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人間という動物“Human Animal”が地球で果たすべき役割とは? GIVE SPACE・井口奈保さん【インタビューシリーズ「時代にとって大切な問いを問う」】

ROOM

シリーズ「時代にとって大事な問いを問う」は、ミラツク代表・西村勇哉がインタビュアーとなり、「時代にとって大事な問い」を問う活動をしている人たちにお話を聞くオリジナルコンテンツです。「ROOM」では、記事と連動してインタビュイーの方をゲストにお招きする、オンラインセッションを毎回開催していきます。

ROOMオンラインセッション「ROOM on Zoom」
9月18日(金)18:30-20:30 at Zoom ゲスト:GIVE SPACE 井口奈保さん
(※セッションは終了しました。アーカイブを下記URLからご覧いただけます)
オンラインセッションアーカイブ:https://youtu.be/j-Q6T5oI9bE
ROOMへの参加はこちらをご覧ください
http://room.emerging-future.org/

2回目のインタビューにご登場いただくのは、ドイツ・ベルリン在住のアーティスト・井口奈保さん。西村が「ダイアログBAR」を開いていた10年以上前からの友人であり、対話を重ねてきた仲間でもあります。6月下旬、日本の夜とベルリンの朝をオンラインでつないで、井口さんが現在の活動に至るまでにたどってきた「問い」、現在取り組んでいる「問い」とその答えについてお話を伺いました。

(構成・執筆:杉本恭子)

井口奈保(いぐち・なほ)
2013年ベルリン移住。働き方、住む土地、時間、お金、アイデンティティ、街との関係性、地球エコシステムとの連環。どういったスタンスでどう意思決定するか?都市生活のさまざまな面を一つ一つ取り上げ実験し、生き方そのものをアート作品にする。近年は南アフリカへ通い、「人間という動物」が地球で果たすべき役割を発見、その実践を「GIVE SPACE」というコンセプトに集約し方法論を構築中。また、「GIVE SPACE」を広く伝えるための物語「Journey to Lioness」を映像やイラストレーションで制作。ベルリン市民とともに進めているご近所づくりプロジェクト「NION」共同創始者。

なぜ人間は「こんな能力がある」と言えないと
自分の居場所がないと思ってしまうんだろう?

西村はじめに、この10年くらいの間どんなことをしていたのかを教えてもらっていいですか?

井口10年前はまだ東京で活動していて、アメリカの大学院で組織心理学の修士を取得して帰国した後、組織心理学をなるべくダイレクトに使いたいと思ったので、就職しないでフリーランスとして活動することにしました。「コミュニケーション・プロセス・デザイナー」という職を自分でつくって名乗って。

2009年からは「TEDxTokyo」の立ち上げに関わり、オペレーション・ディレクターをしました。当時は「TED」が、ボランティアによる「TED」みたいなカンファレンス「TEDx」を地域のイノベーションのためにやっていいよという、フリー・フランチャイズプログラムをつくって発信しはじめた最初の年。「TEDxTokyo」はアメリカ以外では最初の例でした。

TEDxTokyo2012でMCをする井口さん(photo by John Fornehed)

「TEDxTokyo」では、自分の考える新しい組織像を実験したいと思っていました。フリーランスやいろんな組織に勤めている人たちと一緒に、会社でもなく、NPOでもなく、契約や組織的なルールでもなく、自分たちの「やりたい」という思いから仕事やプロジェクトを回していく、新しい働き方、組織の連なり方。あるいは、チームづくりやプロジェクト・ファシリテーションのあり方をみんなで試すことからはじめてみました。

西村「TEDx」は5年くらい続けていたよね。

井口うん。5年間、コミュニケーション・プロセス・デザイナーって職業を名乗っているなかで、なぜ人間はいつも「自分はこれだけ能力がある」と言うことをしないと自分の居場所がないと思うんだろう?「こんなことをやってきた」「これから10年でこういうことをやります」とか、ビジョンやプラン、いいアイデアを出さないと社会で価値を認めてもらえないんだろう? 生き物として、なぜこんなことをしないといけないんだろう? という疑問があったんだよね。

人間と他の生き物はなぜこんなに違うんだろう?

「TEDxTokyo yz」で「人間という動物として」を話す井口さん(2016年、YouTubeより)

西村なぜ、人間は自分や他人に「価値がある」ことを求めるのか。

井口そう。人間は哺乳類だし、遺伝子的に言えばハエとさえ同じ部分がたくさんあるわけ。「なぜ、人間と他の動物はこんなに違うんだろう?」って不思議でした。人間としての違いを楽しみながらも、人間だからこそ忘れてしまったような、生き物としての部分を中心に置きたいと思った。ちょうど、もう一度日本を出たい時期だったから、ベルリンに移り住んで、今度はアーティストっていうものに意図的になってみるという実験をはじめた。

コミュニケーション・プロセス・デザイナーは、自ら宣言をして社会のなかで自分のスキルや能力をあげて「見せる」言葉だった。でも、「アーティスト」は自分でそうなろうと思ったのではなく、他者が私を純粋に説明してくれた言葉。「自分で一所懸命に価値あるものをつくろうとしない」ことをエクストリームにやろうと思ったときに、「アーティストになろう」と思って、それと同時にベルリンに移り住んだのね。

西村ベルリンに移り住んでからもう7年くらいになるのかな?

ベルリンでの井口さん. (Photo by 柳瀬武彦)

井口うん、今年で8年目。ベルリンに暮らしはじめてからは、人間という動物の本来性が自分なりにわかる生き方をしてみようと思って。お金は自分のプライドや自己認識、ステイタスや他人との比較とか、私たちを規定する部分が大きいから、お金と自分の関係をすごく簡潔にする実験をしてみたり。住む場所も、他の動物たちのように流れるがままに住めるところに住んでみたり。これは今でも続けているけれど、朝はアラームを使わずに自分の体のリズムで起きるようにしてみたりね。

人間を「Human Being」ではなくて「Human Animal」というコンセプトで捉えて、私たちの体が持っている自然なポテンシャルを追求したかったの。すると、はたと次の問いが降ってきて、「どうして、わたしは人間としかすれ違わないんだろう?」って、すごく不思議になった瞬間がありました。

いろんな野生動物の生態を知るためにドキュメンタリーをたくさん見て、南アフリカのサバンナに行き、ライオネス(Lioness、雌ライオン)の世界に引き込まれていったの。そこで、私は「人間という動物とは何か?」という問いへの答えを見つけたので、それを都市でどうやって実践しようか、方法論を考えている。これも、私にとってはアート表現のひとつなんです。

人間という動物が地球上で果たす役割「GIVE SPACE」

西村そろそろこのインタビューシリーズの本題に入りたいと思います。井口さんは、今の時代において何が大切な問いだと思いますか? 今すでに扱われているかどうかよりも「大切かどうか」がポイントです。

井口都市で生活をしている人たちが「なぜここには人間しかいないんだろう?」と問うことはとても大切だと思うんだよね。触れ合うのは、私たちが存在をともにすることを許している存在だけ。「他の動物はどこに行ってしまったんだろう?」って考えてみる。私はこの問いを考えはじめて、自分の体より大きい生き物と一緒に身を置きたいと思って、アフリカのサバンナに行くようになったのね。

他の生き物たちは、エコシステムに役立つ何かをしてただ死んでいくのに、人間だけが地球環境に良くないことをたくさんしているわけだよね。「人間という生き物が地球上で果たすべき役割はなんだろう?」と私はずっと問うていて。最終的に私がメッセージとして受け取ったのが「GIVE SPACE」だった。ニュアンスとしては「スペースを返す」。「どうしたらGIVE SPACEできるか?」をみんなに考えてほしい。

西村「GIVE SPACE」というメッセージを受け取ったときのことをもう少し詳しく聞いてもいいかな?

南アフリカのサバンナで井口さんが出会ったライオネスの世界

井口最初にひらめいたのは、サバンナでいろんな動物たちと間接的に交流していたとき。観察していると、面白いことにシマウマやインパラは見える距離にライオンがいても、ある程度の距離を保っていれば絶対に逃げ切れるから慌てないわけ。ライオンの方も、よほどお腹が空いていたり子どもがいたりしなければ追おうとはしないし。

(注:動物行動学的には、ライオンは「オポチュニスト」と言われており、他の捕食動物に比べて、お腹が空いていなくても獲物を見つければ狩りをする習性を持ってはいるが、距離と成功確率を判断して費用対効果で獲物を追うかどうか決める)

野生には「間合い」みたいなものが常にあって、無駄に干渉しないし必要以上には獲らない。それが、自然環境保護のボランティアに参加して、レスキューされた野生動物がケアされている「サンクチュアリ」に行ったとき、ライオンがものすごく威嚇していても、「かっこいい!」と言いながら金網にへばりついて写真を撮る人たちを見たの。もちろん、撮影は許可されていることだけど、百獣の王があれほど怒っていたら他の動物は絶対に下がるのに……。

ある程度経つと、スタッフが「Give him space.」と言ってやめさせるんだけど、その様子を見ていて愕然として。ああ、こうやって私たちは「GIVE SPACE」する能力を失って、石油やガスを掘り、アマゾンの森林を燃やし、オランウータンを絶滅の危機に追いやったんだ。「GIVE SPACE」する能力を失ったことが、すべての今の社会問題を引き起こしているんだ……と。

ヌーのような草食動物は何千頭という群れで移動するけど、捕食系の大型動物は群れを大きくするオオカミでもせいぜい30頭くらいにしかならない。ところが人間は都市をつくり、国をつくり、無尽蔵にいろんなものを求めすぎて、他の生き物のスペースを奪ってきたんじゃないかと思ったの。

西村なるほど。「GIVE SPACE」をどう展開するかについてはどうだろう。

GIVE SPACEには「フィジカル」「メンタル」「スピリチュアル」のレイヤーがある

井口私が考える「GIVE SPACE」には3つのレイヤーがあって。「都市デザインでどう実現するか?」というフィジカルな面、人間同士含めてほかの生き物を感じるというメンタルな面、私たち自身の内面にスペースをつくるというスピリチュアルな面。体系的な方法論として育てていきたいと思ってます。

もし、ほかの生き物を感じようとする気持ちと力がないままだと、単に「屋上を緑化しましょう」だけで終わってしまって根本的な解決に至らない。たとえば、先駆的にサステナビリティを実現しようとしている建築家は、自分の家でパーマカルチャーのすごい庭をつくっていたりする。絶対にそれがいいと信じているから建築にまでもっていけるんだと思う。

自宅のベランダでもできる。都市で「GIVE SPACE」するヒント

西村人間が狩猟採集生活をしているときは、ある面積に対して30人くらいで暮らしいたのだけど。土地をどんどん確保して自分たちのものにしていったのは、農業がキーファクターだったんじゃないかと思う。他の動植物のスペースを奪うということは、意図してはじまったというより「やめられなくなった」に近いんじゃないかな。

今の都市生活も、集住することをすごくやりたいかというとそうではなく、やめられない感じがあるなと。「GIVE SPACE」っていうのは、今の都市のあり方を全否定するわけではないよね?「こういう考え方でなら都市でもできるんじゃないか」というヒントとかってどうだろう。

動物としての人間には、他の生き物にスペースを返し、彼らの生息地を守る役割がある

井口「都市でもできる」じゃなくて、何よりまず、都市に住む私たちが絶対にやらないといけないと前提として思ってます。都市生活に疲れた人たちが自然豊かな田舎に行く流れもあるけど、それはそれでまた他の生き物たちの場所を奪うことになりかねないから。

たとえば、野生動物をコントロールするための狩猟や海に排出されるゴミの問題に関するルールは、政治機能のある都市で決められているわけだよね。都市に住む人たちのマインドが変わっていかないと、結局は他の生き物たちを守ることはできないんじゃないかな。

今は都市になっている場所も、かつては森であったり海であったりした歴史を知ることもとても大事。街路樹を植えるときに、きれいだからと外来種のポプラを選ぶのではなく、もともと存在していた土地や気候に合う樹木を選べば、そこにいたはずの鳥や虫が戻ってくる。自宅の庭やベランダでも、できることはたくさんあると思う。

あるいは、都市開発において、CO2の排出が少ない素材で建物をつくることもひとつの方法。こういった建築素材は高価で使えないと思われがちだけど、ライフサイクルアセスメントといって、長期的なランニングコストを試算すると回収できるというデータもすでに出てきている。

西村自宅のベランダから都市の環境づくりまで、いろんなレベルでもともとその土地に生きていた動植物が戻って来られる場所を組み込んでいくだけでも「GIVE SPACE」ができる。

井口そうそう。地球上にある限り都市も“自然”なんだよね。ただ、人間がつくる部分については、よりエコシステムに合致するような素材を選ぶことも大切。それを上手に使っていくには、みんなの意識も変わらないといけないし、法的な整備や初期投資とランニングコストの計算も必要だと思う。

西村計算は大事だよね。切手という郵便システムは、イギリスの高校の先生が数学者と行った計算に基づいてはじまっていて。それ以前は全て着払いで、払わない人がいるから郵便料金って高かったんだけど、送り主払いの切手には未払いリスクがないから、料金を15分の1まで下げられて。その結果、切手というシステムは世界中に広がったんだよね。

しくみを広げていくうえで、計算にもとづいて「ここまでやっても大丈夫」という範囲を示すことは、ひとつ大事なことだと思う。

「GIVE SPACE」な人が「思想」と「サイエンス」をつなぐ可能性

西村井口さんが「GIVE SPACE」という言葉で伝えようとしていることに、建築家や都市設計をしている人たちはどのくらい興味を持っているんだろう?

井口アメリカの建築学会が行なった調査で、会に所属する建築家の約8割が、サステナビリティに興味があるという結果が出ていたのは驚いたな。日本がまだまだそういう状況になっていないのは、知識や情報へのアクセスの差もあるのかな。このあたりはこれからもっと調べていきたいところ。

自然界の生物の構造や機能に学んだバイオミミクリー(生体工学)な技術でエネルギー効率の高い建物を建てる、ということ自体は興味があるはず。アプローチは異なるけど、パーマカルチャーやアーバンファーマーのように、自分たちで緑と土を扱いながら経済循環を考える姿勢の人たちも共感してくれると思ってます。

西村なるほど。これは日本特有の課題かもしれないけど、パーマカルチャーのような思想とマテリアルサイエンスのような科学をつなげられる人が少ないと感じていて。思想は追いかけているけれど、研究者になって開発をするのは理系の人たちだと考えていたり、建築家としてやってきた人が素材という域を超えて植物の特性について深く掘り下げるように学ぼうとするかというと、そういうこともあまりない。分野横断的な人材配置が弱いなと思うことが多いです。

井口そういうことは、他の国の方ができているのかもしれないね。

西村たとえば、日本とヨーロッパでは休暇の過ごし方も違うよね。週末にライオンに会いにいく人はいない日本と、夏のバケーションでライオンに会いにいく人がいるヨーロッパみたいなことでもあるかもしれない。そういう小さな違いの積み重ねが「サステナビリティに興味を持つ建築家がいない」という話にもつながってくるんじゃないかな。

「GIVE SPACE」の対極には、自分のテリトリー、自分が認められる領域に固執するということもあると思う。いろいろやっていて、わけがわからない人間に見られることへの不安があるんじゃないかな。そうじゃなくて「わけわかんなくてもいいじゃん!」みたいなところがあるといいなと思いました。

井口そうね。そこは、私がベルリンに住みはじめた頃に、「人間はどうやってアイデンティティをつくっていくのか?」「自分を受け入れて社会と関係性をつくっていくのか?」を考えようとした部分と、すごく関係あるなあと思う。

他者が私を説明した「アーティスト」という言葉をそのまま使っていたのだけど、アートなんてやったこともなかったし、アートやデザインを学んだこともなかった。でも、「私はこんなことができる」と自らを必死になって証明しようとするアイデンティティではなく、他人の言っていることに100%乗っかってみようと思った。

もちろん、アイデンティティは大事だし絶対になくならないものだけど、不必要に意味が追加され続けていくと、人を追い詰めて、精神的な病にも至らしめると私は感じています。究極的には、「自分はこういう結果を出してきた」「こんなすごい人と仕事をしたことがある」などと自分を規定していく材料から解き放たれることが、「人間という動物」として生きることだと私は思うな。

あともうひとつ、「人間という動物」として生きるためにしたのは、未来のビジョンやプランをつくらないということ。「いつまでにこれをしなければいけない」と未来に今を従属させるのではなく、今を真ん中においた時間の過ごし方をしていると、自ずと「emerging」(出現する、注:ミラツクのミッション”Emerging Future, we already have”から)するものがあると思うから。

GIVE SPACEに呼応する都市は
どんな未来を手にするのだろう?

西村ところで、ベルリンでは「アーティスト」ってどういう存在なんだろう?

ベルリンのアーティストたちがスクウォットしていたエリア

井口1989年にベルリンの壁が崩壊した後、政権が存在しなくなり街全体が無法地帯になったときに、最初に行動を起こしたのがアーティストだったの。最も危険で廃墟になっていた、壁があった地帯の廃墟をスクウォットして、住居やギャラリーに変えていって。その名残が今も残っているから、アーティストに対する敬意と誇りがあるし、アーティストが政治や社会に与える影響はすごく大きくて。

(注:スクウォットとは、長期にわたり所有者が不在になっている廃墟や空き家、空きビルなどを占拠すること。戦後、西欧で都市部の労働者の住宅不足に対する社会運動としてはじまり、1990年代以降はアーティストの表現活動の場や文化拠点にもなってきた)

たとえば、私が使っている言葉「社会彫刻」は、ドイツのアーティスト、ヨーゼフ・ボイスが提唱した概念。ボイスは「すべての人間は芸術家である」と言って、教育や政治、環境保護などの活動から生活のなかの行為でさえも、芸術活動になりうると考えていた。

彼はドイツのカッセルで5年に1度開かれる「ドクメンタ」というアートの祭典で、玄武岩の石を売ったお金で樫の木を植える「7000本の樫の木」という作品をつくった。それがアートと呼ばれうる土壌がヨーロッパ全体にある。

日々の暮らしのなかで何を買うかという消費行動はポリティカル・アクティングになるしアートにもなる、同じ延長線上にあるという市民の理解はとても強い。今回の新型コロナウイルス感染拡大で、メルケル首相がアーティストに対してスピーディな支援を行なった背景には、社会のなかのアーティストのこうした位置付けがあるの。

西村なるほど。井口さんの「GIVE SPACE」は、こうした文脈のなかに位置付けられるんですね。もし「GIVE SPACE」というテーマに都市が答えていけるとしたら、その先に人間はどんな未来を手にする可能性があるんだろう?

井口今は「週末ぐらいは都市を離れて緑に囲まれたいよね」みたいな会話が普通に交わされているでしょ。そういう都市の概念がきっと変わる。

人がたくさん暮らす建物をつくるときも、常に機械を使って換気するのではなく、自然と風が通る構造にするだけで菌やウイルスが常駐することを防ぐことができる。さっき話した街路樹のこともそうだし、みんなが暮らす家の庭やベランダに、その土地ならではの植物が育ちはじめたら、きっと深呼吸して気持ちいい都市になると思う。

メンタルな面では、他の命を感じられる感受性を育む教育や対話も大事。

また、スピリチュアルな面では、自分自身に対する評価をやめて、「いつまでにこうしなくちゃ!」ということもやめてみる。そして、自分のなかに静寂を与えてほしいと思います。きっと、そのスペースから考えたこともなかったような問いが生まれてくるから。

今まで私を導いてくれた問いは、こうした静寂から生まれてきたもの。自分で問いを考えようとしたわけではなく、世界を見たときにふと本当に不思議に感じて出てくるというか。自分にとって重要な問いは自分に対する「GIVE SPACE」から生まれてくるのだと思う。

西村たしかに。新型コロナウイルスの感染拡大で、家から出ない生活を送った人のなかには、ある種のスペースを得る中で、少し立ち止まって周囲を見渡し見直しすことに時間を取った人もいると思うんです。近代から現代にかけてのテクノロジーの発展によってできるようになったこともたくさんある。でもそれって実はそんなにちゃんと考え抜いてるんだろうか。一度自分たち自身に考えるスペースを与えて、もう一度ゼロベースで考えたら、じつは全く違う世界が始まっていく。ということもあるんじゃないかと思います。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

西村と井口さんが出会ったのは、ちょうど井口さんが「TEDx Tokyo」の立ち上げをはじめた10年ほど前のこと。同世代かつそれぞれがそれぞれのフィールドで自分たちのつくりたい組織や場をつくってきたふたりの、親しくも真摯なインタビューでした。

冒頭で西村から「この10年くらいの間どんなことをしていたの?」という問いを投げかけられたとき、井口さんが自らを導いてきた「問い」をキーにしながら、10年を振り返っていって、「GIVE SPACE」という答えにたどり着くという流れがとても印象的でした。

そして、最後には「自分にとって重要な問いは、自分に対する『GIVE SPACE』から生まれてくる」と言われていて。シリーズ「時代にとって大事な問いを問う」のはじまりにふさわしいインタビューになりました。

このシリーズを読みながら、みなさんにも自分に対する「GIVE SPACE」をすることから、自分自身にとっての「時代にとって大事な問い」を見つけてほしいと思います。

次回のインタビューは、「KANDO」の田崎佑季さん。今度はどんな問いが飛び出すのか楽しみにしていてください。(構成・執筆:杉本恭子)

杉本恭子 ライター
京都在住のフリーライター。大阪出身。東京でさまざまなオンラインメディアの編集者を経験したのち、学生時代を過ごした京都でフリーに。現在は、人の言葉をありのままに聴くインタビューに取り組んでいます。Webマガジン「greenz.jp」シニアライター、「雛形」では徳島県・神山の女性たちにフォーカスした「かみやまの娘たち」を連載中。仏教が好き、お坊さんに詳しい。
インタビュー記事