされました。

一方で、ある意味、これまでとはまったく違う感覚の中で人と対話していますから、対面とリモート、その両方の感覚が使えるようになったら面白くなるかもしれないという気もしてはいます。「無意識の部分の意識化」、野中先生的に言えば「暗黙知の形式化」が、直接の対話とリモートによる対話という2とおりの対話ができたことでわかりやすくなったんですね。

たぶんイノさんがSSIRで仕掛けようとしているのは、そこなんじゃないかな。メディアと人の対話に移った時に、この差が人間にとってすごくわかりやすくなるということを感じました。

まるっと捉えない限り、本質は見えない

西村今ひとつよくわかっていない気がするので確認なんですけど「経験の領域の先」ってなんですか?

大室さん「経験していないもの」です。経験していないものなんだけど、そこには潜在的に何か必要なサービスやプロダクトが必ずあるはずだと僕は思っています。

意外とみなさん、経験に依存することの怖さに気づいていないんですよね。

たとえば、科学は経験に依存しているんです。SDGsもそうですね。経験はわかりやすいので、SDGsはそれを使って説明しているんですけど、そうすると企業さんによっては「何番やりました」「何番もやりました」っていうだけの話で終わってしまう。それはなぜかというと、経験で捉えているからです。本当は、その先へ行かないといけない。

でも、SDGsの17項目をまるっと全部捉えようとすると捉えられないんですね。だってそれは、誰も経験したことがないものだからです。でも、だからこそイノベーションを起こす時には、あの17項目をまるっと全部捉えないとダメなんです。

西村ちょっとだけ理解を頑張ってみると、17項目が全部実現している世界を考え始めると、「これはやった」「あれもやった」ということの集合ではなくなって「こういうことをやらないといけないのかもしれない」とか「こういう可能性があるかもしれない」という話になって、まったく違った方向に進んでいく。今ないところに焦点が定まるみたいな感じですか?

SDGsの17の目標

大室さんそうですね。要は、無意識のうちに経験の延長線上で捉えるから一つひとつを個別に捉えたくなるんですよ。でも、本当は別々に存在しているわけじゃない。全部僕らだし、全部地球。だから本当は、地球全体をまるっと1個で捉えるとどうなるのかっていう想像をするしかないわけなんです。

たとえば、勇哉くんっていう人間がいて、ミラツクの代表で、子どもがいて、どこに住んでいて、どういう経歴でっていう情報を分析したところで、勇哉くんを捉えることはできないでしょ。

西村確かに。

大室さんなんだかよくわからないかもしれないけれど、勇哉くんっていう人間をまるっと捉えない限り、本質は見えない。今年の僕のキーワードは「まるっと捉える」ということですね。でも、まるっと捉えた瞬間に曖昧さが残っちゃうんです。

僕の知らない勇哉くんもいるわけだし、僕の知らないイノさんもいるわけだし、イノさんが知らないイノさんもいるわけです。だから、わからない部分があるんだということも含めて捉える必要がある。それこそが、イノベーションの源泉になるんだと僕は思っています。

周りが見えているから「思考の盲点」にも気づける

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西村なるほど。「知らないけれども在ること」を、認識するということですね。今年の僕のテーマっぽいものは「思考の盲点」なんですけど。視覚の盲点ってあるじゃないですか。この辺を見ていたらこの辺に消失点が出てくるみたいな。同じように思考の盲点もあるんじゃないかなと思ったんです。

じゃあ、思考の盲点にどうやった気づけるのかなと考えた時に、消失したことに気づくのは、盲点自体が見えたからじゃなく、周りが見えているからだと思ったんですね。

見えているものが周りにあるからこそ、ここが盲点かもしれないと気づくことができる。そして、そこに何があるんだろうと気になって焦点をずらすから、盲点が見えるようになる。思考の盲点も、盲点自体を見ようとしても、一足飛びには行けないんじゃないかなと思って。

自分が今知っていることはこの辺で、全体から考えるとこのあたりが空いているはずだということが見えてきた時に、そこに焦点を移したら知らなかったことに気づける。それが今の世の中の知識や経験の中にないということがわかると、ちょっとやってみようかということになっていくのかなと思いました。

井上さん大室さんの話を聞いていて思ったのが、経験っておそらく2種類あるんですよね。すでにしている経験とまだしていない経験。

でも、これまでの経験に基づいてアナロジー(類似)を効かせる想像力を人間はもっているから、「この経験は、まだ経験していない新しいことに近いんじゃないか」と展開させることはできるんじゃないかと思うんです。

たとえば宇宙に行くことは、最初は誰もやったことがない新しい経験なのだけれど、行ってみようと決めたところから、既存の経験に照らし合わせながら想像し、新しい経験を生み出し、できることとして実現していったわけですよね。

だからやっぱり、なんらかの経験的プロジェクション(投影)みたいなものがあって、今の経験に基づいてもうちょっと遠くに投げてみるという経験の使い方があるのかなと考えていました。

自分の中の完了感をどうつくっていくか

車で5分のスキー場

井上さん話は変わりますけど、僕、昨日、スキーに行ったんですね。

西村いいですね。軽井沢在住っぽい。

井上さんそうそう。そういえば、うちから5分のところにスキー場があるなと思い出して。これも経験の盲点かもしれませんけれど、近くにあると、かえって忘れるんですよね。子どもが生まれてからは、時間もなかったし行こうとも思わなかった。でも昨日、久しぶりにちょっと行ってみようと思ったんです。

スキーって明らかに危険なスポーツで、頭で理解して反応するよりも早く、体が動いていないとできないんですね。「コブがある」と思ってから右か左か考えていたら間に合わない。そういうときに、なんでシュッシュッと行けるかというと、僕は子どもの頃からスキーをやっていて経験則に蓄積があり、ある程度体がわかっているからなんです。

で、思考より先に体が動く状態が続くと、なぜかメッチャ気持ちいいんだよね。あの瞬間は非常に創造的でもある。なぜ創造的かというと、経験に基づいてコブをクリアしていくものの、経験だけではクリアしきれないからです。初めてのコースだし、いつ想定外のコブが来るかわからない。だからどこかで警戒していて、それによって完全に今に集中できる。そのうち、イージーなコースが退屈になってきて、また知らない経験がしたくなって難しいコースに行ってみたりするわけです。

危機っていうのは、毎日何かしらある。だから、何かが常に体感的に起きていて、それまでの経験と新しい経験の繰り返しによる探索は、たぶんずっとしているんだろうなと思います。

このときのポイントは「新しい経験は必ず不快感が伴う」っていうことです。けっして、心地良くはない。学生で、畑作業が好きで農家に入りこんでみたけれども、それでわかったことが「私は農には興味があるけれども農家は嫌いだ」という場合もあるわけです。どうにも、居心地が悪い。つまり、スキーのコブのように変化が予測不能だと、ある程度、何かをホールドしなくてはいけなくなる。今回のコロナウイルスの話もそうだと思うんですけど、(予測不能なものには)「保留する力」がすごく必要なんですね。

でも、脳はどうしても完了感を求めます。そして、完了しきらないからこそ、我慢できなくなって投げ出したり、負担に感じたりする。だから、保留する力をもてるようにするためには、日常の中で「自分の中の完了感をどう小さくつくるか」の技を身につけるのがいいと思っています。

今日一日の出来事を誰かに話してアウトプットしたり、お風呂に入ったら、必ず頭のスイッチをオフにするよう心がけたり。特に今は、コロナがいつ終わるかわからないので、なんらかの体感的、身体的完了感をもって一日を終えるようにすることが大切だと思います。僕も、保留力をつけるために完了感をつくる技術を自分なりに開発して、いろいろなことを試しているところです。

小刻みな完了感によって、変化や多様性にも耐えられる保留力がつく

西村今年の僕の体感は、すごく忙しかったです。いろいろなことをやっていたんですけど、同時に、時間の流れがメチャクチャ早かった。これってなんだろうと思っていたんですけど、たぶん小刻みに完了できてなかったんじゃないかなって、今の話を聞いて思いました。ずっと続いちゃってる感じなんだなぁと。

これまでであれば、どこか別の場所に行ったりすることで、小刻みな完了感がつくれたんですよね。それが今はほとんどないので、完了せずに続いちゃってる。そんな中で、どうやって区切りをつくるのかを、来年はちゃんと考えたほうがいいなと、今思いました。なので、イノさんが開発中だという完了感をつくる技術をちょっと聞きたい。そうするとどんなことが起こってくるのかを聞きたいです。

井上さん僕は今、本を書いています。同じことを去年のフォーラムでも言ったんですけど、じつは、今もまだ書いています(笑)。

でも、ここ一か月くらいは、お休みすることにしたんです。その背景が、やっぱり毎日完了しないことでした。本は書き終わるまで終わらないものなので、気づいたら一日中、本のことばかり考えていたんです。それで編集者の方が「イノさん、一回僕が引き取りますから正月明けまで止めましょう」って言ってくれたんです。

頭では「いろんな人が待っているし、やらなきゃ!」と思っていたんだけれども、外側から「休みましょう」と言ってもらえたことで、じつは身体が休みたがっていたことに気づくことができました。それで手を離してみたんですが、これがすごく大きくて。

あらためて、本と自分との距離感が取れるし、自分が活き活きする感覚がどこにあるのか、自分自身の好奇心のありかに、アクセスしなおすことができました。そして、この手を離すというプロセスをきっかけに「完了感」を日々の中でどうつくるのかが大事なんだということに気がついたんです。

じゃあ、どうするといいのか? 僕には英語のコーチがいるんですけど、彼女はすばらしいコーチで、最近は、英語以外のこともコーチの範囲に入っています。以前、彼女には、英語のシャドーイングをして自分の声を録音したものを、毎朝送っていたんです。そうやってアウトプットすると、身体ってすごく完了するんですね。お腹の底からスッと力が抜けて「今日も一日前に進むぞ」っていう感じがしてくる。

そのことを思い出したので、彼女と話をして、これを応用することにしました。身体感が重要だって気づいていたので、朝に散歩をしながらその場で浮かんだことや今感じていることを2分でも3分でも言葉にして、録音したものをそのままスマホから送っています。

『ずっとやりたかったことを、やりなさい』(ジュリア・キャメロン/サンマーク出版)

あとは、ジュリア・キャメロンの『ずっとやりたかったことを、やりなさい』に書かれていた「モーニングページ」ですね。毎朝、手書きで、なんでもいいから感じていることを書いて、アウトプットする。僕は今、そういう小技を貯めているところです。

西村それって相手がそこにいなくていいんですね。書いて送ったり、言って送ればいい。つまり、自分から完了したっていう感覚が大事なんですね。

井上さんはい。そして、彼女はコーチなので、録音を聞いて良かったと思ったことや印象に残った部分をもう一回言葉として返してくれるので、数日後にまた完了できます。

この小刻みな完了感によって、よりレジリエントになれるんです。自分の今の状況に気づいて「ああ、こうなんだな」って受容できるようになる。そして一回腑に落ちることで初めて「ほかの人はどうなんだろう」っていうところに目を向けるキャパシティが生まれます。そうすると変化や多様性にも耐えられるようになるんじゃないかな。

違いに目くじらを立てて対立するのではなく、同意しなくてもいいから、お互いにどこか共感しあい、それが「在る」ことを理解するのは、大事なことだと思います。ときには、異なるものと何かを一緒にするのも必要なことです。

そうでないと、たとえばスズメバチが気に入らないからって殲滅してしまったら、生態系が崩れて、何かよくないことが自分たちに返ってくるわけです。気に入らないものや心地よくないものとともにいられることがすごく必要で、その前提にあるのが保留する力なんですね。そのためにも完了する技術がもてるかどうかは重要で、それはきっと、世界の平和にもつながるはずだと思います。

SSIRは「整うメディア」にしていきたい

西村それは本当にそうだなと思います。今のイノさんの話って、ないものだけじゃなくて、あるものと、どううまく付き合っていくのかっていうことですよね。減らすっていう作業も大切だとは思うんだけど、今あるものとどう付き合っていけるのか。

今、僕のパソコンの画面上だけでも、余計な情報がいっぱいあります。誰かがzoomに入室しましたっていうメールが届いたり、Slackの通知がきたり。それが正直、結構しんどい。だから今も、一生懸命見ないようにしているんですけど。でもそれこそ、こうやってポップアップに出てくるものは、スズメバチみたいなもんなんだなと思いました。

小刻みに完了できているか、多様性を受け入れる余地をつくろうとしているのかっていうのは、要は自分側の問題なんですよね。つまり自分次第で、このポップアップとも楽しく付き合っていけるのかもしれないというのは、とても大きな気づきでした。

井上さんそういう意味では、今、僕たちが準備しているSSIRはできる限り「整うメディア」っていうのかな。さらに加えるメディアではなくて、それに触れることによってキャパシティが増して、整っていくメディアにしたいと思っています。

どうやっていくのかは説明がすごく難しいんだけど、画像なり文章なりに触れることで呼吸が整ったり、新しい情報にアクセスできる気持ちになっていくもの。わかりやすく言うと、それと真逆なのが、僕のうしろの本棚にもある、積んでいる本たちのプレッシャー(笑)。

読んでない本が増えていくと、自分がまだ足りていないんだよって言われているような気持ちになりませんか。要は、“足りない目線”をくれるメディアはいっぱいある。でも、SSIRでは、そういう脅しを増やしたくないんですよね。

たとえば、ときどき言われるんですが、僕が授業などでやってきた「マイプロジェクト」はプラグマティズム(編集注:物事の真理を、理論や信念ではなく、行動の結果によって判断しようという哲学的思想)に、確かによく似ています。それは本を読んでよくわかりました。内容はめちゃくちゃ面白くって、自分がしてきたことが裏付けられていく興奮も喜びもある。でも、どこかで時折、あたかもプラグマティズムが先にあって、自分がちゃんと文章を読んですべて理解しないといけない気持ちにもなっていることに気づいて、「あれ?」って思ったんです。

でも、僕が信じて広げたい「知」というのはそうじゃなくて、一人ひとりが職場や家庭で積み上げた、つらかったり幸せだったりする大切な「経験」のほうが起点なんですよね。

だから、本を読むのも一回止めたんです。それでスキーに行ったり、子どもと遊んだり、森を歩いたりした。スキーをしている瞬間瞬間に生まれる知のほうに目を向けたんですね。

井上さんつまり、それぞれが地に足のついた自分を感じていれば、たとえばプラグマティズムで言っているエッセンスと同じところにちゃんと辿り着いているはずっていうことが、いちばん伝えたいことなんです。だから、よい本や記事を読んだら、それを使ってみんなで会話をすることでしょうか? いろんな工夫をして、そんな、あり方が整うメディアでありたいというのが、SSIRでしたいことかなと思いました。

西村まさに今、僕もプラグマティズムの本を読まなきゃいけないのかなっていうプレッシャーを感じているところです(笑)。正直に言うと、すごく面白そうっていう気持ちと、もう少しどうでもいい本を読みたい……っていう気持ちがあります。和歌の本とか読みたいんですよね。その気持ちとプラグマティズムの本を読まなきゃっていう気持ちが戦い合って、結局止まっています。今も読んだほうがいいんだろうなっていう気もちは残っているんですけど、その気持ちと付き合っていける気がしてきました。

ひとつの言葉から受け取りきることのほうが密度を高める

大室さんイノさんの意図がいまいちわかっていないところもあるんだけど、今の話は過去と未来に捉われていると多様性がなくなるよねっていう話だし、柔軟性がなくなるっていう話だよね。仏教でいわれるところの「この瞬間」を一つひとつ大事にしていくと、そこには完了が存在しているので、そういうことなのかなと思ったりしました。

あと、嫌がる人が多いんだけど、やっぱり感情は大事なんだなってあらためて思いましたね。感情に捉われてはいけないけど、僕らは人間である以上、感情をもっているし、それをどう活かすのかもビジネスやイノベーションだと思います。そういうところと、今この瞬間を生きながら一つひとつ完了していくことがどうつながっていくのかを考えながら聞いていました。

やっぱり今の社会って、合理的で効率的な人間でなければならないみたいな視点がすごくあると思っています。感情や居心地の良さ、心の赴くままといった、その手の話が拒否感をもたれているように感じる。学生と喋っていてもそんなことを感じるし、嫌な社会になってしまったなというのは今の話を聞いていて感じました。すいません、ただの感想になってしまった。

西村僕もまだ、うまく言語化できていないんですけれども、感情はどちらかというとよくないものとして扱われ、抑圧されている。かといって完全に解放したらカオスになってしまう。でも、なんかその……なんですかね。

先日、子どもと一緒に喜界島に行ったんです。飛行機が欠航になって船で行ったんですけど、子どもが船酔いになって、トイレでずっと吐いてたんですね。船からはどうやっても降りられないからなんとか頑張ろうねみたいな感じで、僕はただ背中をさすっているだけだったんですけど、そういうなんにも学びがない時間に、じつはすごく密度が濃い感覚もあるんです。そこから得たものは特にはありません。だって、ゲロゲロ吐いてるのを、背中をさすって見ているだけだから。でも、記憶にはものすごく残っている。一方で、飛行機の中でやっていた仕事の時間のことは全然覚えていなかったりするんですね。

学びなのか意味なのか価値なのかはわからないんですけど、それって量もあるけど密度みたいなものもあるんじゃないかなと思った時に、ただたくさんの文字を読むことよりもひとつの言葉から受け取りきることのほうが、じつは密度としては濃くなるのかもしれないなと思って。だから「整うメディア」って、もしかしたら密度を上げてくれるようなものなのかなと思いました。

ナウシカの言葉「母は私を愛さなかった」に勇気をもらう

西村なんとなくまとまったので、最後に大室先生とイノさんにひとことずつコメントをもらいたいなと思います。

大室さんありがとうございました。いつも通りのパターンだなと思いつつ、やっぱりちょっとオンラインだとやりにくいなっていうのが正直な感想ですね。場のエネルギーが大事なんだなということをあらためて実感しながら参加させていただきました。

井上さん僕は画面に顔出ししてくれている人たちをチラチラ見ることで、一緒に時間を過ごしている気持ちになって、救われていました。「整うメディア」に関してもコメントいただきましたし、一緒に場をつくっていただいたと感じて、とても感謝しています。

最後にひとつだけ。緊急事態宣言下の時に、息子とアニメや特撮ものの映画をひととおり見まくったんですね。その流れで『風の谷のナウシカ』の原作漫画を初めて読みました。その最後のほうに、ナウシカを騙そうとした庭の番人に、母との思い出の映像を見せられるシーンがありました。それに気づいた彼女は「あなたが見せてくれた母の心象は、私の願望を利用した罠です」と言います。そして続いて、ナウシカの衝撃のひとことがあったんです。

それは「母はけっして癒されない悲しみがあることを教えてくれましたが、私を愛さなかった」という言葉でした。

僕はすごく驚いたんです。ナウシカって映画のイメージでは非常にピュアでまっすぐで強い人でした。そしてそういう人は、とてもよい育ちをしているものだと勝手に思っていました。愛されて充分に与えられてきた人がナウシカのような特別な人になる、そう思い込んでいたんです。でも、どうやらそれが違うらしいということが、このひとことでわかりました。

彼女は母に愛されていなかった。そして母に愛されていなかったことに気づいているんです。でも、その自分と向き合い「そうなんです」と受容している。そして母からの愛を願う自分を利用しようとする人の意図に気づいて、断れるところまで自分を育んでいるんですね。そのことにすごく驚きました。

今、すごく大変な思いをしている人もいると思います。僕自身もここ数年はいろいろ大変なことがありました。でも、大変なことは必ず誰の人生にも起きるんですね。それに向き合って、自分で受容するっていうのかな。解決はしなくてもいいけど、理解して受け入れた時に、初めてまっすぐな目線になっていくんだなって。

ピュアに見える姿やまっすぐさ、力強さっていうものは、そういう大変なものの結果、訪れるものなんですね。しんどいことがあっても、それはそれでいいことなんだなって思う勇気をもらえたのが「母は私を愛さなかった」っていう言葉でした。これは僕の中で、今年の大きな出来事でした。ちょっとなんか、最後にこれを言いたくなりました。

西村ありがとうございます。大室先生が仰るように、今年はオンラインでの開催ということで、どうしたらいいのかなとあれこれ考えながら、今日まできました。もちろん、いつもどおりとはいきません。でも、これはこれで方法があるような気はしているんですね。なので今日一日かけて、オンラインの場づくりをどうやっていけばいいのかということを探していきたいなと思います。そしてイノさんの最後のコメントは、この10年の中でいちばんいいコメントだったんじゃないかと思いました……というコメントで終わりたいと思います。

井上さんナウシカの言葉だからね。僕じゃないからね。

西村はい(笑)。よく、弱いところを補うために頑張ろうとか頑張らなきゃいけないって言われている気がするんですけど、じつは弱いところも自分の役割につながるものなんだなと思いました。ありがとうございました。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

フォーラムシリーズでは、ミラツク年次フォーラムでの各セッションの様子を記事として制作・公開しています。2020年度のフォーラムは、全部で8つのセッションが行われました。

次回は、京都大学の塩瀬さん、東京女子医科大学の杉下さん、五井平和財団の西園寺さん、イノラボ・インターナショナルの井上さんの4名と共に「今この時代が問われている問いを問う」をテーマに掘り下げた75分をお届けします。お楽しみに!

ミラツク年次フォーラム2020のプログラムは、こちらからご覧いただけます

次回ミラツクフォーラムに参加を希望される方は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」にご参加ください。ミラツクフォーラムは、メンバー向けの招待制の会として開催されます。
ROOMの登録:http://room.emerging-future.org/
ROOMの背景:https://note.com/miratuku/n/nd430ea674a7f
NPO法人ミラツク では、2016~2019の4年間でミラツク年次フォーラムにおいて行われた33のセッションの記事を分析し、783要素、小項目441、中項目172、大項目46に構造化しました。詳しくは以下のURLをご覧ください。
ミラツク年次フォーラム2016-2019まとめ:https://scrapbox.io/miratukuforum2016-2019/
平川友紀 ライター
リアリティを残し、行間を拾う、ストーリーライター・文筆家。greenz.jpシニアライター。1979年生まれ。20代前半を音楽インディーズ雑誌の編集長として過ごし、生き方や表現について多くのミュージシャンから影響を受けた。2006年、神奈川県の里山のまち、旧藤野町(相模原市緑区)に移住。その多様性のあるコミュニティにすっかり魅了され、気づけばまちづくり、暮らしなどを主なテーマに執筆中。