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最先端の生命科学に取り組みながら、芭蕉布という伝統工芸にも向き合う。沖縄科学技術大学院大学サイエンス テクノロジー アソシエイト・野村陽子さん【インタビューシリーズ「未知の未来が生まれる出会い」】

ROOM

インタビューシリーズ「未知の未来が生まれる出会い」は、ミラツク代表・西村勇哉がインタビュアーとなり、沖縄県恩納村に拠点を置く沖縄科学技術大学院大学(OIST)の研究者にお話を聞くオリジナルコンテンツです。

研究者はこの宇宙のさまざまなものを対象に、世界中の誰もがまだ知らないことを発見し、人類の知を広げています。そのひとりひとりの研究者は、どのような視点で世界を切り取り、理解しようとしているのでしょうか。その視点を知ることで、私たちの世界観は大きく広がっていきます。先駆的な研究と沖縄の風土が交差するOISTから、未来に向けた新しい視点と出会いをお届けします。

第三回は、核酸化学・工学ユニットに所属するサイエンス テクノロジー アソシエイトの野村陽子さん。家政学、環境科学、核酸化学と、さまざまな分野を渡り歩き、OISTに着任してからは沖縄の伝統工芸である芭蕉布の研究にも取り組んでいます。あまり接点がなく、真逆のことをやっているように見える先端科学と伝統工芸。なぜ、野村さんは両方の研究をするようになったのでしょうか。その背景を伺っていきます。

(構成・執筆:荒舩良孝)

野村陽子(のむら・ようこ)
沖縄科学技術大学院大学核酸化学・工学ユニット サイエンス テクノロジー アソシエイト。
1966年、東京都生まれ。日本女子大学大学院人間生活学研究科修了。博士(学術)。東京大学先端科学技術研究センター博士研究員、東京工科大学助手などを経て、2004年にカリフォルニア大学デービス校でプロジェクトサイエンティストとして研究室の運営に参加。核酸化学などのプロジェクトに10年間ほど関わる。2015年7月より沖縄科学技術大学院大学。核酸化学だけでなく、沖縄の伝統工芸である芭蕉布の研究もおこなっている。

美術と化学への興味を両立するために家政学部へ

西村今日は、野村さんが研究者になった経緯から伺いたいと思っています。もともと、どんなことに興味があったのですか。

野村私が高校生の頃に一番興味があったのは、実は美術でした。日本画などが好きだったのです。そして、もう一方で化学も好きでした。特に授業で経験した染色料の合成実験がとてもおもしろかったのをよく覚えています。

でも、大学に進学するときには悩みました。美大に行きいと思っていたのですが、親に相談すると「そんなところに行ってどうするの」という返事でした。私自身も、才能があると思っていなかったので、妙に納得してしまいました。美術だけでなく、化学も好きだったので、両方できるようなところがないかと探した結果、日本女子大学の家政学部被服学科に行くことに決めました。

西村家政学部ですか。美術に興味があるのなら、デザインなどの道に行ってもよさそうに思いますが、家政学部となるのがおもしろいですね。

野村私は、単にきれいなものを見ているのが好きだったんです。日本画やアンドリュー・ワイエスの絵などが好きで、美術の教科書ばっかり見ていました。

化学に興味を持ったのは、高校3年生のときでした。興味がある人だけが残って、染料の実験をしたのですが、アゾ染料の鮮やかなオレンジ色がとてもきれいだったのをよく覚えています。でも、高校時代はあまり化学を一生懸命勉強していなかったので、本格的に化学の学科に行くには勉強不足でした。美術も好きだったこともあり、両方できそうな家政学部被服学科に落ち着いたのです。

あと、これは若い人の感覚ではわからないことかもしれませんが、私が高校生の頃は、共学の大学に行くのを、親があまり勧めない時代でした。私は東京の出身ですが、特に母親が女子大を強く勧めていました。当時は、理系で実験のできる女子大はとても少なかったという背景もありました。

西村なるほど。

野村日本女子大学家政学部被服学科は、今は生活に根ざした分野に力を入れるようになりましたが、私が入学した当時は、工学や化学の先生がたくさんいて、化学と美学の両方とも勉強できるかもしれないと考えたのです。そして大学院では、洗濯洗剤に関する研究をしていたのですが、私の研究が化学寄りになってしまったので、「家政学部被服学科では手に負えない」ということで、日本女子大学の蟻川芳子先生のご紹介で、当時、東京大学にいた軽部征夫先生の研究室にお世話になりました。軽部先生の研究室では、分子認識の研究に力を入れていました。分子認識というのは、特定の分子だけを識別して反応するメカニズムのことで、化学の基本的な分野です。

私は修士課程までは洗剤がどのように働くかとか、環境に出たときにどのような影響を与えるかといったことしか考えてなかったのですが、軽部先生の下で研究をするようになって、ミクロの分子のメカニズムにまで興味の枠が広がっていきました。

「この環境でなにができるのか」を考える

野村学位を取得した後は、軽部先生のところで博士研究員となり、助手もさせて頂きました。夫と出会ったのもこの頃です。彼は修士課程まで東大にいたのですが、博士課程はアメリカの大学院に移り、向こうで博士研究員もやっていました。その彼が、カリフォルニア大学に自分の研究室を開設することになり、私もアメリカに行くことにして、結婚もしました。

西村野村さんの経歴の中で、カリフォルニア大学が突然出てくるのがなぜかわからなかったのですが、その謎が解けました。

野村出張などでアメリカに行くことがよくあり、日本とアメリカで7年くらい遠距離恋愛をしました。2人とも自分の研究で忙しかったこともあって、遠距離恋愛がもったのでしょうね。

西村連絡は電話しかなかったですよね。

野村一応、メールがありました。メールがなかったら結婚しなかったですね、たぶん。ちなみに彼の専門分野は核酸化学や核酸工学で、私もアメリカに行ってからは核酸化学や核酸工学の分野の研究を進めました。

核酸は生命の根幹を担う重要な物質で、DNA(デオキシリボ核酸)やRNA(リボ核酸)をまとめた総称です。DNAは、生命の設計図である遺伝情報を記録する物質で、細胞の中ではDNAに記された遺伝情報を一度RNAの形にしてから、生命現象を実際に担うタンパク質をつくります。生物が親から子に遺伝情報を伝えたり、たくさんの細胞が役割分担をして1つの生命体として振る舞ったりすることができるのは、核酸があるからです。

西村お話を伺っていると、好きなものに対する熱中度が強いですよね。カリフォルニア大学にいるときに興味を持ったものはありますか。

野村あります。私はカリフォルニアに来るまで、核酸化学についてあまりよく知りませんでした。RNAが連なってとる構造によって、その後に発現する遺伝子が変わります。そのことがおもしろくて、一時期、RNAの構造ばかり研究していました。あと、夫のやってきたペプチド*と被服学を融合できないかと思い、絹にペプチドを結合させて、機能性を持つ絹をつくる研究もしていました。

*ペプチド アミノ酸が2〜50個ほど結合した分子。アミノ酸がたくさん結合し立体的な構造をつくるとタンパク質になる。

カリフォルニア大学の研究室にて

西村人生の中で、今までやってきたこととまったく違う領域に行く場面に遭遇することもあるでしょう。でも、それを怖いと感じたり、今までやってきたことが無駄になると思ったりする人はたくさんいると思います。別の分野にいっても、前にやっていたことはいずれつながってきたり、役に立つことは多いと思いますが、そのあたりのことはどのように感じていますか。

野村次に行くことを、プラスとするか、マイナスと捉えるかですよね。カリフォルニアに行くときは、日本でそれなりに積んできたキャリアを手放して、一からやり直す感覚はありました。

そのような中で、私が心がけてきたのは、目の前にあることをまじめに取り組むことでした。私の場合は、特に実験に対してでしたが。目の前のことに取り組むことで、見えてくるものがあると思います。

あと、いい環境にするかどうかは自分次第だと思います。私はカリフォルニアでも、OISTでも、環境づくりをしたというか、目の前のことと真摯に向き合ってきました。新しい環境に飛びこむのだったら、そこで自分の力を発揮できるように努力することは必要だと思います。

飛びこんで、「ああ、こんなんじゃなかった」「これは自分の思っていたことじゃない」と思い始める前に、「私はこの環境でなにができるのか」と考えて欲しいです。受け身のままでは何も変わらないので、能動的に考えて自分のできることを見つけて、その環境の中での自分の居場所をつくることが大切です。

西村野村さんは、どんなことをして自分の居場所をつくってきたのですか。

野村思い返してみると、修士を取得し、博士課程で東京大学の研究室に行ったときは、東京大学の人たちが一生懸命勉強をしているのに圧倒されました。そのとき、「論文をちゃんと読まないと」「ちゃんと勉強しないと」と周りから刺激を受けました。いろいろと調べてみると、わかってくることがおもしろくなってきて、勉強することでおもしろいことを発見することはできたかなと思います。

カリフォルニア大学に行ったときは、研究経験はありましたが分野が違うので、初めのうちは分野のことがよくわからなかったです。でも、わからないながらも英語の論文を読んで、調べてと、できる限りの勉強をしました。

カリフォルニア大学構内にて

沖縄の暑さに耐えられず、芭蕉布の研究を始める

西村自分の軸をもとにして、いろいろと見るというよりも、新しいものと出会ったら、そちら側に入って行くというストーリーが何回も出てきますね。

野村その環境で、自分に何ができるかなと常に考えているからですかね。沖縄に来てからは、特に、ここで私にしかできないことは何だろうと思うようになりました。

西村カリフォルニアからOISTに移ったのは、どういうきっかけですか。

野村夫にOISTへ移る話が来たのがきっかけです。OISTでもカリフォルニア大学のときと同じように研究室を立ち上げようと思っていました。しかし、沖縄はものすごく暑くて。カリフォルニアも7月は暑くなるのですが、向こうは湿気があまりありません。それに対して、沖縄は湿度も高くて、耐えられなくなったのです。それで、昔の人たちが何を着ていたのか気になりました。もともと、被服を勉強していたので、他の人よりは興味があるわけです。調べてみたら、沖縄の人たちは、庶民から王侯貴族まで芭蕉布を着ていることがわかりました。透けるほど薄く軽い布なんです。

芭蕉布の反物(帯地)(提供:OIST)

西村芭蕉布は時間の中で育まれてきたもので、知識を積み重ねるというよりは、暗黙知の中で研ぎ澄まされてきたものだと思います。ただ、物体として存在しているので、そういう物理的に存在する暗黙知みたいなものを科学の目で見直すと、何かあるのだろうと多くの人は思うはずです。でも、それを実践している例はあまりないですよね。

野村伝統工芸を科学でしっかりと見直すことは、確かにあまりないですね。科学の人は科学、工芸の人は工芸、伝統文化の人は伝統文化というように、それぞれのコミュニティの中で活動しているので、その間をつなげていく人がいないからだと思います。

私が家政学部で学んできた生活科学は、ちょうどその真ん中あたりに位置するもので、両方に興味がありました。伝統工芸好きの科学者がいたとしても、ふつうは伝統工芸を研究対象にしようとは思わないですし、伝統工芸の人からも、自分の技術を科学的に分析しようという発想は出てこないと思います。たまたま、私は両方好きだったからつなげたという感じです。

西村芭蕉布の研究といっても、切り口は色々とありますよね。研究の切り口を決めたきっかけはあるのですか。

野村芭蕉はバナナと同じ大型の多年草です。バナナの布は固いので、衣類にはあまり向いてないはずです。でも、沖縄では王侯貴族の人たちも着るようなすばらしいものもつくられています。それはなぜだろうというのが、私の感じた大きな疑問でした。

服を見るとき、多くの人はできあがったものに興味があると思いますが、私はなぜ、この布ができあがったのか、つまり、つくりあげていく工程に興味があります。しかも、織るところからではなく、繊維を取るところから知りたかったのです。その根本のところがどうなっているのかを知りたくて、そこから研究を始めました。

OIST構内で栽培している糸芭蕉(提供:OIST)

西村確かに、芭蕉布はものすごく工程が多いですよね。原料となる糸芭蕉の茎をそのまま使うのではなく、薄く剥いだものを使うのですね。

野村はい。糸芭蕉の繊維はアルカリの溶液で煮て柔らかくするのですが、茎をそのまま煮ても、なかなか煮えないんですね。でも、煮すぎると繊維がぼろぼろになって切れてしまうので、なるべく多くの繊維にアルカリ溶液が行き渡るように、葉鞘と呼ばれる繊維の塊を一枚一枚剥いでいきます。

さらに言えば、葉鞘も外側と内側に2つに割っていき、長い繊維の多い外側に位置していたものを煮て、芭蕉布の繊維にしていきます。こうすることによってアルカリ溶液がさらに入って、繊維が取りやすくなるのです。沖縄の人たちは、こういうことを経験的にやってきました。ちなみに、葉鞘の内側にある短い繊維は紙(芭蕉紙)の材料にしていたそうです。昔は、糸芭蕉から紙もつくっていたのです。

芭蕉布作製の大まかな流れ
糸芭蕉の収穫と材料準備の様子

西村すごいですね。伝統工芸の職人さんは、手の形から違うというか、それぞれの作業をするための手になっている気がします。つまり、その人がいないと再現できない秘密があると思います。芭蕉布でも、高度な技や知見を身につけている人がいないと、同じようなものはつくれないのでしょうか。

野村芭蕉布は、そもそも原材料の材質が一定ではありません。生ものですから。そのあたりの調整を含めて、科学である程度のレシピをつくることはできると思いますし、そこそこの製品はできるでしょう。

着心地はともかく、着られるものまではできると思います。でも、すばらしい美術品や工芸品をつくるとなると、科学では太刀打ちできません。ものすごく品質のいいものをつくるのであれば、職人さんたちが何十年もかけて培ってきた技術や勘が必要だと考えています。

科学で伝統文化の入り口をつくる

西村芭蕉布は、年間100反くらいしかできないことをどこかで読んだのですが、できる量がとても少ないですよね。教えられる人も少ないし、学ぶのにも時間がかかります。それをある程度、科学の力で埋めることはできますか。

野村芭蕉布のつくり方は、共同研究者の言葉を借りれば、料理のレシピでいうと、工程はわかっていますが、時間や量がまったくわからない状態です。時間や量について数値情報を明確にしていけば、若い人たちに教えるときに役立つと思います。だから、基準というわけではないですが、ある程度の目安になる方法や量などを数値化していくことが大切だと思っています。

また、科学的な知見を取り入れてくことは、伝統工芸を伝えていくうえでも役に立つと思います。科学的見地から得られた条件で再現実験などもおこなっています。まだ繊維を取るところまでしかやっていませんが、このような知見が蓄積されていき、伝統工芸の方たちにも取り入れていただければ嬉しいです。

芭蕉布作製の再現実験の様子

西村職人ではない人の手で再現をしようというのは、とてもおもしろいですね。

野村職人さんがつくったものと比べると、品質はよくないと思います。でも、芭蕉布を日常的に着ていた琉球王国時代に、全員がすばらしいものを着ていたわけではないはずですよね。野良着でもあったわけだから、何を目的にするかによって、つくり方も変わってくるでしょう。

基本的な部分をたくさんの人が理解できるように、わかりやすい入口をつくりたいですね。職人さんは基本的な部分を一通り学んだら、後は自分自身の力で技術を高めていけばいいですよね。科学的な発見にまでつながるかはわかりませんが、伝統工芸の継承や発展に何らかの貢献ができたらいいなと思います。

西村お話を聞いていて、例えば、子どもが琉球舞踊に興味を持ったときに、「まだ踊れないけれど、舞踏に使う衣装や布をつくるのだったらすこしできるかも」というふうに違う興味をつくることができるかもしれないと思いました。

文化はさまざまな要素がつながっていますよね。布も使い道とセットになっているので、布の活動が、舞踊の活動をしている人たちとつながっていくとおもしろいですよね。

野村そうかもしれないですね。いろいろな活動がつながっていくとおもしろいでしょうね。

西村芭蕉布の話は、実際の生活の中にある沖縄のオリジナリティを明確に見直すことではないかと思いました。沖縄と聞くと、すぐに「青い海」というイメージが浮かぶと思います。でも、実際は山がたくさんあり、山の暮らしもあります。地域の実際のオリジナリティを伝えるためにも、具体的なものがないと難しいと思います。

野村さんが芭蕉布に関わりながら、他にも沖縄のおもしろさを伝えていったら広がりができるのではないか思いました。沖縄のことを知るためのおもしろみとか、視点を伺いたいです。

野村難しい質問ですね。沖縄は琉球王国と、日本とは別の国だった歴史があります。大和とは文化圏が違うので、私だったらまず、そこを強調していきたいと思います。ただ、明治以降は日本の文化が流れてきて、第二次世界大戦後はアメリカの文化も入ってきているので、いろいろな文化が混ざり合っている側面もあります。その中から琉球独自の文化を強調して、琉球の時代からあるものを見直すきっかけをつくれたらと思います。それは芭蕉布でなくても、琉球漆器でも、紅型(びんがた)でもいいと思います。

また、琉球文化のルーツをたどっていくと中国になります。中国の影響を受けたところから、琉球でどのように文化が育っていったのかをはっきりと示せるといいですね。そして、織物を体験してもらうとか、沖縄のビーチで芭蕉布を着たら本当に涼しくなるのかとか。さまざまなアクティビティと琉球の持っている文化を組み合わせて、何かアピールできたらいいなと思います。

西村沖縄の文化について、科学者が関わることの意義はどう考えていますか。

野村芭蕉布がなぜ涼しいのか、やちむん(沖縄の焼き物、器)がなぜあのような手触りをしているのかなどの理由を科学的に調べて、それらの成果を組み合わせていけば、いろいろな人がおもしろく思うかもしれないですね。沖縄に興味を持ってもらえるようなきっかけとして、科学者の知見が役に立てられればと思います。

西村それは文化へのある種のリスペクトみたいなものにつながるのですか。

野村そうですね。あとは単純に「これどうやってできてるの?」という疑問に、科学が答えられると思います。その科学的な分析を考え合わせることで、経験的に発展させていった琉球文化のすごさが見えてくるのではないでしょうか。

文化と自然科学は、実は密接につながっている

西村当たり前のことを聞きますけど、芭蕉布はふつうのバナナではできませんよね。

野村ちょっと難しいですね。糸芭蕉は、繊維のもとになる部分がとても細いものです。薄い布をつくるには細い繊維が必要です。だから、いい芭蕉布をつくるには、糸芭蕉でないとだめでしょうね。ただ、質にこだわらず、布をつくるだけであれば、ふつうのバナナからもできるかもしれません。

西村ゴワゴワでいいのならということですね。

野村ゴワゴワで敷物みたいなものでいいのなら、できるかもしれないですね。芭蕉布は原材料も大切ですが、糸芭蕉の栽培も大切です。糸芭蕉をゆっくり育てないといい原材料になりません。それも難しいところです。

西村バナナではなく、糸芭蕉を育てたいと思う人が増えるとおもしろくなりますね。

野村よくよく観察してみると、糸芭蕉は防風林として今でもたくさん使われていたりもします。それらの糸芭蕉をそのまま芭蕉布の材料にできるかというと、ちょっと難しいです。何らかの別の技術を加えたら、もしかしたら少し柔らかいものができるかなと考えるところはありますね。

西村糸芭蕉は沖縄全土で育てられるものですか。

野村それは大丈夫ですよ。ただ、同じ沖縄でも、南と北で気候や土に少し違いがあり、その影響があるのかもしれませんが、北のものの方がいいといわれています。

西村なるほど。例えば、気候に関する研究者だったら、沖縄が亜熱帯であることで関わる余地があるかもしれないということになりますね。

野村それはあると思います。日本の中で亜熱帯気候は沖縄周辺しかないわけですし。日本は縦に長い国で、いろいろな気候や気象条件があるのだから、いろいろな分野の研究者にもどんどん参加して欲しいですね。

西村そうですよね。

野村私としては、できればそれを文化とつなげて欲しいと思いますが、それはまあ、個人の趣味的な部分なので。

西村結局は、自然が素材になって文化になっていくので、自然に興味があれば、科学と文化はどこかでつながりますよね。

野村つながると思います。絶対つながります。文化は、人の手でつくりあげてきたものですけれども、素材は自然の中にあるものです。近くの国から持ちこまれたものもありますが、文化は近隣の国々と影響しあうので、どのように伝播してきたかといったこともわかると思います。文化と自然科学は、実は密接につながっています。

西村本当にそうですね。

野村自然科学の研究者も、頭のどこかに文化を念頭に置いて研究していけば、自分の専門領域で活かせるものやおもしろい発見もあると思います。

西村伝統工芸の話は、どうしても職人の技みたいな方向に行きがちになると思います。そうではなくて、自然や周囲の環境から文化的な面にアクセスできるということですね。

野村そこは絶対につながると思います。

自分の研究だけ進めようとすると、研究は立ち行かなくなる

西村研究者の話は深みがあっておもしろいと思います。子どもがおもしろいと感じることも、研究者から語られることは多いですよね。子どもたちが触れるものにもっと研究者が関わったら、もっとおもしろくなると思いますが、野村さんはどのように考えていますか。

野村具体的にどういうふうにできるかわかりませんが、研究者が関わることはいいなと思います。2018年にOISTで「芭蕉布の科学」というイベントをやったときには、芭蕉布で有名な沖縄本島北部の大宜味村(おおぎみそん)の喜如嘉(きじょか)という地域の芭蕉布の伝統工芸の先生方が作品や材料を持ってきてくださいました。そこに私たちが科学的な知見を入れて、共同研究者の琉球大学の先生たちが糸芭蕉を持ってきて、沖縄県立博物館から見学者が実際に触われる芭蕉布の着物をお借りして展示してというように、さまざまな人たちの力を集めてトータルに展開しました。かなりおもしろかったと思うのですが、それをもう少し広げていけばいいのではないかと思います。

OISTで開催したイベント「芭蕉布の科学」のチラシ

西村研究者が関わったことで、村の方たちや職人さんの反応はどうだったのですか。

野村職人さんたちは、このイベントに一生懸命協力してくださいました。また、このイベント以降、科学で得られた知見を芭蕉布の宣伝にも使っていただいているようです。だから、お互いにとっていい関係になっているのではないでしょうか。喜如嘉の場合ですと、私が興味を持つ前にも研究者が「材料をください」と依頼されることがあったようです。でも、材料を提供しても、それで終わってしまうことが多かったようですね。

私が最初に喜如嘉の芭蕉布事業協同組合に行ったときは、プレゼンを聞いてもらえませんでした。材料そのものも十分にあるわけでもないのに、それを分けてもらって終わりにしてしまうと、科学は伝統工芸に貢献しないことになりますよね。というよりも、材料だけもらって、成果などの報告がなければマイナスになってしまいます。

私が実験や研究をするときは、先方に迷惑をかけないことと、フィードバックできることがないかを常に考えています。信頼関係を得られるまでに何年かはかかっていると思いますが、今では芭蕉布に関係している人たちは、科学的な分析や研究については好意的に受け取ってくださっているように思います。

西村研究者にとって意味があることはもちろん大切ですが、相手にも意味があるものになると取り組みが続きますよね。それで一緒におもしろいことができる関係になっていきます。そうすると、「実はこういうものがあるよ」とか、いろいろなものを出してくれたりもしますよね。

野村そうですね。作業工程の中でぼそっと教えてもらった技術が、どこにも書かれていないものだったこともあります。そのような話から「ここで材料が科学的に変化するかも」とヒントをもらいます。そういう意味でも、信頼関係はとても大切ですね。

西村確かに、芭蕉布のことを深く調べるには職人さんの協力が不可欠になりますね。職人さんとの信頼関係はどのようにつくっていったのですか。

野村信頼関係をつくるには、とにかく現地に赴いて、職人さんの仕事を邪魔しないことです。研究者は、職人さんが作業をしているときに、いきなり話しかけたり、自分のペースで質問などをしてしまいがちです。でも、彼らは真剣に作業をしているので、そのあたりを理解して、まず邪魔しないように観察させていただくという姿勢に徹しました。

研究などの話も急に進めるのではなくて、職人さんのペースで進めていくことを意識しています。これは今でもそうしています。材料が欲しいときは、使用目的を丁寧に説明して、購入できるものがあるときは購入させていただきます。

西村そのような関係は、どのくらいの時間をかけてつくっていったのですか。

野村1年以上はかかりましたね。今でも気を抜けば、すぐに「出ていけ」と言われてしまうでしょうね。OISTで研究のサポートをしてくれる人が芭蕉布好きで、研究者と喜如嘉芭蕉布事業協同組合との間に入ってくれるようになったことで、よりスムーズに進むようになったと思います。

あと、研究の結果が出たら、その都度、伝えるように気をつけています。まず、職人さんのやっていることをリスペクトしないとだめですね。職人さんのやっていることをないがしろにして、自分の研究だけを進めようとすると、研究は立ち行かなくなります。

西村お話を伺っていて思ったのは、素材をもらって研究をするのは、それだけで終わってしまいますけれど、職人さんの協力を得ながら一緒に研究を進めると、おもしろいことがいろいろと出てくるわけですね。

野村そうそう。もう、研究しても追いつかないくらい出てきますね。私が東大にいたときにお世話になった軽部先生から、「環境科学に興味があるのだったら、現場に行かないとだめだ」と、何度か現場に連れて行ってもらったことがありました。話を聞いていても、現場に行かなければ見えてこないものはありますね。研究者と現場は離れている必要はないですし、研究者が現場に足を運ぶ姿勢は大切だなと思います。

西村あと、実践の現場にいる人も、研究者の視点を得ることで前に進むこともあると思います。現場にいる人が、自分自身に研究者の視点を取り入れることで、新たな発見ができるのではないかと思います。

野村そうだといいですね。私たちの研究結果を見て、喜如嘉の職人さんたちが、自分たちのやっていることについて、別の視点から興味を持たれたということは伺っています。

研究者は、自分の研究結果を論文で発表することで一区切りになるのですが、それで終わりになってしまうともったいない気がします。研究は研究者がおもしろいからやっているのですが、願わくばその結果がどこかで役に立ってくれたら、もっと嬉しいですよね。

現場で実践されている方にとっては、自分たちのやっていることが科学的な知見からすばらしいことであるという確証が得られればもっといいでしょうし。そういう方向で進むようになれば、ある意味で理想的な形になるのかなと思います。

おもしろいと思ったら、一歩踏み出して調べよう

西村科学は難しいと思われる側面がありますね。もちろん、高度な知識がないと研究できないのですが、その結果、わかったことはおもしろいことが多いので、その切り替えみたいなことがうまくできるといいなと思います。

野村科学者も、難しいことを誰にでもわかるようにやさしく伝える努力が必要だと思います。科学者どうしで話をするには、難しく話をする方が楽なのですが、中学生くらいの人がおもしろそうと思えるような表現を学んで、研究内容がたくさんの人たちに身近に感じてもらえるようになるといいのですけれど。

西村若い人たちに向けて、大切にしたい視点や考え方があれば教えてください。

再現実験で得られた繊維を実験室で観察する野村さん

野村そうですね。いろいろなことに好奇心を持って、少しでもおもしろいなと思ったら、一歩踏み出して、実際に調べてみてほしいですね。表面的に「これなんだろう」で終わらせるのではなく、一歩踏み出して調べることで、新たな側面が見えてきます。

ただし、そのような環境をつくる努力は大人がやるべきだと思っています。子どもはいきなり、自分から調べようとはなりませんから。

西村科学は知識を積み重ねることが大切で、役に立つかどうかは二の次みたいな考えもあるかと思いますが、そのあたりのバランスはどのように考えていますか。

野村基礎科学がなければ科学は成り立たないので、それはそれでどんどんやっていただきたいなと思います。実際、私も基礎科学とは無縁ではありません。芭蕉布の研究もやっていますが、基礎的な核酸化学の研究もやっています。核酸化学の研究も、やっていてすごくおもしろいです。

西村芭蕉布の話が多くなりましたが、核酸化学のおもしろさはどのように感じていますか。

野村今、特に力を入れているのが、RNA(リボ核酸)をくっつける研究です。これはとても基礎的な実験で、何に応用できるのかよくわかりませんが、RNAどうしをくっつける、酵素のような働きをするRNAライゲース(ligase。リガーゼともいう)の配列 を探っています。

実は、RNAは生命の誕生と深い関わりがあります。現在の生命は、DNAが遺伝情報を伝えていて、RNAはDNAの情報をもとにタンパク質をつくるときに必要となる補助的な存在ですが、生命が誕生する直前には、DNAではなくRNAが優勢なRNAワールドとなっていたと考えられています。

そのとき、RNAを切ったり、くっつけたりすることがとても大切になるのですが、RNAをくっつける方法はあまり研究されていません。芭蕉布の研究よりも、何に応用できるかわからないですけれど、生命の起源につながるので、そういうことがわかったらおもしろいなと思って進めています。

西村すごくおもしろいですね。ただの分子であるRNAが、どのように生物へとつながっていったのかが少しわかるかもしれないということですね。

野村そんなだいそれたことはやっていませんが。とにかく、芭蕉布の研究も、核酸化学の研究もおもしろいので、両方やりたいだけなんですよね。少したいへんですけれど。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

この記事は、OIST(沖縄科学技術大学院大学)とNPO法人ミラツクによる共同プロジェクトとして制作・運営しています。https://www.oist.jp/ja

「僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる」
これは、高村光太郎の詩「道程」の一節です。野村さんは、まさにこの詩のように自分の人生を切り開いてきたように思います。野村さんは、そのときどきで分野を変えて研究をしてきたので、表面的には一貫性がないようにも見えますが、研究を進める中で研究の興味がより深く、基礎的なものになってきたのでしょう。

さらに、野村さんはOISTにやってきてから芭蕉布の研究も始めました。これも野村さんの研究分野から大きく離れたものと思いきや、高校生の頃から興味のあった美術や大学生の頃に学んだ被服学につながるものでした。自分の取り組んできたことや興味のあることがすぐには役に立たないと思ったり、無駄に思えるようなことがあったりしても、役に立つ場面が来ることもあるでしょう。目の前に現れたそのときどきの課題にしっかりと向き合うことで、その経験や知識が後々役に立ち、自分の道を歩むための助けになるのかもしれません。

芭蕉布の研究をする際、野村さんは職人さんの事情や立場を優先するといいます。いくら意義があって、おもしろいことでも、自分勝手な主張ばかりするとうまくいきません。野村さんの姿勢は、研究者だけでなく、他の会社や組織の人たちと協力してプロジェクトを成功させたいと思うすべての社会人の参考になるのではないでしょうか。

荒舩良孝 ライター
科学ライター/ジャーナリスト。科学の研究現場から科学と社会の関わりまで幅広く取材し、現代生活になくてはならない存在となった科学について、深く掘り下げて伝えています。最近は、研究者と市民の間にあるギャップを埋められないかと考えています。『重力波発見の物語』『宇宙と生命 最前線の「すごい!」話』などの著作あり。