“自己拡張”技術によって、人が人らしく生きることを実現する。パナソニック「Aug Lab」リーダー・安藤健さん【インタビューシリーズ「未来をテクノロジーから考える」】
インタビューシリーズ「未来をテクノロジーから考える」は、ミラツク代表・西村勇哉がインタビュアーとなり、「テクノロジーを駆使して未来を切り拓く」活動を行なっている人たちにお話を聞くオリジナルコンテンツです。
シーズン2の第2回でインタビューするのは、パナソニック「Aug Lab(オーグラボ)」リーダー・安藤健さん。Aug Labは、ロボティクス技術により“自動化(Automation)”が進むなか、ロボティクス技術がもたらす新たな価値として“自己拡張(Augmentation)”に注目し、研究開発を行う組織です。
人はどういったことに心を動かされるのか、ウェルビーイング(人やグループが身体的、精神的、社会的に良好な状態で幸福であること)を実現するためには何が必要なのか。「子どもと一緒に遊び、自然な表情を撮影するカメラロボット」や「持つ人の心拍数に応じて色が変わり、気持ちを伝える傘」など、さまざまなプロトタイピングを通し、人の思考や感性、能力や関係性の拡張を実現するロボティクスの開発に取り組んでいます。
急速に自動化が進む社会への疑問、自己拡張技術によって実現したいもの、「効率化」という大きな流れに飲み込まれないために大事にしていることを語っていただきました。
パナソニック株式会社ロボティクス推進室総括。パナソニックAug Labリーダー。博士(工学)。早稲田大学理工学術院、大阪大学大学院医学系研究科での教員を経て、2011年にパナソニック入社。ヒトと機械のより良い関係に興味を持ち、一貫して人共存ロボットの研究開発、事業開発に従事。早稲田大学客員講師、福祉工学協議会事務局長、日本機械学会ロボメカ部門技術委員長、経済産業省各種委員なども務める。「ロボット大賞」「IROS Toshio Fukuda Young Professional Award」など国内外での受賞多数。DiGIATL Xで「Well-beingな社会に向けたロボットの創り方」連載中。
(構成・執筆 飛田恵美子)
なんでもかんでも自動化してしまっていいんだろうか
西村まずは自己紹介をお願いします。少し前の話から伺っていけると良いかな、と思っています。
安藤はい。僕は小・中・高と野球をやっていたんですが、ずっとケガが多くて、整骨院とかで、体のバランスを整えたり、筋肉のコリを取ったりする施術を受けていました。それが振り返ると大事なポイントになっているんじゃないかなという気がしています。
大学は早稲田で、3年になって研究室に入るときに……機械工学科だったんですけど、機械には全く興味がなくて。
西村なんで機械工学科に入ったんですか?
安藤高校まで特にやりたいことというのも、興味のある学部もなくて、「とりあえず理系っぽいのは好きだな」という程度で。高校の先生に言われて、早稲田を受けて、理工学部の一番上にマーキングをしたらそれが機械工学科だったんです(笑)
西村なるほど。
安藤機械の勉強自体は嫌いではなかったんですけど、周りを見渡すと「車が好き!」とか「鉄道が好き!」みたいな人がたくさんいて、その感覚には全く馴染めませんでした。研究室を決める段階になって、いろいろ見ていたときに、医療福祉工学をやっている研究室があって。そこは、リハビリ向けのロボットとか、手術ロボットに取り組んでいる研究室だったんです。機械より人間に関する研究が多くて、たとえば、人がどういうふうに歩いているのかとか、ガンになると組織はどれぐらい硬くなるのかとか、そういったことにずっと取り組んでいる研究室でした。
「機械は興味ないけど人間は興味あるな」と思って、その研究室に入って、卒論のテーマを決めるときに、「自分がなぜケガをしたのか」を掘り下げようと思ったんです。具体的には、ボールを投げるときの筋肉の使い方を研究しました。人間の身体の表面から筋肉に流れる微弱な電気信号を測れるんですが、それを読み取ると、身体の表面の筋肉や奥の筋肉がどれくらい動いているかがわかります。
昔から興味があった「人間の体はどうなっているんだろう」「野球をするときどうやって体を動かしているんだろう」ということや、マッサージの関係とかインナーマッスルとかが紐づきはじめて、めっちゃ面白かったです。
西村すこし人間に近づいたんですね。その後、大学院ではどのような研究をされていたのでしょうか。
安藤それで卒論は無事終わって修士に上がるときに、またテーマを決めることになって。何をしようかなと周りを見ると、同期は手術ロボットを研究していたんですね。当時は手術ロボットの研究も結構盛り上がっていて、手術ロボットがFDAの承認(※アメリカ食品医薬品局による医療機器認証)を取って、実際の手術で使われる事例も出てきていて。
そんな中で研究のテーマを考えていたんですが、手術ロボットでたとえ生き延びたとしても、ただ生きているだけでは良い状態とは言えないよなぁと思ったんですね。たとえば、生命は維持できているけど大量のチューブに繋がれている。それって楽しく生きていると言えるのかな、と素直な疑問を抱きました。「じゃあ、生きるための研究もいいけど、死ぬための研究をするのもいいな」と、末期ガン患者をテーマに選んだんです。
ガンの末期って多くの場合は背骨に転移をして、体を捻るのが痛くてたまらなくなるんですね。そうすると寝返りが打てなくなる。最後はほとんど寝たきりになるのに寝返りもできず、苦しみの中、亡くなっていく。この状態に対して何かできないかなと、末期ガン患者の方が無理なく寝返りを打てる装着型ロボットを研究して、修士論文も博士論文もそのテーマで書きました。
その後、ドクターになってから後輩のテーマも面倒見ていたのですが、そのひとつが重度脳性麻痺の子どもを対象としたリハビリロボットでした。その子は、自分では動けないので車いすを人に押してもらって生活していたんですが、その子が自分で行きたいところに行けるようなシステムをつくろう、と。
重度の脳性麻痺といっても、手とか足は微妙というか、時には激しく動かせるんです。その信号を読み取って、今で言うAIで信号を処理すると、「右に行きたい」と思っているときと「左に行きたい」と思っているときでは、動きが若干違うことが分かってきました。その動きをセンシングして、電動車いすのモーターを制御すると、行きたい方に行ける、と。
西村あ、それはすごくいいですね。そして難しそう。
安藤これがめちゃくちゃ大変で、うまくいくまで2年半かかったんですが、実現したときは親御さんがかなり喜んでくれました。初めて自分の息子が自分の意志で目的地まで到達しようとしている。自分が親だったらやっぱり感動すると思います。
さらに、喜んでいる親の姿を見た子どももまた喜んでいたんです。もしかしたら、親を喜ばせることができたという体験がこれまであまりなかったのかもしれない。こういう喜びや笑顔はスパイラルアップしていくものなんだな、という大事なことを学びました。
西村その後、その車いすはどうなったんですか?
安藤「ずっと続けて使いたい」とリクエストをもらったんですが、手放しで渡せるような完成度ではなく、「いまは難しいです、申し訳ありません」ということで一旦その研究は終わったんです。
キャリア的にはそこまでは早稲田にいて、そのあと大阪大学の保健学科に移り、看護の領域にテクノロジーを入れることに取り組みました。「看」という字は「手」に「目」と書くんですが、「手で患者さんに触れて自分の目で見て、人と人が接するから看護ができる」という考え方みたいなものが割と大きな柱になっていて、当時はテクノロジーがなかなか入っていっていない領域だったんですね。「それだけではいかん」と思っている先生が阪大の保健学科にいて、看護とテクノロジーを融合させていく「看護工学」の立ち上げをしました。
これはこれで面白かったのですが、車いすの研究をしたときに感じたやり残した感というか、研究は研究で終わってしまう、というところに対するモヤモヤ感がどうしても抜けきらなくて。やっぱりモノをつくったらちゃんと世の中に出せるような立場になりたいなと思い、2011年頃にパナソニックに移りました。
西村なるほど。ここでパナソニックになるんですね。
安藤はい、そこからはいろんなロボットをつくって、最初に取り組んだのは頭を自動で洗うロボット。これも看護師さんから「患者の頭を洗うのが大変」という話を聞いて、理美容室でも手荒れですぐに人が辞めてしまうというし、なんとかできないかなと思って開発しました。あとは、病院の中で薬を運ぶロボットの社会実装をしていったり、自動で目的地まで行く電動車いすをつくったり。
左:自動洗髪ロボット(2012年開発)、右:ロボット型電動車いす(2019年開発)
いろんなプロジェクトに携わって、商品になるものも出始めた中で、少しずつではあるのですが、世の中の役に立ち始めている自負はあったけど、本当になんでもかんでもこのまま自動化していっていいんだろうかという疑問を抱くようになったんです。
西村自動化の先に何があるのだろう、と
安藤そう、全部自動化されたときに人は何をするんだろう、自動化できなかったものだけを人がやるとしたら、それはなんか悲しい世界だな、と。大学生のときに抱いた感覚と同じで、人が人らしく生きるには、やりたいことをちゃんと自分自身でできることが大事なんじゃないかと思いました。
歩いたり、ごはんを食べたり、トイレに行ったり。そういう人間としてのベーシックな機能という意味でやりたいことがやれたり、基本的な生命機能でないにしても、たとえば今日は集中したいなと思ったときに集中できたり。要は、「ありたい自分になれるためのテクノロジー」というものも、これから必要なんじゃないか。完全に自動化するだけじゃなくて、自動化してしまった方が良いことと、自分のやりたいことやありたい姿とのバランスをしっかり取っていくような社会を目指すべきなんじゃないかと思い始めて、2019年に「Aug Lab」をつくりました。
自分のやりたいことやありたい姿を実現していくためには、単に機械的な取り組みだけではだめで、中心となってくるのは人の内面的なところをしっかりと理解することになるんだろうなと考えています。そんな中で「人の心はどう動くんだろう」とか、「感性や感情は何によって良い方向になっていくんだろう」とか、「そのためにはどういうものをつくっていったらいいんだろう」ということを研究・開発しはじめました。
身体拡張がしたいのではなく、人が持っている能力を引き出したい
西村話を聞いていてちょっと思い出したのが、僕が大学院で心理学を学んでいたときに、動機づけの授業を受けていたんですよ。でもその授業の受講者が3人しかいなくて。すごく良い授業なのに人気がない。1人が僕でもう1人は医学部の保健学科、もう1人は工学部の土木建築学科だったかな。
人間科学研究科だったんですが、他の授業はだいたい同じ学科の人しか受けていませんでした。当たり前ですよね。そんな中で、動機づけという心理学的に結構コアな領域なのになんでみんな受けないんだろうというのと、同時になんで保健学科と工学科の人が受けているんだろう、というのが不思議だったんですが、いまになって思うのは、工学系の建築とかロボットといった分野と心理学ってすごく距離近いんだなということです。
安藤うん、そう思います。
西村同じことを裏表から見ている感じかなあ。ところで、安藤さんはそんなに理由なく機械工学に入ったということですけど、もう一度選び直したらどこに行きますか?
安藤今もう一度選び直すことができたとしても、機械工学を選ぶと思います。
西村そこでできることがあるからですか?
安藤そうですね。なんだろうな、人とモノがどういうふうにインタラクションをしているのかっていうところに、本質的には興味があるんだと思います。それを人側から見ることもできるけど、モノ側から見ようとするときにベースになるのって、やっぱり機械工学なんじゃないかと思います。
西村安藤さんって、ギブソンの生態心理学ってやってます?
安藤いえ、全然。アフォーダンスっていう考え方があるなという程度です(笑)。
西村僕もずっと食わず嫌いでいたんですけど、最近気になって少しだけ勉強してみました。そしたら、「あ、なるほど、というかこの人すごいな!」って。
心って物理的には、無いものですよね。無いものを一生懸命なんとか掘り起こして見える化しようって頑張ったんだけど、鏡に当ててみたらすぐわかるんだ、という感覚。モノが鏡で、鏡に当てれば何が当たったのかが見えてくる。なるほど!って
安藤基本的にエンジニアというかロボット研究者の考え方って、鏡をつくるというよりは、鏡に映っている自分自身をフィジカルにつくっている感じです。
西村なるほど。
安藤それが多分ロボットなんだと思うんですよ。そうすることによって、逆に自分がつくったロボットと自分は何が違うのか、物理的な面でも知能面でも違いを見つけていくことで、「人間とは何か?」を掘り下げていく。
私の場合は、外観からはわかりにくい体の中の部分。生理学的というか、筋肉とか骨格といった部分に最初に興味がありました。ロボットというか人工物が持っている構造体と人間が持っている構造体がどれだけ違うのかに興味があって。違うもの同士がどういうふうにインタラクションすると、より人らしくなるのか、という研究をしていた。
だから、当時は麻痺があってリハビリしている人とかが被験者や研究対象者になっていたんですけど、伝達系が壊れているところに対して、疑似的にロボットというループをフィジカルにつくることで、あたかも最初からあったような人間のループを再現してあげようと。めっちゃ面白かったですね、それは。
西村そこ自体は今でも変わらず好きなんですね。
安藤変わらないです。好きな研究をしていいよって言われたら、もう一度そこを徹底的にやる気がしますね。
西村面白いですね。人に装着するロボットみたいな感じですか?
安藤学術的にはフィジカルヒューマンロボットインタラクションって言うんですけど、装着しているかどうかは特に大きな問題ではなくて、物理的に力を交換しながら、どういうふうに協調して作業するか、というところですね。
西村かといって、身体拡張に興味があるわけではない?
安藤身体拡張自体をしたいっていう想いは全くないですね。人が持っている能力を引き出したいというところに動機があって、その結果として身体拡張になる場合もある、という感じかな。
その能力っていうのは、もちろん歩くとか身体的というかフィジカルな能力のときもあるし、精神的というか感性面の能力を引き出したいと思っています。人間、そもそもポテンシャルが結構あると思っています。
西村なるほど。
安藤たとえばアバターロボットみたいに、日本からアメリカに行ったような感覚を味わえるという拡張もある。それはそれで楽しそうだしやったらいいと思うけど、じゃあ「100mを5秒で走れるようになりたいですか?」って言われても、個人的には別にいいかなと思います。
一概に身体拡張に意味があるのかないのかっていうところより、何の制約でそれができてないのか、その制約を取って何か楽しいことがあるんだったら取ったらいいんじゃないかと考えていますね。
西村たとえば、自動車もある種の身体拡張ですよね。これまでは行けなかった遠いところまで、個人で行けるようになる。そうすると楽しいこともあるけど、それが当たり前化していくと、最初にあった楽しさやありがたみを感じなくなっていきますね。「北海道に行くんだ、ふーん」みたいになる。アバターも、最初は「こんなに便利で楽しいなんて」という感覚でも、それが当たり前になったら「またアバター出張か、つらいな」ってなってくるのかな。
安藤そうそうそう。それはそうなると思いますね。「もう勘弁してくれよ」となるんじゃないかな。
人かロボットか、人の側に選択の主体性がある社会
西村そのときに、じゃあ次の何かをつくるっていう話なのか、アバターというものをつくるときにもう少し何か考えるべき要素があったんじゃないかっていう話なのか。というとどうでしょう。
安藤そういう意味では、できることを増やすこと自体は悪いことではないと思っています。そういうオルタナティブな選択肢がある中で、何を選べるようになっているのかがすごく大事な気がします。
身体拡張って、そのうち生命拡張とほとんど同義になってくると思います。そして、そのときに最初の疑問と同じようなところに行き当たる気がします。スパゲッティシンドロームのような状態でも、延命したいと思うのか思わないの、という問いです。
これは、どっちが良い悪いという話ではなくて、「選ぶのは別に自由ですよね」っていう感じ、自由に選択できる感覚になってくんじゃないかなと思います。
西村選ぶ意思自体を狭めないようにする、ということですね。すごく自由に選択できるようになる。自動化だけを追求すると、その選ぶ意思がなくなってくる、ということでしょうか。
安藤はい。たとえば、掃除ロボットの登場によって、これまで人の手で行うだけだった掃除に「自動化」という選択肢が生まれました。でも、掃除が楽しい人も世の中にはいるかもしれません。「埃が取れている感じがたまらない」みたいな。そういう人向けに、「気持ちよく埃が取れるテクノロジー」も実現されても良いかもしれない。社会全体として、こうやってオプションを広げていく方向に向かうのがいいのではないかと思います。
西村「とにかく手間を省いて効率化しよう」という方向に全部一元化されるのは違うっていうことですね。
安藤はい、そうするとたぶん乱暴な社会になっちゃう。さっきのアバターによる旅行の話も、自分の体で旅行に行きたい人は旅行に行ったらいいし、旅行に行った気分を味わいたいだけならアバターでもいいし、目的がその土地にいる相手と議論をすることなら、Zoom会議で十分なのかもしれないし。どこを自動化して、どこは自らの手でやるのかが議論される社会がいいんじゃないかなと思います。
西村いろんな価値観が許容される社会において、いろんな道具があればいいっていうことですね。安藤さんの話って結局、やっぱり人の話に戻りますよね、ロボットの話じゃなくて。
安藤そうですね。
西村さっきの話も、どういう社会であるかの方が重要ということですよね。新しい道具は常に出てくるから、それよりもどういう社会であるかを考える方が大事なんじゃないか、と。ロボット研究者ってみんなそういうことを考えているんですか?
安藤そういう意味では、私はもしかしたらロボット研究者じゃないのかもしれません。ロボット研究者って大きく分けると2タイプいるんです。ロボットが好きなタイプと、人が好きなタイプ。前者はロボコンをやっている人たちで、後者はロボットを通して人を知ることに楽しみを感じる人たちですね。同じ二足歩行ロボットの研究でも両方の研究者が存在しています。私の場合はなんなんだろう、ロボット研究者じゃないのかな。
西村でも、さっき「個人で研究できるならロボットをつくりたい」って話していましたよね。
安藤それはでも、あくまでも人を知るための道具としてロボットを研究したいっていう感じですね。
西村でも心理学はやりたくないと思うんですよ。
安藤うん、心理学は別にやりたくない。
西村でしょ。そこがちょっと違うところですね。
安藤そうですね、そういう意味では、人が使いたいと思える機械をつくりたいのかな。
西村なるほど。人が「それいいな」と思ったときに使いたくなるような。道具に合わせるのではなく、人の側に主体性があるものをつくる。そういう視点を持ちつつ、今度はAug Labで取り組んでいることについても少しご紹介いただいても良いでしょうか。
精神的・社会的なウェルビーイングに取り組むAug Lab
安藤はい。Aug Labで取り組んでいるのは、Automation(自動化)と、その対になる概念であるAugmentation(自己拡張)です。我々は“身体拡張”とは呼ばず、”自己拡張”と読んでいます。Augmentationは“Authority”や“Authorize”と同じ語源で、“Aug”には「1人の個としてちゃんと強い存在になる」っていう意味が含まれています。
我々はAugmentationを「ひとりの人間が、ちゃんと人間らしく生きることを実現するための技術」と捉えていて、そういう自己になるために拡張していくことを目指した活動が必要だろうと考えています。自動化が生産性性向上を実現してきたのに対して、自己拡張は幸せの量産を実現する、というと語弊があるかもしれませんが、ロボット研究者もウェルビーイングを向上させることを目的としたプロジェクトに取り組むべきだろう、と考えてAug Labを立ち上げました。
ウェルビーイングには、身体的、精神的、社会的に健康であること、という定義があります。身体的という面は、ロボット研究者もこれまで取り組んできました。昔からの義手義足であったり、最近だったらパワーアシストスーツであったり。コンタクトレンズやメガネもその類だと思います。
一方で、精神的な健康や社会的な健康に関しては、ロボット研究者はあまりアプローチしてこなかったので、“Aug Lab”ではそこに焦点を当てましょうと。そのときにコアになるのは、やっぱり人の気持ちだと思っています。気持ちとか感性とか心ってなんなんだ、感じるってなんなんだというところを非常に大きな要素と捉えています。
たとえば、感じる力を80個ほどに分類して、どういうところが我々がテクノロジーも使いながら推すべき感情・感性なのかを調べたりしていますが、そういった分類や体系化という話と並行して、「人の心をつないだり、動かしたりするためにはどんなものがあったらいいんだろう」と、ものづくりをしながら考えることもしています。その両輪を回すこと、お互いにフィードバックしあうことでより知見が溜まっていって、どうすれば精神的・社会的なウェルビーイングが実現できるのか試行錯誤しています。
そして、心を動かすためのものづくりというと、もうこれはパナソニックだけで閉じてやっていけないので、様々な外部のクリエイターやアーティストなど尖ったことをやっている人たちとコラボレーションしています。たとえば、Konelというクリエイティブ・カンパニーと共同でつくった「TOU-ゆらぎかべ」は、家の中でボーッとする時間の必要性を軸に家の中でも風を感じられるプロダクトがあったらいいな、と開発したものです。
部屋の外を流れる風に反応し、壁が自然にゆらぐ
また、「babypapa(ベビパパ)」はaug labで開発した非言語コミュニケーションを取る3体のロボットなんですが、普段はロボット同士で遊んでいます。そこに子どもが入ってきて、一緒に遊んでもらう。そして、子どもが一緒に遊んでいるうちにロボットが写真を撮影すると、普段見れないアングルからうまく表情を捉える。結果、親は「普段こんな顔して遊んでるんだ」と気づいたり、「今日こんな遊びしてたの?」と会話が生まれて、親と子の関係性が向上するきっかけとなる。そういったものをつくっています。
「カメラ自身が友達のような存在で、笑顔を生み出して、写真に収めてくれたらいいんじゃないか」という想いから開発したbabypapa
西村「ゆらぎかべ」って扇風機的なアプローチも取れたと思うんですが、そこで風は起こさずに表現したところが面白いですよね。扇風機は涼しさを得るために使う製品ですが、風ってそういう機能だけじゃなくて、気持ちの面で落ち着くところがあるよね、という視点でつくったのが「ゆらぎかべ」なのかなと思いました。
「babypapa」も、記録を撮るだけだったら撮ればいいわけですよね。あえてロボットを3体もつくる必要はない。しかも、ロボット同士で遊ぶロボット。でも、ロボットが遊んでいる輪に入れてもらって一緒に遊ぶから、いつも通りの表情を撮ることができる。
安藤そういう意味では、どっちも機能的なムダをつくっているんだと思います。
西村そうですね。機能面にあんまり着目しないようにしようっていうことかなと思いました。「babypapa」の機能を特化して監視ロボットをつくったら台無しですよね。
安藤うん、そうそう。あくまでも機能がないから、ムダだから存在していられるということがすごく大事だと思います。だからこそ、人間側から何かアクションを仕掛けない限りは何も返ってこない。そういう意味では、人間の能動性を引き出すために存在しているのかもしれません。最初に「身体拡張がしたいわけではなくて、引き出したい」と言ったのはそういうイメージです。
私の偏愛からは自動化も効率化も出てこない
西村そういう意味では、小児麻痺の方の車いすと同じですね。単純に動かすんじゃなくて、まず微弱な電流があって、それをうまく増幅してあげて、結果自分の行きたいところにいける。
安藤そうですそうです。あくまでも最初に人側のintentionというか意思があってこそ。微弱であっても意思があるものをサポートする。もしくは、意思そのものをつくることをサポートする。そういうことができるようにしたいなと思っています。
西村やっぱり「人間」に興味があるんですね。
安藤そうですね。そして、少し議論が整合しなくなるかもしれませんが、自己拡張的なものだけが大事だとは思ってはいません。オプションがあるというか、社会全体で見たときのバランスをどう取るのかが大事だと思っています。だから自動化と自己拡張のどっちが大事ですかという議論は、絶対にしたくない。それはどっちもないと社会は回らないものだと思います。
ただ、自動化については世界中で様々な取り組みがなされているし、私がしなくても社会としてトライアルが出ているのに対して、“Augmentation”の方はまだまだ、特に企業における取組は全然足りていないと思っています。ウェルビーイングも流行り言葉になってしまった感もありますが、少なくともまだエンジニアがそこに取り組むという事例は少なく、なので意図的に取り組んだり露出したりしています。
とても個人的なところでは、元々人間が好きなので自己拡張のほうが興味はあるかなという気もするけど、全体としてはどっちもやっていかないといけないなと思っています。
babypapaを気に入った子どもが、親と一緒に洋服をつくって着せる、という新しい展開も生まれた
西村それはほんとそうですね。選択肢がちゃんとあること。選択ができること。僕が安藤さん話を伺っていて思ったのは、「人が持っている普通の感覚ってすごい大事なんじゃないか」という意識の存在です。「人って普通に楽しいって感じられるんじゃないか」とか「人は普通に生きてればこういうことするんじゃないか」みたいな感じで、そこがあくまでもベースになっていた方がいいんじゃないか、ということだと思いました。
安藤はい。おいしいごはんを食べたら幸せだし、いっぱい寝たらすっきりして気持ちいいよねって、普遍的なことですよね。そういうのはやっぱり大事にしたほうがいいし、人間はそもそもそういう能力がかなりあるのに、いろいろな制約の中でそれができていないときに、自動化によってそれが可能になるならやったらいいし、衰えてしまった感受性を高めよう、本来持っているものをもっと引き出してあげようっていう方向もあるし。どっちのアプローチもやっていきたいなと思っています。
西村なるほど。道具が外在化されて、その道具は機能を持っているから、機能だけ高めることがもちろんできるけど、それに引っ張られはじめると「いやいやちょっと待とうよ」ということでしょうか。待ってくれないなら、逆サイドをつくってみるかと。
道具って良くも悪くも道具だけでより良くしたり新しいものを生み出してしまえる側面があると思っています。でも、めちゃくちゃ遠くまで見えるメガネは、つくること自体はできても実際には使いにくい。しかし、それが一度社会で機能しはじめると、人が介在しなくても機能していくという側面から、知らないうちにすごく進んでしまったり、「本当は別に欲しくないんだけど」と思っても止められなくなったりすることがある。
ある種、公害みたいなものも出てくるわけです。今の時代はそれは分かりやすい公害のようなものではなく、社会課題であったり、気づかないような潜在的な課題として存在する。もちろん、人間、何でもかんでも見通せるわけじゃないから、気づいていないだけで実はすごく害があったり、蓋をされている部分があったり。
少し違和感のある例かもしれませんが、時計もそうだなと思います。時間の概念って時計によって生み出されて、いまはそれを基軸に動いているけど、元々はそんな概念はなかった。時間を合わせるために時計をつくったら、それが世界のベースみたいになってしまって、人が振り回される。テクノロジーによって生まれた副作用ですよね。それに対して、時間を分解するようなテクノロジーがつくれたら楽しいな、と思います。
「ゆらぎかべ」にはそういうところがあると思うんです。時間を忘れさせてくれる。実際、時間というものを考えると、集中すると早く進む、みたいな感じで、主観的な時間ってぐちゃぐちゃですよね。そうした主観的な時間軸に振ってみたのが「ゆらぎかべ」で、時計が規定してきた時間を分解できるテクノロジーだとも言えます。
安藤そうですよね、人がつくり出したんですよね、時間も。時計がない時代にはもっとのびのびと生きていたのが、自分で自分の首を締めてしまった。
西村時計の誕生は、異なる2回のタイミングがあったと言えます。1回目は、日が登って落ちるのを観測する、日時計のようなもの。2回目は、イギリスに鉄道が通ったときに、時間をぴったり合わせる必要が出てきた。あっちの町とこっちの町で時間が違っていたら困るので。この2回目がすごいパワーを持っていたんだなと思います。その後いろんな論争があって、グリニッジに標準時刻が置かれたんですよね。だからいま、全員同じ時間軸で動いている。
安藤何かをひとつの軸に合わせるときに、その軸で評価できない事象が捨て去られたり、本来的には違うところにカテゴライズされてしまったりして歪みが生じるということですよね。それによって、社会的なウェルビーイングがどんどん失われていってしまう。そこに対して、違う軸もちゃんとありまっせ、ということを見せていくのが大事なのでしょうね。
西村そう思います。ただ、多様な軸を取りたいと思っても、「自動化・効率化していこう」という勢力って強いですよね。そこで聞いてみたいのが、そういう大きな一軸があるところに一石を投じるために、安藤さんが考えていることとか、Aug Labで工夫していることって何かありますか?
安藤難しい質問ですね。自分の好きなことをさらけ出してもらっているんですよ、Aug Labって。偏愛マップをつくって、自分の癖(へき)をいろいろと出してみて人と比べると、「ここってほかの人と違うんだ」と気づいたりする。そういうことをアイスブレイク代わりによくしています。
そうすると、効率化に関することってあまり出てこないんです。で、Aug Labは「ありたい姿に近づく」ことをコンセプトにしているんですが、自分の偏愛を改めて考えることで、自分自身で気づくことになるんですよね。「効率化以外にももっといろんなアプローチがあってもいいんじゃない?」「自分の好きなことをより楽しくするためにできることっていっぱいあるじゃない?」と。そこに気をつけながら、いろんな議論をするようにしている。
西村なるほど。やっぱり安藤さんって、「ひとりの感性や感覚を元にすればそんなに間違えないんじゃないか」っていう考えが繰り返し出てきますよね。「好きの中に効率化が出てこないってことは、好きなものは違うんでしょ」と、そういう割とシンプルな感覚ですね。
安藤ははは、あんまり深く考えてないのかもしれない。
西村「なんかいい」とか「好き」みたいな、ある意味人間の感覚をすごい信じているっていうことだと思います。いろいろと考えた末じゃなくて、「好きなものは何なの?」みたいなのが早いと。人間は実はもう答えはよくわかっていて、それをただ言語化したり、行動に移してみたりするっていうことなのかなと思いました。
「一緒にいる」って何なんだろう?
西村いま、安藤さんが持っている未来に向けた問いってなんですか?
安藤一番大きな問いとして持っているのはやっぱり、「テクノロジーは人を幸せにできるのか」ですね。それに加えて、「幸せやウェルビーイングって、一人では完結しないな」というのが2年間ラボをやってきて得た気づきとしてあります。当たり前のことなんですけどね。人と人との関係やつながりを、テクノロジーを使ってどういうふうに良い方向に持っていけるのか。ぜひいろんな人と一緒に考えていきたいなと思っているところですね。
共在感覚はすごく興味を持っているキーワードです。また別の話かもしれませんが、「一緒にいる」って何なんだろうっていうことは考えていきたいですね。これからすごく大事な要素になってくるんじゃないかなと。別に一緒にいなくてもいいんですよね、一緒にいると感じられれば。アフリカには何キロも離れた相手とも共在感覚を持つ民族もいますもんね。
西村この間、歌舞伎役者の方にお話伺った時、「やっぱり人って“会う”という行為によって受け取るものがある」とおっしゃっていて印象的でした。そこに命が存在していて、命が存在するものに出会うから受け取れる。遠隔で声だけや映像だけじゃ絶対に伝わらないものが、“会う”というところにある。それは別に遠隔通話の否定というわけではなく、会うということの価値が消えてしまい、そしてそれを忘れてしまうとまずいという話だったように思います。
先日寄稿した原稿に、この生命性みたいなことを書いたんです。テクノロジーとアートが出会うって何の意味があるんだろう、生命性の中にあるニーズみたいなものを付与してくれるっていうことなのかなと思って。それが本来は踊ったり歌ったりみたいなところにある、伝え合うということなのでは、と書いたんです。そういうものを「生命の躍動」としたときに、アーティストはそれを付与できてしまう。生命性みたいなものを共在感みたいなもので解けたら面白いのかな、と思います。
安藤そうそう。踊るとか祈るとか、そのへんがすごく大事な何かを持っている気がします。なんていうか、みんなで歌うと楽しいじゃないですか。そういうのってたぶんすごく共在感覚なんですよね。場所に依存せずとも、同じタイミングで同じ歌を歌っていることがわかったら一気につながっている感じがしたり。
西村進化論系の研究で、リズムが自然に生まれるという話がありました。リズムってつくろうとしてつくれるものじゃなくて、自然に生まれてくる。そういう自然に生まれてくるものと、結局は動物であるみたいなものがリンクしているんじゃないかなと思います。だから自然なものであると、遠かろうが近かろうが、そこに対して動物として反応が生まれてくる、みたいなことがあるのかな。生きているっていうことと響き合う、内包されているものがあるのかなって。
安藤なるほどなぁ。すみません、最後、完全に脱線してしまいましたね。
西村いえいえ、おもしろかったです!今日はありがとうございました。
この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/
「このままいろいろなものが自動化して、技術が進んで不可能だったことが可能になって、生産性が向上して社会が発展して、その先に何があるんだろう。本当に人は幸せになれるんだろうか」。多くの人が一度は考えたことがあるであろう疑問に、ロボット研究者としてまっすぐ向き合い、“自己拡張”というキーワードを元にAug Labを立ち上げた安藤さん。
その活動を知って、パナソニックという大企業の中に、「人がより良く生きるためのテクノロジーって何だろう?そもそも人はどんなときに幸せを感じるんだろう?」といった抽象的な問いを探究していく組織がある、ということにまず驚きました。
印象的だったのは、「自動化や身体拡張という選択肢が増えること自体は悪くなくて、“ちゃんと選べること”が大事」というくだり。言葉にすると当たり前のように感じてしまいますが、いつの間にか増えた選択肢に縛られ、ほかの選択肢を選べなくなってしまうかもしれません。自分が何を大事にしたいのか、どこまでを自分の手で行いたいのかを常に忘れないようにしよう、と思いました。
2019年に開設してからまだ2年足らずのAug Lab。今後、問いがどのように深まっていくのか、その結果どんなアイデアやプロダクトが生まれてくるのか、楽しみです。
次回は、未来の暮らしを構想する中で、人が水と親しむ社会を描き、実際に水中で呼吸ができる人工エラの研究・開発にはじまり、研究者からデザイナー、デザイナーから起業家へと転じながら取り組む亀井潤さんにお話を伺います。どうぞお楽しみに。