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ふたつの世界の合間にあるグレーゾーンに立ち続ける勇気をもとう。INNO LAB International・井上有紀さん【インタビューシリーズ「時代にとって大事な問いを問う」】

ROOM

シリーズ「時代にとって大事な問いを問う」は、ミラツク代表・西村勇哉がインタビュアーとなり、「時代にとって大事な問い」を問う活動をしている人たちにお話を聞くオリジナルコンテンツです。

第9回は、INNO LAB International co-founder 井上有紀さんにインタビュー。「ソーシャルイノベーションのスケールアウトをテーマに研究していた」という経歴を見て、「事業家っぽい人かな?」と勝手に想像していたのですが、画面越しに会う有紀さんの印象はとてもやわらかくて。

自分自身の声に耳を傾けて、自分と答え合わせをするように言葉を選んで、ゆっくりと語ってくださいました。「激しい競争のなかで生き急ぐ世界」と「ていねいに”今”を生きる世界」の合間で、答えがわからないままに未来を見ようとする勇気をもつには? 今この時代に生きる私たちの誰もが、心のどこかで感じているであろう「大事な問い」を、有紀さんの言葉を通して伝えていただきました。

(構成・執筆:杉本恭子)

井上有紀(いのうえ・ゆき)
一般社団法人イノラボ・インターナショナル 共同代表
慶応義塾大学大学院卒業後、ソーシャルイノベーションのスケールアウト(拡散)をテーマとして、コンサルティングやリサーチに従事。スタンフォード大学(Center on Philanthropy and Civil Society)、クレアモント大学院大学ピーター・ドラッカー・スクール・オブ・マネジメント客員研究員(Visiting Practitioner)を経て、現職。身体からの情報を含めたホリスティックなアプローチによるリーダーシップ教育に携わる。ソーシャル・プレゼンシング・シアター(SPT)シニアティーチャー。NPO法人ミラツク理事。一般社団法人ソーシャル・インベストメント・パートナーズ理事。現在『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー(SSIR)』日本版の立ち上げに携わる。

今、この身体で感じていることは、
社会変革につなげられるだろうか。

西村今日のインタビューも有紀さんをくわしく知らない人に「そういうことだったんですね」と思ってもらえるといいなと思います。まずは「何をしている人か」をざっくりと話してもらえますか。

井上大学院で「ソーシャルイノベーションのスケールアウト」をテーマに研究をしていました。型破りな方法で社会を変革しようとする人たちが、そのイノベーションをいろんな地域で展開・拡散することに興味を持っていました。卒業後も引き続き、同じテーマでリサーチをしたり、社会起業家の人たちと一緒に事業展開を考えたりする仕事をしてきました。

2012年〜2014年までは、米・カリフォルニア州で暮らしながら、いろんな先駆者からトレーニングを受けて人の意識変容と社会変容の関係について探求していました。帰国してからは、社会変革に取り組むソーシャル・リーダーの人たちと共に、自分自身や組織、取り組む社会課題についていつもと違う角度から捉えたり体感するワークショップをファシリテートする仕事をしてきました。この1年ほどは、スタンフォード大学が出している雑誌『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー(SSIR)』の日本版立ち上げに関わっています。

杉本カリフォルニアでどんなトレーニングを受けていたのか、なぜそれらを学ぼうと思ったのかを聞かせていただけますか。

井上ソーシャルイノベーションというテーマを自分が携わる仕事にしたことには納得していたんですけど、このテーマに対する自分の使い方というか、働き方がしっくりこなくて数年ずっとあがいていました。客観的に分析しようとしたり、外側から知識や思考だけを頼りにしようとすることが、自分の中で無理をきたしていました。身体の感覚や気持ちが置き去りになったまま、頭だけで仕事をしているのはどうも気持ちが悪くて、数年ほどモヤモヤしていたんです。でも、どうしたらいいかわからなかった。

そんなときに、勇哉が「オハイオに一緒に行きましょう」って「Authentic Leadership in Action(ALiA)」というカンファレンスに誘ってくれたんだよね。震災の直後でした。そこで、私の師のひとりになったアラワナ・ハヤシさんに出会いました。彼女はMITのオットー・シャーマーさんとU理論を身体的に経験する方法である「ソーシャル・プレゼンシング・シアター(SPT)」を開発した人です。2011年当時、今のSPTのプログラムに落ち着く前の実験をしていたような時期にセッションに参加させてもらいました。私が今この身体で感じていることは社会変革とつなげられるし、アートや表現は、社会が変わることに活かせるんだと感じて、「これは私がやりたいことだ」と思いました。

「ソーシャル・プレゼンシング・シアター(SPT)」
ピーター・センゲさん、オットー・シャーマーさんとのコ・ファシリテーションのセッションでSPTの導入をしている有紀さん

その後、2012年からカルフォルニアに住んでいる間、「これだ」と思えることを学んでいきました。まず、アラワナ・ハヤシさんからSPTのファシリテーションのトレーニングを受けました。SPTの学びはもちろんですが、彼女からは本来的な人間のもつ善さを信じながら、自分自身の毎日のあり方をプラクティスし続けることを学びました。カール・ロジャース(※)の娘、ナタリー・ロジャースさんのもとでは、「Person Centered Expressive Arts for Social Change」のファシリテーショントレーニングを2年間経験しました。

彼女からは「私たちひとり一人のなかにすでにある答え」を後押しするために、アート表現を通じて自分と他者を知り、社会を変えるんだということを学びました。

そして、マインドフルネス研究やセルフマネジメントの第一人者であるジェレミー・ハンターさんに出会って、L.A.郊外にあるピーター・F・ドラッカー大学院での授業を1年間受けたり、彼の授業の中で他での学びを実験させてもらっていました。私を知り、受け入れ、私が変わることが、社会が変容するための方法になることをたくさんの出会いと学びから自分自身を実験台に探求できたカリフォルニアでの時間でした。

ドラッカースクールのジェレミーさんの授業で実験セッションをファシリテートする有紀さん

(※)カール・ロジャース(1907-1987)はアメリカの臨床心理学者。人は自分自身を受容したときに変化し、成長すると考えて、来談者を中心において話を聞く「Person Centered Approach」を実践し、その後のカウンセリングのあり方を大きく変えた。

ソーシャルイノベーションのスケールアウトは
マインドセット・シフトとともに起きる

西村今日お話を聞くにあたって、僕から持ちこもうと思っていた焦点のひとつは、有紀さんがソーシャルイノベーションのスケールアウトというテーマをもった後に、社会変革に取り組む人たちへのアプローチ方法が変遷していきますよね。どういう視点で、新しい方法を見つけていったんだろう?

井上カリフォルニアで、心理学的なアプローチに足を踏み入れていったもうひとつの理由は、ソーシャルイノベーションのスケールアウトは、結局はマインドセット・シフトによって起きるということに気づいたことです。マインドセットは、ものの見方や考え方ですね。

たとえば、ホームレス状態にある人の自立を促す事業があるとします。相手を「ホームレスだ」と思って見るのか、それとも「今はホームレスの状態にあるけれど、これから自立していく人だ」と捉えるのか? 目に見える事業の形をいくらコピーしても、マインドセットが違えばまったく異なるものになってしまう。

スケールしてインパクト(成果)を広げるミソは、新しいものの見方や価値観が伝播する、つまり既存のそれが転換されることだなと思いました。オセロの石が黒から白にパタパタパタっと変わっていくように。それで、人が持っているものの見方や考え方はどうやってできていて、それがどう変わるのか、知りたくなりました。

マインドセット・シフトが起こりやすくするためには、まずは、「今自分はどんなマインドをもっているのか」に気がつくことが必要です。過去の経験の蓄積からできてきた普段はあまり意識していないマインドセットや行動パターンを認知して、自分が望む結果につながっていないとわかれば新しい選択肢の存在に気づき行動を変えていく。これは結構エネルギーを要することなんだけど、社会変革に関わる起業家も、事業に関わるスタッフも、ホームレスの状態にある人にもなにかしらの方法で必要だと思います。

ソーシャルイノベーションを展開しようとするときには、こういう無意識下で起きていることがたくさんあるので、それをできるだけ意識してみると、実は変化を早くするんじゃないかと思うんです。

西村僕のバックグラウンドは心理学だけど、扱っていたのはどちらかというと顕在意識だったし、認知構造の研究だったので盲点みたいなところにはあまり踏み込まない。特に、意識の変容というところには、少し遠い存在でもあった。そんななかで、ユング派の心理学者・アーノルド・ミンデルのプロセスワーク(プロセス志向心理学)に出会ったとき、むちゃくちゃ踏み込む人たちがいるんだ!と思いました。

でも、実際に受けてみると、コントロールされている感じもない。常に自分の選択が残されているのを感じました。変容していくと、気づかなかった視点がいつの間にか「自分のなかに普通にある」みたいになるし、だんだん自分自身と自分の身に起きることを客観的に眺められるようになるのがすごく面白かったんですね。

よくカウンセリングは、「病気を治すもの」「間違えた道を正すもの」と捉えられていて、精神医療のカテゴリに入れられています。でも本来的には、何か困っている人が自分自身の力を使って変容して自立するプロセスだから、何かを変えたいときにそのまま使うこともできる。そう思います。そんな中、カウンセリングとソーシャルイノベーションという、この2つの領域のブリッジングが、なんで有紀さんのなかでスパッと起きたんでしょう? アラワナさんやロジャーズさんの考え方の何がしっくりきたんですか?

井上何がしっくりきたんだろう? たしかに、私はカウンセラーではないし、心理学の専門家でもない。いわゆる「病気」と診断される人以外も、カウンセリング的な手法にアクセスしやすくしたいと思ったんですね。

「しっくりきた」のは、私自身もそれが必要だったからだと思います。「トラウマ」というと、大きな事故や虐待の経験とか割と大きなことだと捉えていたけれど、全然そんなことはないんですよね。「子どもの頃、誰かに言われた一言がずっと引っかかっている」みたいなことも含めてトラウマだし、私にも向き合ったほうがいいことがあったんだと思う。

例えば、社会起業家のなかには、事業に対する高い評価と期待がしがらみになって、「自分の中のステージは変わっているのに抜け出せない」という人がいます。そこには意外とその人自身の無意識のパターンが関係していることがある。もし、トラウマや向きあうべきものが解消されれば、トランジション(移行)が進んで、自分に対して「次に進んでいいんだよ」とパーミッションを出せるようになると思います。組織も、リーダーの変化に伴って進化したり次のステージに進むきっかけが得られることも多いですし。

昔であれば、大人になるための割礼や成人儀式のような通過儀礼があったけれど、今は大人になった後も、自分でトランジションのプロセスを意識してつくらないといけない。これは、起業家に限った話ではなくてみんなに必要なことだと思うんだけど、その方法があまり知られていないんじゃないかな。

かつての通過儀礼に代わりうる
トランジションの受け入れ方とは?

西村通過儀礼の話はすごく面白いなと思います。子どもが生まれると「お食い初め」や「七五三」をするけれど、それは儀礼というよりはイベント化してしまっていて。そこには、トランジションを受け入れるという意味はもうあまりないですよね。

でも、人生的にはトランジションのタイミングはどんどんやってきます。起業家であれば、事業的なトランジションもどんどんきます。本来は、それを迎えて受け入れる知恵があったはずなんだけど、なくなってしまっているから違う形で取り戻すということなのかなと思います。

一方で、儀礼があればよいのかというとそうではなくて。もともとの通過儀礼は民族や土地固有のものだったけれど、今は民族や国を超えてチームを組んでコラボレーションしています。改めて、新しい儀礼を模索するうえでは昔の儀礼をもとにつくっているのかなと思います。

僕は、世界に対する予防線みたいなところが、ソーシャルイノベーションの本質だと思っていて。自分が苦手だなと思う“針のむしろ”を見つけたら、通過儀礼的にとらえて積極的に飛び込むようにしています。放っておくと、弱い部分は選択肢が狭まる瞬間に噴出して危機になってしまう。だったら、先にゆっくりやっておけばいいんですね。

井上針のむしろ、たしかにそうだな。アメリカから帰国してほどなく、不妊治療を経て非常にリスクの高い出産をして、無事に子どもが生まれた5日後に今度は父が倒れたんですね。産後すぐに育児と介護、さらに父が創業した150人の従業員がいる会社の事業承継がまとめて発生しました。自分の仕事は1〜2割に抑えながら、その3つをジャグリングする生活を送ることになったんです。

あれは、明らかに“針のむしろ”だったなと思います。「この事態を一刻も早く収束したい」と願いながら、結局3年半くらいかかったんですけど。もう、そこから他では得られない学びをものすごくもらって……。”針のむしろ”があったら飛び込むのは、人生的に本当に大事だなと思いました。

西村“針のむしろ”の話を、社会起業家のトランジションの話につないでみようと思います。トランジションに向けたマインドセット・シフトを起こす儀礼的なものってどう用意できるんだろう?みんなは針のむしろよりは楽園が好きだし、事業が安定するとそれこそ楽園化してくるし。どうすれば、“針のむしろ”に誘い込めるだろう?

井上あはは!「ここに”針のむしろ”があるよ」って教えたら飛び込んでくる人は、自分でやれると思うんです。そうじゃない人は、やっぱり飛び込むのが怖いと思うから、「大丈夫だよ」って言ってあげるのが一番いいのかなと思う。

実はしばらく前から「イノベーション」という言葉の使い方がしっくりこないと思う場面が多くあります。変わっていくことをちょっと後ろから支えることはできるけれど、川の流れを変えるみたいなことはできないと思うんです。人の変容を支えるにしても、「変えてやるぞ」と思って押すと抵抗感が強まって、逆に変わることを阻んでしまう。むしろ「大丈夫だよ」と支えたり包んであげたりする方が結果的に変わっていく速度は早いと思います。

自分の内面も「変えよう、変えよう」とすると変わらなくて、今何かを感じている自分をありのまま本当にストンと受け入れられたときにやっと力が抜ける。交感神経だけじゃなくて、副交感神経もちゃんと作用し始めた後、変わるための余白やエネルギーが湧いてくるんじゃないかと思います。

腑に落ちないときは
身体が動かなくなる

西村今、聞いていて思い出したのはチョギャム・トゥルンパさんというチベット僧侶が書いた『チベットに生まれて―或る活仏の苦難の半生』(1989年、人文書院)という本。転生した高僧・化身ラマとして認定されて、幼い頃から僧院で暮らしていたのですが、中国共産党の侵略を受けてヒマラヤ山脈を越えてインドに逃げて行くんです。

チョギャム・トゥルンパの著書『シャンバラ 勇者の道』(めるくまーる)

逃げる時の考え方がすごく面白くて「中国軍が来たぞ、やばい」ってなると、「じゃあ瞑想しよう」って10日間ぐらい瞑想するんですよ。その結果、「あっちにいこう」と結論がでてまた逃げる。また徐々に迫ってくるのだけど、そろそろやばい!というときに、良い洞窟を探そうと行ってまた1週間とか瞑想して、「あっちに行こう」と結論が出たらまた逃げる。

その考え方は、現代人と感覚が全然違う。「やばい」と思ったら一刻も早く逃げるし、そのときには選択を考える余裕なんてないというのが今の考え方ですよね。でも、トゥルンパさんたちは、考えたり話し合ったりするのでもなく瞑想する。しかも、危機が迫るなかで1週間もの間です。実際に、それができなくて早急に動いた人たちから捕まってしまう。

危機に陥っているからこそ、長時間かけて瞑想すると生まれるみたいな。直線的にAとBをつなぐのではなく、Aの後に「あいうえお」ぐらい入れるとBが出るみたいな。それがけっこう大事なんだなと思いました。

井上聞いていて思い出したのは、2年ほど前に『学習する組織――システム思考で未来を創造する』(2011年、英治出版)などの著者、ピーター・センゲさんたちに誘われて、コロラド州・デンバー郊外にあるネイティブ・アメリカンの聖地、クレストンというまちに行ったときのことです。自然の中でのリーダーシップ育成で知られるジョン・ミルトンさんと一緒にキャンプをしに、10人ぐらいのメンバーで行ってきました。

コロラド州・デンバー郊外にあるネイティブ・アメリカンの聖地、クレストン

ここには、いろんな学者や経営者、起業家が時折こもりにくる森がある。この森はU理論が生まれた場所でもあるそうです。プログラムの中では2泊3日、ソロキャンプと言ってひとり用テントでほぼファスティング(断食)状態で各自がこもるんです。そのようにスペースをもって過ごすからこそ、大切なものが生まれてくる場所として使われているんですよね。

もうひとつは、以前ある人に「有紀は木が呼吸するくらいゆっくり考えて動いているけど、それでいいよ」って言われたこと。ゆっくりだけど動いていないわけじゃない。結果として、けっこう動いているからそれでいいよって言われて、なるほどと思いました。

西村「木が呼吸するくらいゆっくり」っていいですね。

杉本有紀さんの「ゆっくり」ってどんな感じですか?

井上「決めなければいけないこと」はすぐそこに迫っていて、A案とB案とC案みたいな感じで選択肢もハッキリあり、だいたい「B案だな」とわかりつつも腑に落ちないと寝かせておく。私、違和感があってしっくりこないと身体が固まっちゃうんですね。意識的に寝かせておくこともあるけれど、腑に落ちないときは本当に身体が止まってしまう。

数ヶ月とか、長いと1年くらい寝かしておくこともあって、ふと「大丈夫、いける」と思ったときに動かす。結果として、それは自分だけでなく周りにとって一番いいタイミングになることがけっこうあります。こういうときは、体から力を抜きすぎるくらいに抜いていると思います。

止まっても停滞しないのは
問い続けているから

西村その「止まってしまう」ときは、完全に止まって停滞しているわけではなくて。「回転している水」みたいな状態で寝かせるから何かが生まれる気がします。その「水」を動かし続けるのは大きな方向性、あるいは問いというものだと思っていて。身体が止まってしまうとき、有紀さんは何を問うているのか聞いてみたい。

井上「止まっているだけでは停滞する」というのはまさにそうだなと思う。「なんかわかんないけどイヤだ」と思って身体は止まるわけだけど、何が私を前に進むのを阻んでいるのかを問う力は大事だなと思っています。阻んでいるものに気づくことと、方向性を見つけることはつながっています。たぶん、自分のなかに方向性があるのに、現状とのズレがあるから身体が止まるんですよね。

自分が向かっている方向性、「意図(intention)」を自分の中ではっきりさせて、阻んでいるものをその方向に向けるには、どんな行動が必要なのかをまた問う。それを繰り返していると、回転しながら次に行ける感覚はあります。

西村この10年、15年をかけて、有紀さんが見てきた方向性、「意図」はどういうものなんだろう?

西村さんが話している間は、メモを取りながら聞いていた有紀さん。

井上何でしょうね? 考えながら話してみますね。たとえば、新型コロナウイルスの感染拡大が始まって、「ニューノーマル(新しい生活様式)」って言われだしたとき、いろんなリサーチャーが「ニューノーマルはこれだ」と言い切っているのが、なんかしっくりこなくいなと感じていました。

「世の中のニューノーマルとは?」と自分の外側を見に行くと答えがわからないし、身体も喜んでいない。それを「自分にとってのニューノーマルとして、何がしたいのか?」という問いに変えると少し力が湧いてくる。さらに、もう一歩踏み込んで「ノーマルを設定してしまうと、時代も世の中も変化するなかで”ニュー”は“オールド”になる」と考えると、「設定しない」という選択肢が出てきます。

未来を予測したり思い描くことは、目指すゴールを決めることじゃない。もう少しふんわりした祈りに近いものなんじゃないかな。未来に向かう走り方も、今の状態を無視しながら走るとバーンアウトしてしまったり、違う方向に行ってしまったりすると思います。今の私の身体の状態や感じていること、大事にしたいこと、心地いいことと、未来との掛け算をどうつくっていくかだなと思っています。

西村さっきのニューノーマルの話で、僕もすごく「そうだな」と思ったのは、一所懸命キャッチアップしようとすると「あれも、これもやっておかなくちゃ」みたいな話になる。未来って、前の時代から次の時代へと流れてくるもので、キャッチアップするものではないと思うんです。むしろ、「ところで、自分はどうしたいの?」が問われるべきなんだろうなと思って。

社会起業家の話に紐づけると、社会課題みたいなものとの向き合い方にも似ているなと思うんです。「ところでどうしたいの?」みたいな問いがあると、ステージを変えながら次に動いていける。でも、そこを見失ってしまうとしがらみで動けなくなったり、バーンアウトしてしまったりするのかなと思いました。

井上社会課題の解決のために事業を起こし、そして続けていくとき、社会のマイナスの状態をゼロにするところに必死で取り組んでいるところがあるけれど、「その先にどんなものをつくりたいのか?」というイメージが必要ですよね。それがないとゼロになったところで終わってしまう、というかむしろゼロ地点にたどり着くのも難しくなる気がします。

「ところでどうしたいの?」「さあ、今どうする?」というときに、私の場合は頭で考えても限られたことしか出てこないので、もうちょっと感覚に頼っていて。直感的に雑誌などから写真をとってきてコラージュをつくっています。「今、私は何を欲しているのか。大事にしようとしているのか」「この先、何をつくりたいのか」を、五感で捉えたあとに言葉にしてみることをよくしているなと思います。

有紀さんがつくったある日のコラージュ。

西村中間言語みたいな感じですね。言葉にする前に表現してみて、ワンクッション入れるわけですね。

井上そうそう。簡単には言葉に落ちないけど、なんとなくあるものを形にして可視化してみると、後付けで「言葉にするとこうだな」と言えるようになってくる。それが出てきやすい方法として、私はコラージュをつくったりすることが多いです。

自分が変わり、他者との関係性が変わり、社会が変わる

西村なるほど。「今」の話をしてみたいのですが、有紀さんは今、何をしようとしているんですか?

井上そこをバシッと言えたらいいんですけど、今はまだ模索中なんですよ。事業を動かしているお金や人のように実体があるものと、目に見えない内面の変容の部分を組み合わせる錬金術がほしいんですけど。どんなふうに組み合わせると、私はこれからの社会がより良くなるために貢献できるのか。ここ数ヶ月は模索している感じですね。

そんな中で、『スタンフォード・ソーシャルイノベーション・レビュー(SSIR)』日本版の立ち上げについては、自らの手で未来をつくろうと日々コミットしている人たちが集うメディアにしていきたいと思っています。

西村僕は、心理学を研究していたとき、心は身体のなかにあると思っていたんです。身体に刺激を与えたり質問を投げかけたりすると、心の部分を通過して反応が返ってくるという感覚だったんです。でも、最近は「外側にある心の中に自分の身体がいる」という感覚があります。

心って身体に閉じ込められていて、たとえば心臓や脳ぐらいに小さいイメージがありますよね。そうではなくて、外側に大きく広がっている心を受け取って、脳や身体が反応したり動いたりしているんじゃないかと思うんです。すごく大きいからこそ心をちゃんと感じて、言葉にしたり行動を起こしたりするのに時間がかかる……というふうに思うようになってきたんです。

先日、写真家のエバレット・ブラウンさんにお会いしたときに、「僕は、首の後ろぐらいで考えるんだよ」と言ったらとても共感してくれた。どうも集中するとき、この首の後ろのちょっと上あたりで何かを感じようとしているなと思って。身体の前側は目があるから「見える」けれど、後ろ側にあるものは「見えない」。だけど、なんとか後ろ側から感じようとしている感じです。

INNO LAB Internationalのco-founderであり、夫の井上英之さんが一瞬画面に登場。ミラツクのフォーラムなどでも毎年お世話になっています

井上なるほど、すごいわかるな。SPTでも、身体を動かしたあとに「背中側に意識を向けてみてください」と伝えます。やっぱりどうしても、目で見えている身体の前側を強く意識してしまいますよね。特に今みたいに、Zoomで話していると上半身の前側だけを感じます。

360°の自分を感じる意識で生きていると、すごくつながっている感じがするんです。特にリモートワークが増えて、1日に1度は意識するようにしています。

杉本「つながっている」というのは、何とつながっているんですか? 自分自身でしょうか。

井上自分のなかで最もありたい状態の自分につながれる感じです。

パソコンに向き合って、文字通り「目の前」の状況に集中して、それは必要なことだけれど、体の前側ばかりに注意が行って視野が狭くなっているとも言える。360°、まずは特に背中側、首の後ろに注意をむけると、椅子に座っている自分をさっきまでと違う角度から眺めている感じになり、重心が自分の中に戻ってくる。自分に繋がり直すと同時に、視野も広がって選択肢や可能性が増えたり、自分と周囲、世界がつながっているシームレスな感覚が取り戻しやすい。「私が何をするか」という前に向かう力と、「日々を生きている」という今ここの感覚が同居してくる。

瞑想をして「今しあわせだな」と思う感覚は大事だけどそれだけでは社会は変わらない。かといって、「意図(intention)」をもつことには多少のエゴが含まれる。ソーシャルイノベーションを考えた時、一つのやり方で全ての人にとって完全に良いものをつくることはできなくて、何かを新たにつくりだせば必ず別な弊害は起きたりする。私たちができるのは、だからといって止まるのでなく、行動を起こし感じてみて、少しずつ均衡点をずらすこと。未来と今をつないで、最終的には「自分をちゃんと生きることしかないな」と思ったりするんです。都度、全身で考えきって腹落ちして信じて動く。

杉本最初のお話につながってくる感じがします。自分が変容することと、社会が変容することもつながっているという感覚でしょうか。

井上「私が変わる」「私に向き合う」というのはひとりよがりの話じゃない。私というものを起点にすることでしか、他者や社会と関わることはできないと思います。自分が変わると、他者との関係性が変わり、さらに社会が変わると考えると、今この私の身体が感じていることは何かが変わる起点やきっかけになるのかなと思います。

ふたつの大きな流れの合間を縫って
生きていく勇気をもち続けるには?

西村最後に、今回の連載テーマ「時代にとって大切な問いを問う」についてお話を伺いたいです。対象は誰でもいいんですけど、「今の時代に、こういうことを考えてみたらいいんじゃないか」と有紀さんが思っていることを聞いてみたいです。

井上なんですかね。「こう考えてみたらいいんじゃない?」っていうのは言えないかな。自分を主語にして、「私がどう感じているか」なら話せると思います。

西村じゃあ、次の時代に向けて、有紀さん自身が「こういうことを考えてみたらいいかも」と思っていること、にしましょうか。

井上良い問いだなあ。まとまっていないんだけど、日々を生きているなかで、「ふたつの大きな流れの合間を生きているな」と思うんですよね。ひとつは、ヒーローモデルで短期的にアウトプットを求められ、交感神経優位で競争的で勝つことを重視する世界の流れ。その対極には、副交感神経優位にていねいに今を生きている感じのなかで、長期的に見たときに大事なことは何かを問いながら、集合的にそれぞれが役割を果たして社会が変わっていくような世界の流れがある。

どちらかというと前者の方がこれまで強い力をもってきたから引っ張られるんだけど、これから大事にしたいのは後者の世界だなと思います。かといって「出家して瞑想して自分の畑を耕してごはんを食べて終わり」でもないなと思う。何かを変えたいという気持ちやエゴもあっていいと思うんです。

白黒ハッキリつけずに、グレーゾーンに居続けるのはけっこう勇気がいるし、脳にもすごく負荷がかかってしんどいんです。それでも、答えがわからないなかで、ふたつの流れの合間を縫っていく勇気は必要だと思います。その勇気をもちつづけるために私や私たちが力を得る方法は何だろう? という問いが浮かんでいます。

西村ふたつの流れを併せ持つことが大事なんだろうと思います。そのやり方はまだわからないけど、何かあるはずだから探してみようとしている。

井上何か答えが見つかったところで、それもまたもう少し進むと変わってしまうものでもあると思います。普遍的に使えるものもあるかもしれないけど、日々やってみるしかないみたいなところがある。

西村「あるはずだからやってみよう」というのが、人間の原動力のひとつだと思います。わかったことをやるのはそんなに難しくない。繰り返し正解にたどり着くことなら、季節ごとに咲く花も、小さなアリも、自然界に生きるものはすべてやっていることだと思うんだけど。「何か他にあるんじゃない?」と思ってしまったのが人間だと思います。今も、あるかどうかわからないものを探す長い旅をしていて、「もう少しで見つかるかも?」という希望で、それぞれが100年ずつ頑張るみたいなところで、未来につないでいるんだなと思います。

井上この前、息子と一緒に「探求学舎」で「生物進化編」というプログラムを受けたんです。先カンブリア紀以降の生物の進化や絶滅を勉強するめちゃくちゃ楽しい会だったのですが、「時代を勝ち抜いた強者は逆に絶滅してしまう」という学びがあって。弱いものほど次の戦略を考えるから、結果として進化して生き延びているんですよね。

必ずしも時代の強者が生き残るというわけではない

人間もまた、これまでの強者と同じように絶滅するかもしれないけれど、例えば今コロナで苦しいことは謙虚に次の生き方を考えて進化するという意味があるかもしれない。あと、自分の人生だけで何かをやりきるのは難しいので、子どもの世代を含めて考える中、今私たちにできるのは社会に選択肢の多い状態をつくることで、そこにわたしも貢献したいなと思っています。

西村どれが答えかわからないからこそ、選択肢を残していこうということですね。

井上うん、わからないし、選択肢があれば次の時代の人が選びとっていくことができる。また、多くの選択肢を見ることによって、新しい選択肢をつくる可能性も見えてくると思う。私たちが思いもよらないものを、次に引き継いでつくってもらうところには貢献したいなと思います。

西村正解を求めつつ、同時に選択肢を増やすこともやっていくと、次の時代の人に使ってもらえる。そして、またつながっていくということなのかなと思って聞いていました。僕の中ではインタビューは完了です!

井上すごい、完了感が出ていました(笑)。

この記事は、ミラツクが運営するメンバーシップ「ROOM」によって取材・制作されています。http://room.emerging-future.org/

インタビューがはじまるとき、有紀さんは「このシリーズのお話を聞いてきてどうでしたか?」とわたしに質問をしてくれて、少し驚くと同時に「同じ場にいる存在を見過ごさない人」だな、という印象をもちました。お話をされるときは、一つひとつを自分自身に問い合わせながら言葉にしてくださっていて、「今この瞬間にしかないもの」をていねいに差し出してくださる感じがとてもうれしかったです。西村さんとの間で交わされていた、重なり合うさざ波のような応答のなかに、浮かび上がってくる未来の景色を感じてもらえたらいいなと思って書きました。

さて、次回はついに10回目。 東京都市大学 都市生活学部准教授の坂倉杏介さんにお話を伺います。慶應義塾大学の教員と学生有志でつくられた「三田の家」「芝の家」をはじめ、都市部のまちづくりや地域コミュニティのつくられ方について、自ら手と体を動かしながら研究してきたかたです。どうぞ楽しみにしていてください。

杉本恭子 ライター
京都在住のフリーライター。大阪出身。東京でさまざまなオンラインメディアの編集者を経験したのち、学生時代を過ごした京都でフリーに。現在は、人の言葉をありのままに聴くインタビューに取り組んでいます。Webマガジン「greenz.jp」シニアライター、「雛形」では徳島県・神山の女性たちにフォーカスした「かみやまの娘たち」を連載中。仏教が好き、お坊さんに詳しい。
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