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地域のつくり手たちと「地域との共創とエコシステムの創出」をテーマに対話した3時間。【ミラツクフォーラム2018春】

フォーラム

ミラツクでは、年に6回の季節フォーラムを完全招待制で開催しています。毎回、ひとつのテーマについて異なるフィールドで活躍する方々をゲストに迎え、ディスカッション。対話を重ねながら新たな知見を生みだしています。

2018年5月19日に開いた「ミラツクフォーラム京都・春の回」では、「地域との共創とエコシステムの創出」をテーマに、4名のゲストを迎えてパネルディスカッションを行いました。その内容をレポートでお伝えいたします。

(写真撮影:望月小夜加

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

登壇者プロフィール

岡山 栄子さん
有限会社re-make 代表取締役/ゆらぎカレッジ 代表
植物のチカラで、一人でも多くの人が真の健康生活をおくることを目指し、地域資源「実生ゆず」を活用したプライマリ・ヘルスケアを考案。ケア商品「WILD YUZU」開発。看護・介護や社会福祉と連携して普及活動に取り組む。家族や周囲の人たちの未病ケアに役立つ知識や技術を身につけた「yuragist(ゆらぎすと)」を養成し、広く活動する環境づくりを行っている。
http://yuragi.co.jp
田口 真太郎さん
株式会社まっせ マネージャー
1987年、茨城県日立市生まれ。滋賀県立大学環境科学部卒業。2012年より近江八幡市の地域おこし協力隊員として、空き町家活性化事業に着手。築150年の空き町家を再生し、コミュニティスペースとして事業展開中。現在、2013年6月に官民共同出資で設立した「株式会社まっせ」に所属し、町家や西の湖等地域資源を活かした地域密着型の事業に取り組む。
http://massee.jp/
羽田 成宏さん
株式会社デンソー 東京支社 特プロ・共創HUB推進室
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科所属。民生機器・宇宙開発装置・車載機器等の光学システムの設計及び研究開発に従事した後、VRやARを活用した車載HMIの研究を進めながら、自動運転時代の交通社会のデザインに興味を持つ。現在は、イントレプレナーシップ経営戦略と現象学的デザイン思考、身体性認知科学を統合した設計論を武器に、モビリティを起点とした「well-being city」の実現に向け活動中。
本木 時久さん
生活協同組合コープこうべ 執行役員(所属・役職は当時、現在は日本生活協同組合連合会に出向)
福祉事業部を管掌。また、子会社2社の取締役を兼任。大学卒業後、1989年に「灘神戸生活協同組合(現コープこうべ)」入所。宅配の現場を経て、宅配事業の改革に2010年まで従事。夕食サポート事業「まいくる」を立ち上げた後、2012年より組織改革「次代コープこうべづくり」を担当。創立100周年となる2021年のビジョンとして「社会的課題を解決する事業体のトップランナー」を掲げ、生協価値の再構築を推進している。
http://www.kobe.coop.or.jp/

「地域との共創とエコシステムの創出」というテーマを設定した理由

西村はじめに、今回のテーマ「地域との共創とエコシステムの創出」の背景を、みなさんと共有したいと思います。

西村僕が「共創」というキーワードに興味を持ち、約10年にわたって取り組んできた原点には、自分だけでは「すでにある未来(Emerging Future we already have.)を実現できないから、自分にはない視点や能力を持つ人と一緒にやる必要があるという思いがあります。

昨年、研究員の森雅貴くんに集中的に時間を割いてもらい、「オープンイノベーションと共創型のエコシステム」というテーマでリサーチ活動を始めました。以前の企業活動は「研究開発から販売まで一社ですべてやる」というスタイルが主流でしたが、2000年代に入ると技術や知識を公開して社外の人に使ってもらいながら、新しい価値を生み出すスタイルが自然と始まります。

この流れを受けて、「ハーバード・ビジネス・スクール」のヘンリー・W・チェスブロウ(Henry W. Chesbrough)博士が提唱したのが「オープンイノベーション」という概念です。さらに2013年には、フラットに市民と同じ立場で、あらゆるところにある技術や知見を組み合わせていく、エコシステム型のオープンイノベーションが、「オープンイノベーション2.0」と名付けられました。

「オープンイノベーション1.0」では、「オープン」とはいえクローズにする領域も明確にありました。ところが「オープンイノベーション2.0」では、互いを隔てる境目はゆるやかで、もう少し開いた関係性のなかでひとつの価値をつくっていきます。関係を閉じていたらそもそも出会えないし何も始まりません。ところが、関係が開いていればお互いに連携しやすい。

西村たとえば、同じくらい技術や能力のある10人のグループが二つあったとします。片方はクローズドなまま、もう一方は関係を開いてどんどんつながっていくとどうなるでしょう? 長いスパンで見ると、後者のオープンなグループは100人、200人、1000人とつながり、どんどん発展します。そこにオープンである価値があるのだろうと思います。

ミラツクとしても、たしかに10年やってきたことよるつながりあう価値があり、今このプラットフォームがあることによって大きな成果を出すことができるようになりました。それについて、ちゃんと調べて、いろんな人たちと共有しようと考えて始めたのがこの調査です。

ラッキーなことに、森くんが英・サセックス大学に留学しているので、ヨーロッパを中心にオープンイノベーションが起きている現場で、フィールドワークやインタビューをしてもらいました。森くんは、ヨーロッパのオープンイノベーションの取り組みを時系列とアクター別に分解してくれて。その結果がすごく面白いので、統合することで共通する流れやフェーズが見えてくるのではないかという仮説が見えてきました。

「ミラツクオープンイノベーションリサーチプロジェクト」より。森による、ヨーロッパのオープンイノベーションの取り組みを時系列に整理したもの。

 

こちらも同じく、森によるヨーロッパのオープンイノベーションの取り組みをアクター別に整理したもの。

 

西村10年くらいかける取り組みにおいては「立ち上げフェーズ」でやるべきことと、「巻き込みフェーズ」でやるべきことは違う。自分たちがどのフェーズにいるのかを認識することも、今いるフェーズに足りないことを見つけることも大事だと思うんですね。

今日みなさんにお渡しした資料は、フェーズごとに必要なアクションをまとめた一回目のプロトタイプです。これから、また森くんが現場に入っていろんな事例を詳しく確認していくのですが、いったん仮の骨組みとして見えてきたものはこんな感じです。

フェーズごとに必要なアクションをまとめたスライド。この日のディスカッションは、このプロトタイプをベースに展開した。

西村このプロトタイプを出してもらったときに、すごくいいなと思ったのは「立ち上げフェーズ」の7番にある「プロジェクトに名称を付け、発信する」。僕は「プラットフォームを立ち上げたい」と相談を受けると、「いい名前をつけましょう」とアドバイスをします。

全然練られてない名前って、見た瞬間に「とりあえず付けたんだな」ってわかるし、ブランドにも厚みが感じられない。名前が練り込まれていると、その後ろのブランドもしっかりつくられていくので、結果として広がりも深みも出てきます。まさに現場で実感してきたことが、このプロトタイプに現れているのはとてもうれしかったです。

このプロジェクトを1年やってみて見えてきた枠組みに、どんどん肉付けをしていきたいと思っていて。こういう調査の結果は、完了してから発表されることも多いですが、途中段階で枠組みを共有して、それに対して意見が積み重なることでバージョンが上がっていく。そんなことをやってみたいなと思い、今日は「地域との共創とエコシステム」というテーマで、異なる立場で地域に取り組まれている4人のゲストに来ていただきました。

もうひとつ、オープンイノベーションの仕組みと同時に、オープンイノベーションを起動させる「共創型人材」についても調べようと、昨年から5つの組織の方々と1年弱かけて一緒に調査・分析とワークショップを繰り返しています。今日は、共創型人材の要素を、「動きはじめるきっかけ」「行動の特性」「直面する障壁」など、26領域105項目にまとめた資料もお配りしました。

今年は、この調査結果をもとに共創マインドを診断・測定できるようにしたり、人材育成のトレーニングプログラムをつくったりする予定です。オープンイノベーションについて、仕組みと人材の両面から調査をすすめ、明らかになったことはコミュニティで共有して、みなさんの現場の話と融合することを試してみたい。

今日はその一回目になります。それでは、まずゲストのみなさんから自己紹介をお願いします。

箕面の地域資源「実生ゆず」で
プライマリ・ヘルス・ケアのプラットフォームをつくる

岡山さん私は大阪・箕面市の牧落を拠点に、地域資源である実生ゆずを使って、プライマリ・ヘルス・ケア(以下、PHC)のプラットフォームをつくることを目指して活動しています。

リフレクソロジーサロンを経営し、セラピストとして個人のお客さんと関わるなかで、それぞれのお客さんの来店動機の向こう側にある社会のいろんな課題が見えてくるようになって。現在はサロン運営、人材育成、地域資源を活用する商品開発という三つの事業を展開しています。

WHOが「すべての人にとっての健康を基本的な人権として認める」とする、「PHC5原則」を知ったのは、ちょうど開業7年目のとき。超高齢化が進み、慢性疾患や心の病を抱える人も多いなかで、健康増進・疾病予防は重要な課題。自分の健康を病院任せにするのではなく、もう少しセルフケアで自己管理できるようになったらいいんじゃないかと思ったのがきっかけです。

2009年には、PHCを実現するビジネスモデル『yuragist(ゆらぎすと)による心身の健康増進サポート活動事業』が、大阪府の「経営革新企業」に承認されたことを受けて、自然のリズムと調和しながら心身の健康管理ができる「yuragist」の育成事業を始めました。

「yuragist」は、いわゆるセラピストではないんですね。「家族の健康管理をしながら、ときどき地域のなかでyuragistとして社会参加しませんか?」というものです。この春からは、北堀江の自社直営サロンを「yuragist」さん5人に譲りました。それぞれにキャリアを持ちながら、「yuragist」として学んだこと、ゆずを使った予防ケアを普及するシェアサロンとして運営してもらっています。

「PHC5原則」のひとつに「地域資源の有効活用」があります。箕面では、2008年から行政主導で特産品創出の「ゆずプロジェクト」が始まっていました。そこで、ゆず農家さんを訪ねてみて、非常に厳しい環境のもとで接ぎ木ではなく種から育てる「実生ゆず」を育てていることを知ったのです。

ところが、一年に約8トンあるゆず収穫量のうち、市場に流通するのは約3トンだけ。残り5トンは加工用に回されます。そして、果汁を絞った後の皮は産業廃棄物として処理されます。苦労してゆずを育ててもゴミばかりが増えるので、「こんなんやってられへん」と言う農家さんの声も聞かれました。

しかし、ゆず皮の油には優れた成分がたくさん含まれています。「これはもったいない」と、ゆず皮から天然のアロマオイルを蒸留して地域資源活用プロジェクトにすることを行政に提案をしたんですね。「アロマオイルをつくってくれたら、100%買ってサロンで使いますから」と言ったのですが、誰もやらなくて。

行きがかり上、3000万円を借金して蒸留器を設置して「ゆずファクトリー」をつくり、三つ目の事業として商品開発を始めました。さらに、柑橘の研究をされている京都大学農学部の北島宣教授との出会いによって、より深く実生ゆずにハマり、今に至っています。

ゆずの収穫量日本一といえば高知ですが、実生のゆずは絶滅状態で、京都の水尾から大阪の箕面までが、実生ゆずの一大産地なんです。これから、実生ゆずのルーツをさらに探究しながら、実生ゆずを守るプロジェクトにまでつなげたいと思っているところです。

まちづくりに必要なマインドセットは「とんち」である

田口さん近江八幡で「株式会社まっせ」というまちづくり会社をやってます。

さきほど、西村さんがプロジェクト名称の重要性について話されていたのを、「なるほど」と思いながら聞いていました。実は、「まっせ」という名前も、半年をかけた侃々諤々の議論で決まったものなんです。

2010年、近江商人発祥の地・近江八幡市は、安土城の城下町・安土町と合併しました。簡単に言うと、自分の地域に対して強い誇りを持つ二つの地域が合併して、一つのまちとして新しいまちづくりをするために、まちづくり会社をつくったんですね。一般的に、まちづくり会社の社名には地域の名称を冠します。うちの場合は「安土八幡にするか」「近江八幡にするか」と、市長も巻き込んで半年間ミーティングになりまして。

結局、400年前に始まった「左義長まつり」の神輿を担ぐときの「まっせ、まっせ」というかけ声にするという、すごい折衷案に決まりました。「左義長まつり」は、安土城下で始まり、織田信長も踊り出たといわれる歴史ある祭り。信長の死後は、八幡の町が引き継いで今に伝えられています。「まっせ」は、地元の人以外にはわからないけれど、地域のなかでは認知される名前なんですね。

「まっせ」では、伝統文化や歴史、自然のように、一般の民間企業ではなかなかできない地域活動に主体的に取り組んでいます。近江八幡市には、安土と八幡という二つの地域が合併したことで手をつけられた「歴史文化風景計画」、「ラムサール条約」にも登録されている自然保護エリア「近江八幡の水郷」などを活用するまちづくりが一つの軸になっています。他にも、国の補助金を得て無形文化財の保存にも取り組んでいます。

近江八幡には、いわゆる近江商人の町家がたくさん残っているので、景観保存の観点から町家保存も行っていて。滋賀県の湖東地域一体で、各自治体から空き家バンクをつくりたいという要望があるので、うちでコンサルティング的なこともしていて。空き家バンクの立ち上げと広域ネットワークをつくろうと、滋賀県との仕事も今年から始まりました。

僕自身は、滋賀県立大学を卒業してそのまま滋賀県で活動しているのですが、一昨年に大学OBの人たちと「とんがる力研究所」という自分たちが楽しむためのNPOをつくりました。県の委託事業をとったり、大学で授業をしたりする人もいれば、僕はまちづくりをしているし、民間でデザイナーをしている人もいて。いろんなセクションにいる面白い先輩を集めて、仕事以外の部分で地域で好きなことをやる活動もしています。

僕は今、30歳なのですが、何かを勉強して解決できるのは20代までで終わりじゃないかと思っていて。30〜40代の人は、経験や問題解決の手法やノウハウを共有しないとブレイクスルーできない事態にぶち当たると思うんです。この滋賀で、やりたいことをぶれずにやるには、「とんち」が必要だというのが僕の中の結論です。

生協は「助け合う社会」を小さな単位でつくってきた。

本木さんいろんなところで話をさせていただくと、「生協とは何か」が、全然理解されてないことを痛感します。生協の正式名称は「消費生活協同組合」。我々のような地域生協もあれば、職域生協とか大学生協、医療生協など550ぐらいの団体がありますが、それぞれに活動しており共通の代表(社長)がいるわけではありません。主な事業は、食品や日用品などの宅配事業と共済事業ですが、一定、規模の大きな生協では店舗事業や葬祭事業、最近では電力事業やお年寄りにお弁当を届ける夕食宅配事業、また福祉事業など、暮らし全般をカバーしようとしています。

生協の創設に関わった賀川豊彦はノーベル文学賞の候補には2度、平和賞の候補にも3度なった人です。賀川は非常に敬虔なクリスチャンで、20歳のときに結核に苦しみながらも、「貧民問題を通じて、イエスの精神を発揮したい」と、三ノ宮の東側にあったスラム街に住み始めました。本を書いた印税を寄付したり、無料巡回診療を行ったりするんですが、施しによる救貧だけではなく防貧の仕組みをつくる必要があると考えるようになります。

1921年には、賀川の助言により、「コープこうべ」の前身となる二つの購買組合が生まれます。一つは、労働者救済を軸とした「神戸購買組合(後に、神戸消費組合→神戸生協)」、もう一つは第一次世界大戦で利益を得た実業家がその私財を投じてつくった「灘購買組合(後に、灘生協)」。だから、神戸は生協発祥の地なんですね

「神戸消費組合」には、日本初の組合員女性組織「家庭会」も生まれました。虐げられた人たちが手をつないで協同で仕入れを行い、その奥さんたちは「家庭会」として自転車で駆けずり回りながら普及活動をする。まだ女性は学校に行かせてもらえず、参政権もなかった時代に、名もない主婦たちが「買い物カゴ(ふだんの暮らし)から社会を変えよう」と一致団結したわけです。

1957年に同じく神戸で創業した後のダイエーとの競争のなかで、1962年には、神戸生協と灘生協が合併して「灘神戸生協」になります。「灘神戸生協」はスーパーマーケット方式を取り入れて店舗数と売上を伸ばし、1991年には創立70周年を記念して「生活協同組合コープこうべ」に名称を変更しました。しかし、バブル景気の崩壊、阪神・淡路大震災でとても大きな打撃を受け、坂を転がり落ちるようにその事業規模を縮小します。

「もう役割を終えたのではないか」「生協とスーパーマーケットは何が違うんだ」という議論もあるなかで、2012年に「今、起きている問題を改めて整理しよう」というお題をもらい、僕が整理して気がついたのは「我々は組合という組織なのに、いつの間にか組合員さんを“お客さん”にしていた」ということです。もともと、みんなで力を合わせて暮らしの課題を解決する組織だったのに、いつの間にか良心的な小売業になってしまい、加えて前例踏襲、上から言われるとおりにしていれば間違いない、他の所属が何をしていても関心がないといった、いわゆる大組織病にすっぽりハマっていたんですね。

また、創立時と今では社会の課題も変化しています。なのに、我々はいつまでも創立時の課題「安全な食べ物を手に入れる」に対する手段である小売業にこだわっている。我々が目指していたのは、市場原理による競争社会ではなく、協同思想に基づいた助け合い社会を、神戸のこの地においてつくっていこうとしたんじゃないか、と問題提起したんです。

そのために、組合員みなで団結して、自分たちの生業として稼いだお金で社会課題を解決しよう。「コープこうべ」は地域社会になくてはならないことをもう一度認めていただき、将来にわたって経営を安定させていこう、という話をしました。

ところが、この話は最初、組織のなかですんなりとは受け入れられませんでした。そこで、こういったなかでも、組織のなかで自分の頭で考え、行動している人を探してビデオ撮影したものをみんなで見て、意識の土手をつくったうえで「そもそも生協で働くってどういうことだろう?」を問いににワールド・カフェをしたんです。すると、怪訝そうな顔をしていた人もすごくニコニコして帰っていくので、もしかしたらこれを端緒に組織風土を変えられるかもしれないと思いました。

その後は、西村さんにも手伝ってもらいながらいろんな取り組みをしています。40代の職員を巻き込むために始めた「子ども参観(子どもによる親の職場見学)」は春休み・夏休みの恒例行事になりました。職員だけでなく組合員さんにも「みなさんの組織なので、一緒に考えていきましょう」と呼びかけ、100人単位の会議も開催。組合員同士の対話から「店舗空きスペースでの居場所づくり、教え合い」「買い物お手伝い活動」「子ども食堂」などのアイデアと実践が生まれました。

今の世の中では、誰かが決めたことに従うのが当たり前になっています。だけど、自分たちが目指していることをしっかり合わせれば、何をやってもいい。そういう雰囲気が職員から組合員に波及していくまで4年間ぐらいかかりましたが、きっと生協が立ち上がったときもこんな感じだったんじゃないかと思います。

さきほどの共創型人材の要素にもありましたが、僕がこの取り組みを通じて感じたのは「自分がしたいこと」が先立つ人よりもを、求められていることを一所懸命にやれる人が一番伸びるし、共創型なんじゃないかな、と。イエスマンという意味ではなく、自分が言い出したわけじゃないことでも、やっているうちに自分が言い出したかのように行動する。こういう人が、一番力を発揮しているなあと思いますね。

体制を変えるのではなくhackして、borderを更新する。

羽田さんよろしくお願いします。私からは、企業に属する個人としてこのテーマに対して何をやっているかをお話したいと思います。また、大学院生でもあり、「NPO法人 土佐山アカデミー」のサポーターにもなっているので、立場を使い分けるといった作戦があるんじゃないか、ということがわかってきたところです。

僕が個人としてやりたいのは、「体制hack」「border更新」による自治権の創出というところです。企業でも行政でも、体制を変えるにはすごいエネルギーが必要で、自分の人生を捧げても変わらないかもしれない。僕は、そんなことに自分の人生を捧げたくないので、hackするしかないと思っていて。制度や体制は固着しているけれど、borderは自分でも更新したり曖昧にしたりできると思うので、それによって自治権を創出していきたい。

では、「デンソー」という、自動車部品をつくり、移動に関わる会社で何をやりたいかというと、モビリティを起点とした「well-being」なまちをつくることです。移動に関する安心・安全、快適な環境を自動車メーカーに届けてきた会社だからこそ、デジタルネットワークにつながったまちにおいて、信頼の流れをベースにした人・モノ・情報・エネルギーのモビリティをデザインすべきだと考えています。

今、自動運転やEV化、モビリティサービス化が注目されていますが、あれはほんとにごく一部の手段としてのテクノロジーしか見ていません。もっと深いレイヤーでのまちづくり、社会デザインは非常に重要な仕事だと思います。とはいえ、いきなり大きな流れをつくるのは無理なので、地域との活動という小さな流れのなかで実現可能性を見せられたら、大きく広げられるのではないかと思っています。

モビリティを起点としたまちづくりをするには、プロダクトデザイン、モビリティのデザイン、そしてインタラクションデザインやサービスデザインなども含め、全部をバランスよくデザインしなければいけません。個人のアプローチとしては、まちづくりの文脈で最も鍵となるのは「生命」だと考えています。

今、生命を真ん中において「科学とアートで発見して,デザインとテクノロジーで応用する」という僕の活動ポリシーを掛け合わせて、「social well-being」なモビリティシティをつくっています。ここでの「well-being」とは何かというと、「being happy in the life」ではなく「having happy life」というエウダイモニア的な「well-being」のことです。そういうところまで考えて、チームとして達成したい価値観をまず置いています。

「生命を真ん中に置いた」というのは、単純なバイオミメティクス(biomimetics、生物模倣)ではなく、環境とのインタラクション(相互作用)のなかで、それぞれの役割を持ちながら暮らしていることが非常に大事だという意味で,人間は道路をつくって車を走らせている時点で、すでに地球環境とのインタラクションが破綻しているところもありますが、生命を真ん中に置くことができれば,本来在るべきモビリティ社会が実現されると思っています。

そのつくりたいモビリティのイメージとして、僕はいつもナメクジを例に出しています。ある種のナメクジは移動するときに粘液を通り道に残していくので、一度通った道はナメクジが行き来しやすい道路になります。また、粘液に含まれる特殊な化学物質によって、お互いにどこに行ったかがわかるコミュニケーションツールにもなっていて。さらに、この粘液の跡にはナメクジの好物である藻が生えやすくなるらしいんですよ。

地域とのつながり方については、課題を提供する側/提供される側がそれぞれの責任を持つ関係性が一番活動を進めやすいと思っています。我々は、徹底的に活動してアウトプットを出すことに責任を持つ。地域の側は、アウトプットされたものが地域にどう貢献するかについて責任を持つ。もし、我々が地域に対して直接的に必ず貢献するという図式だと重すぎて難しいのかな、と。

企業と地域ということでは、他にもいろんなアプローチがあると思います。僕としては一回性でありながらも生き方に共感してベストマッチで実験に関われるとか、なんとなくつながっている人同士がいろんな風に課題を解き合うみたいなことがあって。今はまだ「デンソーと地域」という関係から入ることはできていませんが、今年度は一つ、こういうところからやって、西村さんやみなさんとお話しして、このアプローチの良し悪しを判断していければと思っています。

地域との共創における「立ち上げフェーズ」を振り返る

西村今日は、「地域との共創とエコシステム」というテーマで、みなさんといろいろディスカッションしたいと思っています。はじめに、資料から「立ち上げフェーズ」を見ていただいて「実感があるな」とか「これは実際にやってみたい」と思う項目はありましたか?

岡山さんまず2番の「『市民の巻き込み』を取り組み計画に明記する」は、すごい大事だなと思っています。さらに、「どの層の市民を巻き込むか」も重要だと考え、リサーチを行った結果、年収1000万円以上で箕面市に影響力のある人たちを攻める計画を立てています。

田口さん年収1000万円以上の市民を狙うというのは、かなり都市部の話だなという印象です。僕の感覚では、市民というともっとすそ野が広く多様な人たちを指すという認識ですが、大きなムーブメントをつくるために、キーになる人を狙うという考え方はすごく面白いです。

僕の場合は、地域を動かすトップの人たちが取締役になっている組織に入らせてもらったので、5番目の「組織のトップがプロジェクト構想を内部・外部に対し発信する」ことはすでにできていたと思います。さきほどお話した、「プロジェクトに名称を付け、発信する」ときから、1番目の「エコシステムのアクターが継続的に集まれる場」づくりも続いています。

西村立ち上げフェーズで「これは重要度が高かった」と思うものはありますか?

田口さん市長や商工会議所の会頭など、いわゆるまちづくりを牽引するトップは60〜70代が多いのですが、近江八幡は意識的に世代交代しました。僕の組織の代表は40代。地域におけるまちづくりのトップが、全く新しい顔になったんですよ。新しいコミュニティのトップが若返ったことにより、活動の自由度が上がったことはすごく重要だったと思います。

西村60〜70代の人たちが意図的に新しいものを新しい形で始めようとして、いい具合に回ったということですね。組織内に重鎮となる存在がいる良さはあると思いますか?

田口さん僕みたいによそから来た者が自由に動くには、やっぱり後ろ盾は必要だなと思います。また、本当にマズいときはちゃんと後ろで手を回してくれることもあって。「失敗してもいいから、お前は自由なことをやれ」と言ってもらっていて、それでも企画提案を10くらい持っていったら、7ぐらいは落とされるんですけども(笑)。残った3は一応かたちになっていますし、僕はすごくやりやすいなと思っています。

西村企画を落とされるときは「やりたいことはわかるんだけど、もう1回持って来い」みたいな感じですか?

田口そうですね。地域に合っているかどうか、僕自身が軸を深められているかを見られます。僕にはわからないような政治的な配慮が必要なときも、早めに判断してくれます。

組織として、周囲との関係をどうつくるか?

西村5番目の「組織のトップがプロジェクト構想を内部・外部に対し発信する」についてはどうですか?

田口さんまず、うちの組織の取締役の方々は自分たちのまちに全員が誇りを持っていて、自分たちのまちづくりが一番だと本気で信じて活動しています。「まっせの活動は他のまちより絶対にいい」と言っていますね。

西村さん岡山さんはご自身が代表ですが、内外での発信について意識的にやっていることはありますか?

岡山さん民間企業は、行政に関わりにくいところがありますね。もともと、地域社会のことを考えて会社をつくったわけではなく、ゆずに思い入れがあったわけでもなかったんです。ただ、新しい地域資源創出プロジェクトとして国から3年間の補助金を得て、お金がなくなったら終わりにする雰囲気が蔓延していて、ゆず農家さんがすごく困ってはった。それを、知らんぷりをしようとする行政に腹が立って、市長にアポを取って文句を言いに行ったのが最初だったんです。

ところが、市長の思いを聞けば「箕面もサル、滝、紅葉とか従来の観光資源に頼っているだけではダメだ」と。ゆずならいろんなモノに加工もできるし、いろんな人と関われると思ってゆずを選んだと言われたんですね。そこで、私も地元の企業として関わるから、箕面市も応援してくださいねと、メディア取材を入れてテレビの前で約束してもらいました。

西村行政との関わりにくさについて、今はどうですか?

岡山さん市の方に頼まれて観光協会の会員になりました。観光協会の会員であれば、市が何かをやるときに「箕面市の地域資源使っている観光協会の会員企業」として、参加してもらいやすいと言われて。

観光事業がやりたかったわけではありませんが、実生ゆずを知れば知るほど、歴史もあり貴重なものであることがわかってきたので。イベントがあるたびにその話を話して、ゆずを応援し守ろうとする人を増やしていきましたね。

西村生活協同組合は、民間企業ではないから商工会にも入っていないし、NPOでもない謎の団体ですよね。生協間には連絡協議会があるので、お互いに声をかけ合ったりすると思うのですが、生協は行政や企業とどんな風に関係していくんですか?

本木さん確かに商工会議所には全く関係がないですね。よく「半官半民ですよね」と勘違いされますが、全部自己資本です。組合員が一口100円で出資しているので、大株主がいるわけではないし、誰かの利益のためにしているわけでもない。確実なのは、非営利で独立採算制を保っているということです。

西村民間企業ではないけど、事業規模でいうと神戸市内のトップ10には余裕で入ってると思うんですけども。生協は、行政や他の組織と一緒にやりやすい存在なのかどうか、という点はいかがですか?

本木さん神戸はちょっと特殊な事情があって、阪神・淡路大震災の後に『NPO法(特定非営利活動促進法)』が成立して、たくさんのNPOができました。いろんなNPOが「コープこうべ」のブランドやお金を目当てに「一緒に組みましょう」と言ってきて、なかには怪しい団体もあったので「うちはボランティア団体だけとつきあいます」とNPOをシャットアウトしたんです。以来、20数年つきあってこなかったので、お互いのことをよく知らない状態が続いたんですね。

行政ともちょっと距離があったのですが、4年ほど前に僕が神戸市に3か月間職員として入って、市役所のキーマンとつながりができました。僕は外に出て行って、西村さんに紹介してもらっていろんなNPOの代表と個人的なつきあいから、いろんな話がくるようになっています。

大きな組織のなかで個人の自由を守る難しさ

西村「コープこうべ」のような大きな組織は、組織内でやっていけるから他と連携する必要性が低かったのでしょうね。今は、本木さんという個人を中心に開いていっている。

本木さんなかなか、その域を超えるのは難しいですね。

西村本木さんは今、福祉分野の担当役員だけど、「コープこうべ」全体の話をしてほしいときに誰にお願いすればいいかわからないから、結局本木さんに声をかけています。どうやったら、次、もう一歩前に進めるでしょうか。

本木さん企業でも行政でも数年単位で異動があるのがネックだと思います。若い人たちには経験を積ませるという意味があるかもしれないけど、ある程度のレベルに達した人の異動はデメリットの方が多いんじゃないかな。せっかく仕事にも詳しくなって、外の人とも仲良くなっているのに。異動しても、僕という人間であることは何も変わらないわけだからね。

「コープこうべ」は職員が1万人いますから、各自が自分の部署の範囲に留まってしまう。ところが、規模の小さい生協の職員は年齢関係なく「うちの生協はこうなんです」と、ものすごく一所懸命に組織全体のことを話せるんです。僕が小さなNPOに若い職員を1年間行かせたりしていたのも、自分の頭で考え、行動せざるを得ない、企画から最後の尻拭いまですべてやるということを経験してほしかったからでした。

西村組織が大きいことによって、手足を縛られている感があるわけですね。組織が大きい場合、どうやって小さく分割していくかというのはけっこうカギだと思います。100人ぐらいの組織に分けるのか、チームなのか、個人までいくのか。

羽田さん部分と全体、専門と万能という軸で考えると、全体で見ようとするときに万能力を発揮するとか、部分にいくときには専門を発揮するとか、ミクロとマクロのように視点を変えることは、今の個人レベルでもできること。組織の規模や環境に対する反応として、個人にできることは確かにあるんじゃないかと思いますけどね。

僕は、「デンソー」で中途入社3社目なのですが、ある製品の実用化によっておそらく一生分の貢献をしたと思っているんですよね。それを明確に示して、あとは自分でやることを定義する人なんだと決めて認知を広めておけば、ある程度自由度を持った活動ができると個人的に考えています。とはいえ、やらなければいけないことはとっとと済ませる作戦をとるべきだと思っています。本木さんがおっしゃったように業務を適切なサイズに分解して,それらを折衷させる、変形させる作業をしてアプローチを変えられたら、得意でないことを無理にやらなくていいパターンがあるんじゃないでしょうか。

「これをこの言い方で断るとヤバいけど、こういう言い方ならいいか」とか、「同時にこれもやらせてください」とかあるじゃないですか。「自分定義力」と「仕事定義力」みたいなところさえあれば、自律的で楽しい会社員ライフを、ある程度は過ごせるのではないか。会社の文脈と、今の組織に与えられたミッションの文脈を読み解く能力、そしてコミュニケーションがあれば、前向きに進められないことを自分には合わないアプローチで進めることになるという事態を防げるんじゃないかなと思います。

巻き込む側の「選択」、巻き込まれる側の「折衷」

西村情報共有やコミュニケーションについても、ちょっと聞いてみたいと思います。持っている立場が増えたり、事業の内容がどんどん展開したりするなかで、周囲の人たちに対する情報のアップデートはどうされていますか? たとえば岡山さんなら「セラピスト」「地域資源のゆずに関わる人」など、関わった時期によっていろんな見られ方をしていると思うんですね。

岡山さんどうしているんだろう? 特に意識していないですね。普通に考えると、ゆずからアロマオイルをつくって化粧品をつくるのはメーカーですよね。でも、化粧品メーカーになりたいわけじゃない。「希少性の高い実生ゆずを知ってもらい、守りたい」という事業の目的に合わせた販売先を選択してきました。

今までずっと岐路に立つたびに「自分は何者になりたいのか」を考えて選択してきたと思います。「次の一歩を踏み出したらどう見られるだろう?」と想像して、違和感があったら違うかたちで伝える方法を探す。もともと敷かれているレールがないから、自分で敷かざるを得ないんですよね。

西村「やっていることをどう説明するか」よりも、やっていることの背景を知ってもらえば、一つひとつを選択して積み重ねていることも伝わっていく、みたいなことはあるわけですね。

岡山さん商品としては「原価を抑えたら安くできるし、もっと売れるのに」と言われます。でも、安くしてしまったら、接ぎ木で生産量を増やしてきたゆずと同じになってしまい、「日本で1000年以上、原木で育ててきた実生ゆず」というストーリーも語れなくなります。喉から手が出るほど売りたくても、めちゃめちゃこらえています。

西村今の岡山さんのお話は、人を巻き込んできた人が、どういう目的のもとにどんな選択をしてきているのかということでした。巻き込まれる側に目を向けると、本木さんがさきほど話しておられた、「求められたことに応えるうちに自分ごとになる」ということもけっこうカギなのかなと思っていて。やりたいことと求められることがほとんど一緒になっていくわけですよね。

本木さん求められたら何でもやるわけではなくて、自分のなかにある「こうすべき」ということと、求められていることを一致させる努力をする。すると、頼んだ人も「言ったことをやってくれている」と思うからいい関係になれる。僕は、組織のなかにいて他の人を見ていると、やらされ感の強い人や、言うこと聞かへんと思っている上司がたくさんいるのは、ここに齟齬があると思います。

子どもじゃないので、明確にイヤだとは言わないけれど、トボケるとか、いつまでもやらないとか、その人によって違うと思いますけれど。自分の解釈でねじ曲げて受け取って、「そんなこと言ったんとちゃうけど?」みたいにしたり。その折衷はなかなか難しいです。ただ、受け取ったからには「そこまで言ってないけど」みたいなところまでやる。

西村頼んだ側からすると、「そこまでしてくれてありがたい」と思われるのでしょうか。

本木さんそう思ってくれる人とはつきあいが長くなるし、「余計なことをされた」と思う人とは疎遠になるし。そこはやっぱり人間の関係なので。どちらかというと、後者の人の方が多いんじゃないかな。僕は運がいいと思うのは、常にそういうことに対して寛容な人が数珠つなぎ的にいてくれたこと。自分では出会いは選べないので、これはたぶん運なんだろうと思います。

西村僕は大阪出身でよかったと思う瞬間がときどきあって。「オマケをつけてもらう力」みたいなのがあるんですね。何か頼まれたときに、「そんなにイヤじゃないけど、これをやるんだったらちょっと、オマケが欲しい」みたいな。自分のやりたいことをちょっと入れてくれるならやろうと思えて、前に進むんですね。

田口さんに、市民の巻き込みみたいなところをちょっと聞いておきたいと思います。地域の重鎮がいる組織に、大卒でポンと入ったわけですよね。周りとの協力関係はどうやって始まったのですか?

田口さん僕のなかでは「とんち力」「とんがる力」がキーワードだと思っていて。自分の活動を尖らせるためのマインドセットと組織で生き残るための「とんち力」。たぶん、僕は怒りという感情の表現が苦手みたいで、ハレーションを起こさないように、早め早めでいろんなことに対処しちゃうんですよね。結果的に「よそ者だけど、あいつがいるとうまくいくね」という人材になっているのかな、と思います。

今日のテーマに関する部分では、これからの地域のエコシステムには「まちづくり会社」みたいな存在が必要だと僕は思っています。まちづくりや地域づくりに関わる「日本青年会議所(JC)」などの団体の代表は1年単位で交代しますし、行政の担当も定期的に変わります。そうすると、「what」の部分は書類などで引き継がれるけれど、「how」の部分が全部抜け落ちてしまうんです。

「how」が抜け落ちないように引き継ぐのが「まちづくり会社」という企業なのかなと思います。近江八幡の場合は民間中心で「まちづくり会社」をつくりました。設立から5年経って、「まっせは近江八幡のことならなんでもやります!」で通用するようになりつつあって、僕はそれでいいかなと思っています。空き物件の相談にも乗れば、伝統文化の相談にも、なんでも相談に乗るワンストップ窓口的になってきて。5年かけて少しずつ見えてきたことを、今度は僕らが言語化して次を育てていくときだと思っています。

西村面白いですね。まっせは民間であり、独立した企業であるから、ネットワークもノウハウも経験も蓄積されてきている。他のまちづくり団体や行政の担当者が変わっても、まっせの側に「how」があるから、そこまでは困らなくてすむ。

田口さんたとえば、近江八幡での地方創生総合戦略に関していうと、140人ぐらいを集めて市民会議を開いて政策をつくり、実施してから現在までをすべて追えているのは、たぶん僕だけなんですよね。最近では、行政や観光協会から視察対応を頼まれるようになってきています。今後は、蓄積されたネットワークを活用したツアー事業も展開する予定です。

自分を起点に始まったエコシステムをうまく回すコツ

西村では最後に、今日のテーマからエコシステムに関する部分についてコメントをいただきたいと思います。自分を起点に始まったものに関わる人が増えて、自分とだけではなく、関わる人同士がうまく関わっていくみたいなところが、たぶんエコシステムだろうと思います。

自分が関われないところでも、周りがうまくやってくれるように気をつけていること、やっていることがあれば知りたいと思います。感想と合わせてお願いいたします。

岡山さん地域全体をまとめて動かそうとするときに、民間には入れない領域があることが課題だと思っていて。私たちが実生ゆずのルーツを探究し始めたのも、もっと深いところで共有できる価値観がないと難しいと思ったんです。

今、「SDGs(Sustainable Development Goals/持続可能な開発目標)」の15番目に掲げられている「陸の豊かさも守ろう」に結びつけて行政側に提言しています。実際に、愛媛県は「陸の豊かさを守ろう」に関連する農産物としてみかんを申請したのですが、「歴史が浅い」という理由で認定されなかったんですね。箕面の実生ゆずには1000年以上の歴史がありますから、いけるかもしれない。

SDGs活動という大きな目標を共有し、組織を超えたひとつのプロジェクトとして立ち上げることができたら、大きな渦となって継続できる環境がつくれるのかなと思っています。

田口さん地域という組織を考えたときに、主導しているのは行政だと思われていて、市民はお客さんになっているケースが多いと思います。でも、今まさに全国各地で言われているように、地域を動かすときのプレイヤーはあくまで市民です。

僕は、地域を変えるイノベーターというのは、単純にひとりでも多く“おせっかい”が生まれたらいいと思っていて。今日の議論の文脈で言うと、土地のルーツを知っていて空気も読めるおせっかいだと思うのですが。たとえば、近江八幡で言うと、近江商人が強烈なルーツ。「先義後利栄」の精神が強く、儲けよりも先に「義」を重んじるんです。

近江八幡のプラットフォームとして、おせっかいを育てる仕組みがつくれたのは、地元の小中学校にも近江商人の思想がちゃんと引き継がれているというベースがあるので。なんとなく、おせっかいな人たちが内発的に生まれる環境があるのではないかという仮説を立てていて、今年の4月から地元の高校でも授業をすることになったので、今後は高校生を相手に検証していきたいと考えています。

羽田さんまず感想から。冒頭でお話したように、今日の文脈での地域活動については、僕は初心者で、わからないことが多いというのが発見でした。自分のことも、他の人のことも“市民”として見たこともないし、その実感を全然感じられなくて。みなさんが、市民という定義をして巻き込むという行動に落とせているのがすごいと思いました。

一方で、テクノロジーの企業に関わる者としては、たとえばスマートフォンやインターネットは、こうした地域活動をぶっ壊すくらいの影響力がある。そこを含めたまちづくりというものが絶対にあるはずで。スマートシティやシェアリングシティにおいて、地域に影響のある人とは共創できるだろうと思いますし、こういう場からアクターのレイヤーやデザインの仕方が発展していく可能性を感じました。

西村さんの質問への答えとしては、個人的には、「この人はどういう『why』『how』『what』の人なんだろう?」と興味を持ったときに、何かが閃くということがある気がしています。

僕は仕事では「why」「what」「how」の順番で考えるんです。「what」から始まる人も多くて、「自動車部品をつくる」というときに「なぜ自動車部品なのか?」という「why」を抜きになることが多いと考えています。でも、何をしている人に対しても「なぜやっているのか」を理解して、「どういうアプローチで何をしようとしているのか」というところまで興味を持っていると、どこかでバチッとタイミングが合ったときに何かが生まれるのではないかと思います。

本木さん西村さんへの直接の答えになるかどうかはわかりませんが、「コープこうべ」の理念は「愛と協同」です。愛する気持ちがあればほめる言葉が出るし、それが人の役に立つことや人に必要とされることに結びついていく。

「コープこうべ」は広いので、全然会ったことのない人も一緒にやっているわけですね。でも、すごく単純なことでも「これ、がんばっていますよね」という一言で、すごくうれしそうな顔をされることがあります。年齢を重ねれば重ねるほど、ほめてもらえる機会はなくなりますから、よけいにほめることが大事なんだろうと思います。

今、福祉の分野でも「お世話をしてあげる」ではなく、「世の中に貢献できている」という気持ちを持たせてあげれば元気になると言われています。本当にその通りだと思う。自分は全部に関われないから、せめてたまに会ったときにはちゃんとほめてあげたり、「気にかけているよ」と言ってあげること。それが、相手がほめてほしいと思っていること、自分が貢献したいと思っていることにピンポイントに刺されば、その人の原動力になるんじゃないかと思います。

源義経は、「リーダーの仕事は声をかけること」だと言ったそうです。「背中を見て育て」というのは間違っているな、と。何かの参考になればと思います。

西村ありがとうございました。今日は「テーマをつくってみる」というのが一番の挑戦でした。やってみて難しかったのは、資料の内容を全部覚えられていないので、「今の話題に、継ぎはどれを投げ込むのか」を読みながら考えないといけなかったこと。面白かったのは、みなさんの話の端々にテーマが出てきていたことです。たとえば、共創型人材のマインドにある「良い上司にめぐりあう」とか、出てきましたよね。

こうしてスタートを切った後は、やっぱりディスカッションをするのが一番大事だなと改めて認識できたのは自分自身の学びになりました。今年はこのタイプを何回か続けてみたいと思います。今日はありがとうございました。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

杉本恭子 ライター
京都在住のフリーライター。大阪出身。東京でさまざまなオンラインメディアの編集者を経験したのち、学生時代を過ごした京都でフリーに。現在は、人の言葉をありのままに聴くインタビューに取り組んでいます。Webマガジン「greenz.jp」シニアライター、「雛形」では徳島県・神山の女性たちにフォーカスした「かみやまの娘たち」を連載中。仏教が好き、お坊さんに詳しい。
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