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「個人の想像力の拡大が時代を切り拓いていく」株式会社KANDO・田崎佑樹さん 【インタビューシリーズ「時代にとって大切な問いを問う」】

ROOM

シリーズ「時代にとって大事な問いを問う」は、ミラツク代表・西村勇哉がインタビュアーとなり、「時代にとって大事な問い」を問う活動をしている人たちにお話を聞くオリジナルコンテンツです。「ROOM」では、記事と連動してインタビュイーの方をゲストにお招きする、オンラインセッションを毎回開催しています。

ROOMオンラインセッション「ROOM on Zoom」
10月1日(木)18:30-20:30 at Zoom ゲスト:KANDO 田崎佑樹さん
詳細・参加登録:http://emerging-future.org/news/2209/

第3回にご登場いただくのは、「株式会社KANDO」 代表取締役・田崎佑樹さん。宇宙生命研究、人工生命プログラム、サイボーグ、人工培養肉……まさしく時代の最先端にあるリアルテックのコンセプトをつくってきた人です。インタビューでは、田崎さんが捉えている今という時代の「時代性」、そしてこの時代における「問い」のはたらき、そして時代を切り拓く「想像力」の力についてお話を伺いました。

(構成・執筆:杉本恭子)

田崎佑季(たざき・ゆうき)
株式会社KANDO代表取締役。クリエイション・リベラルアーツ x サイエンス・テクノロジー x ファイナンス・ビジネスを三位一体にし、ディープテックの社会実装と人文社会学を融合させた事業を開発する「Envision Design」を実践する。
Envision Design実践例として、REAL TECH FUND投資先であるサイボーグベンチャー「MELTIN」においては20.2億調達実績を持つ、人工培養肉ベンチャー「インテグリカルチャー」においては8億円調達。その他にパーソナルモビリティ「WHILL」MaaSビジョンムービー、小橋工業ビジョンムービー等。
アートプロジェクトは、彫刻家|名和晃平氏との共同プロジェクト「洸庭」、HYUNDAIコミッションワーク「UNITY of MOTION」、東京工業大学地球生命研究所リサーチワーク「Enceladus」、荒木飛呂彦原画展「AURA」等。

我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

西村そうしたらまず、田崎さんのバックグラウンドについて、自己紹介も含めて話すところから始めても良いですか。

田崎バックグラウンドにあるのは、考古学と建築、アート&サイエンスの3本柱です。小さい頃から「我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか?」ということが気になっていて、考古学者になりたいと思っていたんです。20歳になる前には、米・マサチューセッツ大学ボストン校に留学して人類学を専攻していました。

ポール・ゴーギャン『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(ボストン美術館、1897-98年、油彩・カンヴァス、139.1×374.6cm)/Public Domain

2001年9月11日、アメリカ同時多発テロ事件が起きたときは、ちょうど1週間くらい前にニューヨークにいて。2日後くらいには、友だちと一緒にニューオリンズまで車で60時間かけて旅をしました。だから、9.11から3日後くらいのニューヨークや、ペンタゴンが焦げているワシントンDCを見ていたんですね。

文明の衝突をまざまざと見せつけられて、「明日はわからないな」と思ったことがきっかけになり、ずっと引きずっていたデザインへの道に踏み切るために帰国。インテリアと建築の学校に入り直して空間の勉強をしました。

杉本考古学とデザインや建築は、領域が違っているイメージがあるのですが、田崎さんのなかではどうつながっていたんですか?

田崎たぶん、空間に興味があるから遺跡が好きだったんですよね。今も好きですけど。僕は、「ティオティワカン」や「チチェン・イッツァ」などの南米文明の遺跡に興味があって。当時の神殿って、基本的に神の世界を具現化することがミッションなので、建築物自体にすべての叡智が集まっているんです。

つまり、文明が失われてどれだけの時間がすぎていても、遺跡が残っていれば建築物を通してその叡智をトラッキングできるし、当時考えていた人の知性に触れることができる。

実は、人類学とデザインは近いジャンル。日本語では「意匠と設計」って訳されてしまうけれど、英語の「design」は否定を意味する「de-」と象徴や標識を意味する「sign」という言葉から成る「常識を否定せよ」という概念です。僕は最初にそれを教わったから、「デザインは色や形ではなく概念論なんだ」と思って、学生の頃から概念設計ばかりを考えていたんですよ。

世界を牽引するビジョンをかたちにするデザインとは?

西村今回は「時代にとって大切な問いを問う」というテーマで、まさにひとつの文に「時代」「大切な」「問い」という3つの概念が入っています。まずは、今の時代をどう捉えているのかから聞いてみたいと思います。

田崎産業革命から20世紀までは、大量生産・大量消費のための技術が、資本主義と社会主義、経済性と人間性、ローカリズムとグローバリズムなど、二項対立的な世界を生み出した時代だったと思います。ところが、インターネット以降はiTunesとiPodのように、概念化されたサービスとプロダクトが結びついていて。物質ありきだった世界が抽象化してグニャグニャした感じになっている。現代の概念化された社会の中では、20世紀までの大量生産・消費のための“テックドリブン”な世界から、概念の方向性を照らし出す“ビジョンドリブン”な世界になっているという認識ですね。

この時代を代表するビジョナリーは、経営者、アーティストとサイエンティストだと思います。

突出した経営者は資本主義で勝ち上がった上で、そこを飛び出す事業を生み出します、アーティストは資本主義を利用してやるくらいの心構えでいるし、サイエンティストは世界の真理を追いかけることに集中している。この三者は資本主義の枠を飛び出し、ゼロイチで立ち上げているという点で共通性が高いんです。覚悟の総量とある種の狂気をもって、次の世界を切り拓いていく力があるなと思います。

僕は、未来を切り拓いていくことにコミットしたいと思ったので、彼らとどういうふうに仕事ができるかというところを考えていて。「世界を牽引するビジョンってなんだろう?」というと、ファクトとイマジネーションがバランスよくかけ合わさっているものでないと成り立たないんじゃないかなと思いました。そのビジョンを形にするということに関しては、デザインにできることがありそうですね。

たとえば、CGなどでは抽象的なものをビジュアル化できます。もともとWOWという会社に7年間いたベースがあって、「ENVISION Design」というメソッドを思いつきました。

西村「ENVISION Design」について、少し説明してもらえますか?

田崎ビジョンの具現化には、哲学や思想、アートやデザインなどのクリエイションの力と、真に革新的なサイエンス及びテクノロジー(リアルテック)、そして研究開発や事業化を最速で推進するためのファイナンス及びビジネスが必要です。これらが三位一体となり、高次元に融合する新たなデザインを実現するのが「ENVISION Design」です。

科学やアートには、経済性を突き破れるパワーがあります。たとえば「牛肉を供給できない」という状況が生まれたとしたら、科学は「人工培養肉をつくる」ことを実現して、経済限界を超えて新しい市場をつくることができる。ただ、一番大きいスポンサーは軍事だから、科学は主に人を殺すことに使われてしまう可能性が高い。人類学や社会学、哲学や倫理のようなリベラル・アーツも同等にインストールして事業をつくらないと、新しいカルチャーは生まれません。

ところが、哲学や倫理の重要性は理解されていても、それを経済性にどうやって引き込むのかはイメージされていないと思うんです。僕は、クリエイティビティとリベラル・アーツ、ファイナンスとビジネス、サイエンスとテクノロジーという三者の真ん中ぐらいにいるので、その大切さを伝えられたらと思います。

三次元の世界における「3」という数字の重要性

西村なるほど。この「ENVISIONdesign」の図の左右にある、「社会実装・社会変革」と「新文化育成」はどうつながるんですか?

田崎このスライドは、パワーポイントでは二次元で表現していますが、本当は印刷してくるっとまるめて左右をつなげたいんです。

人間はA対Bの構図でわかりやすく理解しようとするけれど、二項対立的な発想では何かを切り捨てて何かを選ぶという極端な話になってしまいますよね。自然の世界では淘汰圧は高いけれど、適正な数がコントロールされた上で環境が成り立つようにできているので、人間みたいに「どちらかが悪い」みたいな極端なことにはならない。人間だって、自分の人生をよくよく見れば90%ぐらいはグレーでできているじゃないですか。白黒をつけるのは、キツすぎるんですよ、本当は。

世界は三次元的にできているので、三次元的に考えないと本質にたどり着かないんですよね。国の統治権は立法、司法、行政の三権だし、安定した分子の径も3つです。相対化するときのフォーメーションとしては、最低3つの視点がないと輪郭が見えてこないんじゃないかと思っています。第三項を考えるトレーニングをしておかないと、みんなずっとA対Bの構図で考えて何かを切り捨てることをしてしまうんじゃないかな。

概念設計をするときも、3という数字をめちゃくちゃ大事にしています。たとえば、あるサービスにおいて一番大切にしたいものが「やさしさ」だったとしたら、その概念構成を考えるために思考実験をします。やさしさを定義するってすごく難しいんですけど、まったく違う3つの構成要素で精度高く設計することができたら、製品開発をする段階でのデザイン・ディレクションやブランディングの基礎になり得るんですね。

彫刻家・名和晃平との協働によるアートパビリオン『洸庭』外観。左側にある小さな入り口から”船”のなかに入ると「暗がりに広がる海原」に出会う。(2016年/神勝寺 禅と庭のミュージアム)(Photo : Nobutada OMOTE|SANDWICH)

彫刻家・名和晃平との協働によるアートパビリオン『洸庭』内観(2016年/神勝寺 禅と庭のミュージアム)外観(Photo : Nobutada OMOTE|SANDWICH)

現代美術家の名和晃平さんは、「コンセプト(概念)を語れる田崎くんはすごいレアだよ」と言ってくれて、僕の職業名を「コンセプター」と名付けてくれました。概念設計ができるとさまざまなジャンルの表現者とコラボレーションが可能だという感覚はありますね。

新しい評価指標があれば、お金の流れを変えられる

西村AとBという一見対立する概念があったときに、二項対立的な構図で考えるのではなくて「両方大事だよね」という視点に立って、第三項を考えていくにはどうしたらいいと思います?

田崎たとえば、都市と自然はどちらも必要だと考えたときに、「どうやって都市と自然の間にあるグラデーションをつなげられるだろう?」と考えることがすごく大事だと僕は思っていて。「矛盾する2つの概念を両方ドライブさせるキードライバーは?」みたいなことをずっと考えています。

そのためには、人類がもっているさまざまな能力を評価する指標が必要だと思います。たとえば、経済性を評価するときにGDPというひとつの評価指標だけで見るのは無理があると思うし。「じゃあ、経済性を評価できる新しい指標をつくるにはどうしたらいいだろう」と考えるんですね。

今は、気候変動によるティッピングポイント(それまで小さく変化していたある物事が、突然急激に変化する時点)を迎えつつある時代でもあって。その被害を食い止めるためには、本気で課題解決に取り組まないと間に合わないし、企業利益を追求する社会から課題解決型社会にシフトできるかどうかの瀬戸際……、もう遅れ気味だけどやらなければいけない。

「IPCC第5次評価報告書」(全国地球温暖化防止活動推進センターウェブサイト)より

じゃあ、課題解決型社会に必要な評価軸はなんだろう?」と考えるんですよね。たとえば、自給率という評価軸を「GDPに換算すればこの比率になる」と言えたら、自給率の高い小さな村に投資を集めることができるじゃないですか? 新しい経済指標をつくれたら、お金の流れも分散させられるだろうと考えています。

その新しい指標には想像力も入れたいんです。もし、人間の想像力を経済的な評価指標に落とし込めたら、大学での教え方も変わるだろうし、人間の想像力の使い方も変わると思います。

経済を動かす「すごい想像力」とは?

西村仮に、その視点で評価するとして、「すごい想像力」ってどんなものだろう?

田崎宇宙輸送を可能にするロケットを製造開発する「スペースX社」、大手電気自動車企業
「テスラ」を起業したイーロン・マスクの想像力じゃないかな。彼から想像力の文脈を抜いたら、ただのロケットインフラ屋ですよ。それだけでも恐るべきものですけど。

なぜ、彼がロケットインフラ屋ではないかというと「月に行くじゃん。そしたら多星間航海ができる多星間生物になるんだぜ?」と語れるところがミソで。「えっ、マジで? 人類進化しちゃう?」ってなるじゃないですか。経済的な指標をもちつつ「多星間生物になります」みたいなことを言えたから、NASAもテスラを支援せざるを得なくなったんだし、民間初の有人宇宙船が実現したんだと思う。

西村物語を語れる人とつくる技術や経済力を両方もっていることが大事ということなのかな?

田崎想像力とクリエイション、経済力というスキルセットを合体させて運用できるのは天才だと思う。

イマジネーションとクリエイティブという2つの領域を見たときに、イマジネーションの世界のトップに来るのは、手塚治や宮崎駿、富野由悠季や士郎正宗みたいな人たちですよね。そのなかでも、手塚治くらいになると己の想像力だけで描けるけれど、他の人たちはファクトを取り入れたうえでSFをつくっていると思うんです。

近代科学が現れるまでは、イマジネーションに基づいて神話や神殿をつくってきたけれど、科学革命以降はイマジネーションが経済性に関わるクリエイションにダイレクトに関わるようになっています。たとえば、原子力からエネルギーを抽出して爆弾にするということが現実になったわけですよね。科学革命によって、人間の想像力はぐっと違うパワーになったんだと思います。

ただ、イマジネーションのなかから取り出したクリエイションの運用は、軍事国家や資本家にパスしちゃうから使い方がめちゃくちゃになってしまうことがあります。また、イマジネーションだけのパワーでも、プロパガンダ的に人々を洗脳できてしまいます。

たとえば、選挙コンサルティング会社のケンブリッジ・アナリティカは、Facebook上の個人プロフィールを取得して、イギリスのブレグジットやドナルド・トランプ大統領を支持する政治広告に利用したとされていますが、これもまたイマジネーションのパワーを発揮させた例と見ることもできます。

今はネットを含めたテクノロジーによって、イマジネーションとクリエイティブのパワーがつながりやすくなっていて、めちゃくちゃ面白いし基本的には素晴らしいと思っています。

ただ、イマジネーションの人たちに、運用の部分まで考えられるようにしっかりトレーニングをした上でクリエイションしてもらわないといけないんだけど、それはすごく難しくて。評価指標側でコントロールしたほうがいいと思っているんですよ。

個人の想像力の拡大こそが、常に時代を切り拓いてきた

杉本田崎さんは、すさまじい打ち込み方で刀づくりをする刀匠や、人類の進化を目指してサイボーグを開発しようとする「MELTIN」の粕谷昌宏さんのような人には、ある種の狂気があるとおっしゃっていますよね。今、お話しされていた想像力もまた、狂気に近いものでしょうか。


aikuchi – Concept Movie from WOW inc. on Vimeo.

田崎そうですね。想像力が強い人は異常なほどの執着力をもっています。昔でいえば、 シャーマンみたいな人たちじゃないかな。何かにとんでもなく執着している人には、その人にしか見えない地平がある。そこが大事だと思うんですよね。みんなに見えているものは民主主義的にはあっているけど、次の時代をつくっていく突破力にはならない。そういう意味では、時代を切り拓いてきたのは常に個人の想像力の拡大だと思っています。

最も考える時間に投資してきた人間が、最も解像度高く考えることができる。だから圧倒的に説得力があるし面白い。先ほど、この時代を代表するビジョナリーとして、経営者、アーティストとサイエンティストを挙げましたが、彼らもまた狂気じみたパワーをもつ人たちだから、次の時代を切り拓くことができるんです。

逆に言えば、最大公約数をまとめようとする日本のデザイナーは、広げるための力にはなるけど突破する力にはならないんじゃないかな。未来を切り拓くために使えるけど、未来をつくるための力じゃないかな。

西村なるほど。イーロン・マスクのように突破していく想像力は縦軸的だなと思うんだけど、横軸的な想像力もあるのかな。

田崎たとえば、熊本で豪雨被害に遭った人たちは、その原因である気候変動をスーパーリアルに感じていると思う。一方で「気候変動って本当に起きているんですか?」っていう人もすごくたくさんいて、彼らは自分の生活以外のところへの想像力が及んでいないんです。だけど、世界中で起きていることは、何かしら連鎖的に自分に関係しているから、それに対して他人事でいられないはずで。

想像力をぶん回したら、見えていないもの、感じられていないものを掴み取ることができます。僕は、テクノロジーをつくることはできないけれど、意識の方を変えることはしていきたいです。

西村縦軸と横軸の想像力はつながっているんだろうね。横に広げられる人は縦にも高く飛べるし、縦に突き抜ける人は横に対しても見通せている。だから気候変動の問題を自分ごと化することから、未来を切り拓くようなアイデアやその世界観に必要な新しい物語が生まれるのかもしれない。

基本的な所作をわかっていないと、プレイすることさえできない

西村最後にもうひとつ。想像力がめちゃくちゃある世界になったらどうなるんだろうかと思っていて。どう思います?

田崎ひとつ良い面でいうと、共感性が上がるはずだと思います。脳みそがつながっているような状態になって、他人の痛みを想像できるようになれば少なくとも相手の嫌がることをしなくなるという話だと思う。

西村今、僕の手元にアダム・スミスの『道徳感情論』があるんですけども。アダム・スミスの「神の見えざる手」の前提条件は、人間は「利他の精神」をもっているから放っておいても大丈夫だと考えているんです。だから、人間というものをもっと信じていい。利他の精神で経済みたいなものもみんなで自然に回していけるというんですね。

田崎本当はそうなんだろうし、ホイジンガーの『贈与論』とかもすごく好きだけど、彼らの時代と圧倒的に違うのは人口の多さだと僕は思っていて。利他の精神や贈与って、140人くらいの村じゃないと機能しないんじゃないかな。人間の想像力の範囲を超えてしまっているから、「もう殺していい」とかいう話にすぐなっちゃう。人が増え過ぎたことによってどんどんアホになっていると思うんですね。

西村なるほど。想像できない人の数がどんどん増えている。

田崎国家が大きくなると階層ができて身分差別も起きる。想像力が及ばないから、第二次世界大戦においては原子力爆弾という禁忌の兵器を投じるわけじゃないですか。今は世界的に食糧自給率が危機的な状況に陥っていて、いずれは生きるための争いが起きるだろうし、そうなるともう良いも悪いもないって話になってきます。

だからこそ、新しい評価指標をつくれるかどうかってすごく大事だと思っています。人間の想像力が働く範囲で小さな自給自足ができるように、もう一度町や村をスケーリングできたらいい。悲しいかな、僕を含めて都市に家畜化されているからトレーニングが必要だなと思っています。都市と自然の間をちゃんと埋めなきゃいけない。

そういう意味では、たとえば農業ひとつとっても、ちゃんと体験してその価値を理解した上で魅力的に発信できる人があまりいないんですよね。

西村何かを伝えるときに、それがどこか魅力的であることはけっこう大事だなと思っていて。人は必然性にだけ惹かれるわけじゃないし、物語の力がすごく大事なんじゃないかと思うんです。ところが、日本では物語の社会的な地位が下がっているように感じる。小説や物語って、楽しいけどそれはエンターテイメントであって、という風に捉えられる。物語の力についても少し伺えますか?

田崎物語の力自体は普遍的だと思うし、たとえばハリウッド映画なんて人間のテンションを解析して1分1秒までを設計しています。AI技術が進めば、大ヒット映画と大ヒット曲をジェネレートできるようになるだろうと思います。一方で、現実の世界の方は複雑性が増し過ぎて、大多数の人類がついていけなくなってしまっていて。

だったら全部は理解できなくていいからポイントだけを楽しみたいという欲求になってしまって、「いかにシンプルなメッセージを出すか?」というゲームになっています。ハイコンテクストな物語って、価値を認められないくらいの勢いになっちゃっている。

文化が積み上げてきたものは、そんなにわかりやすいものじゃないからちゃんと勉強しないとわからないんです。だけど、茶道がそうであるように、基本的な所作をわかっていないとプレイできません。野球やサッカーを観るにしても、ルールがわかんないと楽しくないですよね。

杉本田崎さんは、ものごとの根本原理を見極めていこうとする態度を基本所作にされているように思います。なぜでしょうか。

田崎知性に対する愛があるからじゃないですかね。ギリシャの時代には、技術もフィロソフィアのもとにあったわけで。知性の最深部にあるのは全部共通しているような気がするんです。知性には領域を分ける必要がないから全部を面白がれる。知性があれば、ビジョンドリブンの時代もサバイバルできるし、横軸に想像力を広げることもできるし、いいことだらけなんですよ。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

「問い」をテーマにしたインタビューながら、田崎さんからは「今、こんな問いをもっている」というお話はほとんど出てこなくて。「問いから行動までの距離が短いということでしょうか?」と尋ねてみると、「実務家という意識が強いから、問いというより仮説を立てている」という答えが返ってきました。

仮説が立つと、今度は西村さん含む周囲の人たちに「どう思う?」と語りかけて、仮説検証を進めていくのだそうです。

コンセプターという肩書きで概念設計を主な仕事としながらも概念論だけに終わらない。アーティストやサイエンティスト、経営者と一緒に具体的なアクションへと踏み出していく。この記事を通して、そんな田崎さんの仕事のダイナミズムを共有できていればうれしく思います。

次のインタビューは、宇宙ビジネスをリードする「一般社団法人SPACETIDE」の石田真康さんにお話を伺います。

杉本恭子 ライター
京都在住のフリーライター。大阪出身。東京でさまざまなオンラインメディアの編集者を経験したのち、学生時代を過ごした京都でフリーに。現在は、人の言葉をありのままに聴くインタビューに取り組んでいます。Webマガジン「greenz.jp」シニアライター、「雛形」では徳島県・神山の女性たちにフォーカスした「かみやまの娘たち」を連載中。仏教が好き、お坊さんに詳しい。
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