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さあ70億人で何をしよう?―― 情報をテクノロジー化して、みんなが「未来を見据えた生き方」を選べる構造をつくりたい。ミラツク代表・西村勇哉インタビュー(後編)

インタビュー

「すでにある未来の可能性を実現する」ことをミッションに掲げ、さまざまな企業や組織と連携しているミラツク。その取り組みは今、よりダイレクトに「未来構想をつくること」へと進化しつつあります。

西村自身の言葉でミラツクの現在とこれからを語り下ろすインタビュー。後編では、「未来を考える方法」への具体的なアプローチについて聞いています。(前編はこちら)

「未来社会のアイデア」を誰もが使えるツールに

西村昨年は、書籍などから未来のテクノロジーを集積した情報をワークショプツールにして、都市の暮らしや社会テーマと組み合わせた、「未来社会を考えるワークショップ」を行ってきました。

さらに、そこで出てきた未来社会の断片的なアイデアを蓄積してデータベース化する試みも始めています。そして、集積した3,000個のアイデアを出力して、さらにワークショップツールにしてみて、前の人が出したアイデアを元に次のアイデアをつくっていくのです。
 

 
西村この試みは、コンピュータのプログラム開発に少し似ているところがあります。

プログラミング言語が開発された頃、すべてのコードを書かないといけなかったプログラマーやエンジニアはとても苦労したはずです。それが、次の世代になると前の世代がつくったコードを用いたり、前の世代がつくったコードにヒントを得てさらに先のプログラムをつくったりすることができるようになりました。

最初はゼロからがんばらないといけないんだけど、だんだん知見が蓄積していくことで徐々に簡易化していくのです。

昔、小学校の頃にもらったパソコンは記憶媒体がなくて、コンピュータを立ち上げたら毎回プログラムをイチから書いて動かさなければいけませんでした。それが、ディスクに保存できるようになり、データを読み出してプログラムを起動できるようになり、すごく楽になったんです。

未来社会の話に戻すと、たとえば「未来の学びのあり方について考えたい」というときに、未来の学びのあり方について考えるための材料と他の人が考えたアイデアがあって、それをもとに考えられる、積み重ねによって多くの人が多少の手順とツールを用いれば社会の中で実行力を持つ未来社会を考えることができる、というところまでシームレスにしていきたいんです。思いつき勝負でも、一部の専門家にしか考えられないというものでもなく。

でも、今はバージョンでいうと、とりあえず「Win3.1」くらいかな。いや、もっと手前か。

一応、多くの人が使えるようにビジュアライズされたインターフェースで動かすことはできるけれど、まだできることは限られているし、出てくるアウトプットの精度も手動でつくる方が圧倒的にクオリティが高い。とりあえず動くものまではつくれたので、ここからは使ってみることによって、より使いやすくしたり、精度を高めたりするために必要な情報が見えてくるはずなので、しばらくは使いながらバージョンアップが続きそうです。

道のりは長く、でもスタートを切れたというのが、この1年くらい試してみての感覚ですね。

ダヴィンチのメモをみんなに渡したい

西村こうして蓄積される「未来社会のアイデア」は、いわばレオナルド・ダヴィンチが持っていたという“メモ帳”のようなものだと思います。
 

 
西村ダヴィンチは有名なメモ魔で、一万枚以上のアイデアメモをノートに記録したと言われています。その中には、ネジの回転から発想したヘリコプターの図も残されていました。実際には、ダヴィンチが考えたヘリコプターでは飛ばないのですが、そのアイデアや図面は残されていて、そのままでは使えないけど他の何かに使える可能性だってあるわけです。

優れた起業家や発明家、研究者とそうではない人の違いのひとつは、未来に関するビジョンや構想を持っているかどうかだと思います。

では、未来に関するビジョンや構想を生み出す力がないとだめなのかというと、そうではありません。もしも彼らと同じぐらいの精度とスピードで、そして彼らが日常のなかで考えているくらいの気軽さで、誰もが未来のことを考えることができたら? 個人の実行力が高まり続ける社会において、実現する未来社会のアイデアもまた増えていくはずです。

現代は、世界中の人と連絡を取り合えるネットワークを使うことも、自らがメディアになることもできるし、3Dプリンタのようなデジタルファブリケーションツールもある時代です。何かをはじめるためのコストはどんどん下がっているんだけど、「実現を目指す未来」がないとそれらはただの、日常を繰り返すための道具になってしまいます。

そして、その「実現を目指す未来」を思いつくために努力を強いるのではなく、より多くの人が参加できる状況があれば、結果的にその実現に向けて取り組まれる時間と労力も増えていくと思うのです。

情報をテクノロジー化すれば「道具」になる

西村アメリカの思想家で建築家、発明家でもあるバックミンスター・フラーは、著書の中で「人類の食糧は充分あるけれど、偏りがあるので貧困が起きる」と述べています。これは、食糧の話に限ったことではなく、本来ある社会の可能性についても同じことが言えます。

人が自ら選択して行動するうえで必要な情報について、どうすれば偏りなく共有することができるのか?と考えると、一般的には教育によってゆるやかに情報を伝えることになります。しかし、これだけ情報量の多い時代に情報を教育によって伝えていこうとすると、教育期間が長くなり、さらに、大量の情報をうまく処理できる人とできない人に分かれてしまいます。

でも、情報の扱い方自体をテクノロジー化すれば、誰でも使えるただの道具に変わるはずです。

コンピュータの世界では、プログラムの蓄積とモジュール化としてすでに起きていることで、例えばMITで開発された「Scrach」を使えば小学生でも簡単にプログラムを作ることができます。それが未来社会を考える世界ではまだ起きていません。未来社会の構想づくりに関しても、基本となるロジックと情報が整い、さらに前の人たちが出したアイデアの蓄積を使って、自分が考えたい部分に集中して新しいアイデアを生み出せるようにしたいんです。

世界中のあらゆるところで「今日は、この情報を元にこのテーマについて新しい未来の可能性を考えよう」と新しいアイデアが生まれ、一人ひとりが考えたことがまたデータベースに戻ってきて、そして、日々のなかで未来を実現するための行動が当たり前に起きていく。まだ取り組まれていない未来の可能性を実現するために、高まるテクノロジーの力や集まる資金を用いていくようになる。それ自体も、今はまだ実現していないけど既にある可能性としての未来だと思います。

「不安な未来」を「希望ある未来」に転換するために

西村ミラツクは、みんなが「未来を見据えた生き方」を選べる構造をつくり、「誰もが未来づくりに自然に参画する未来」を実現したいと考えています。

人生の時間は伸びていくのに、「やることが何もない」――その状態が100年続くとなると、考えるだけで苦しくなります。そうではなく、「実現したい未来に向かって、50年、100年という時間を使えるんだ」という風に、生き方を未来の側に置いて今に取り組むことができれば、伸びる人生に対しても社会に対しても希望が生まれてくるはずです。

「不安な未来」を「希望ある未来」に転換するには、「自分でつくる未来」があることが大事です。そもそも、どこかの誰かに「自動運転ができる世界になるよ」と言われても、興味がなければ面白くありませんよね。人は誰しも、自分で考えた未来を実現していくことに興味を持つのだと思います。

ところが、多くの人は3か月くらい先の「わかる未来」について確実に行動しようとします。そして、3か月先の未来であれば、だいたい全員が同じ正解を出して同じような行動を取ることになります。未来は遠くなればなるほど確実性が下がっていくので、何をすればいいかわからないからです。

世の中、これだけいろんなことができるようになっているのに、結局みんなが似たようなことばかりをしているのは、確実な未来に対して確実な結果を出すことに重きが置かれすぎているからだと思うんですね。しかも、正解を当てたら面白いのかというと、最初から正解がわかっているから面白くもありません。

そうではなくて「1000年後の未来」のように、時間軸を長くするほうが面白いことが生まれやすくなります。
 

 
西村研究者に話を聴くと、「自分が生きている間には完成しないけれど、500年後には形になります」という考え方で研究に取り組んでいたりします。決して荒唐無稽な話ではなく、きちんとロジックを組み立てながら、500年、1000先の未来を考える方法はあるんですね。

「正解を当てる」社会よりも、「まだ見たことない、見たい未来が実現する」社会のほうが絶対に面白い。もちろん、うまくいくこともいかないこともあるけれど、確率論的に成功するものも必ずある。「そうきたか!」という結果に囲まれている社会のほうが楽しいと思いませんか?
 

70億人が「すでにある可能性」を実現するには?

西村今、世界には約70億人が暮らしていて、さらに人口は増えることが予測されています。

人間が増えていくのに、みんなが同じことをしていると競争が激しくなるし、自分の居場所がどんどんなくなっていくから、どんどん苦しくなっていくんですね。せっかく人が増えていくなら、いろんなパターンを試したほうがいい。そのチャレンジが許されるぐらいには、世界は豊かになっていると思うのですが、その豊かさはまだ充分に活用されていないようです。

テクノロジーもエネルギーも、増えた人間が生き延びるためだけに使っていると、人間が多いこと自体が負担になってしまいます。そうではなく、せっかく増えた人間で「何をするのか?」を考えて、そのやり方を示していきたい。

歴史を振り返ると、700万年前の人間は森から追い出された「弱い猿」でした。森から平地に出て、自分が持っているスキルや道具を活かしながら、どんどんテクノロジーを複雑化させて生き延びてきたわけです。

人間は石斧をつくったとき、そこで世界観を完成させることもできたと思うんです。「石斧で100万人生き延びよう」ということもできたはずだけど、「木の棒に付けて槍にしよう」「投げてみたらどうなるか?」といろいろ試したわけですよね。さらには、鉄を使ってみたり、舟をつくってみたりもしたわけです。

「今を生き延びる」ことだけが目的なら、石斧で終わりでよかったのかもしれません。ところが、その時代を生き延びるためだけなら必要なかったかもしれない、いろんなことを試し続けてきたから「今」という未来があるわけですよね。人間は本来、ほうっておいたらいろんなことをどんどんやるほうが自然で、みんなが同じようなことをしている現代のほうが不自然だと思うんです。「石斧で終っていい」というようなところがあるというか。

人間としてのあり方の不自然さを解消していくことも、ミラツクで取り組むテーマのひとつです。

そして、1000年後から見た時に「21世紀もちゃんと進んだね」と言われるような可能性を開いていきたい。人類が100億人になるなら、「その100億人で何をするか」だと思います。「未来を考える方法」をつくることは、増えていく人間を充分に活かす方法でもあるのです。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

杉本恭子 ライター
京都在住のフリーライター。大阪出身。東京でさまざまなオンラインメディアの編集者を経験したのち、学生時代を過ごした京都でフリーに。現在は、人の言葉をありのままに聴くインタビューに取り組んでいます。Webマガジン「greenz.jp」シニアライター、「雛形」では徳島県・神山の女性たちにフォーカスした「かみやまの娘たち」を連載中。仏教が好き、お坊さんに詳しい。
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